焦りはあるけど動けない日の話

焦りはあるけど動けない日の話

朝の支度が終わったのに動けない

朝、身支度を整えて、机に向かう。そこまではいつも通りなのに、なぜかパソコンの電源を入れる手が止まってしまう日がある。メールを開く気にもなれず、ぼんやりと机の上の書類を見つめているだけ。そんな朝が、週に一度くらい訪れる。別に病気でもないし、眠いわけでもない。ただただ、心が動かない。司法書士として独立して何年も経つが、こういう日は今でもある。焦りはある。でも体が拒否しているような、そんな感覚。

時間はあるのに気持ちが置いていかれる

やることは山ほどある。登記申請、相続の相談、顧問先の報告書作成……。一つ一つ片付ければ、きっと夕方にはスッキリするのに、最初の一歩が重すぎる。時計の針は無情にも進んでいき、焦燥感だけが募っていく。こういうとき、ついスマホをいじってしまう。SNSを開いて、他人の充実した投稿を見ては、さらに自分を責めるという悪循環。「自分はダメだな」と思いながらも、やっぱり体が動かない。

やらなきゃいけない仕事は山ほどある

業務棚に積まれた書類がプレッシャーの塊のように見える。どれも「今日中に片付けよう」と思っていたものだ。でも、その「今日」が何度も先延ばしになっている。自営業だから誰にも叱られない。でもだからこそ、自分で自分を追い込んでしまう。「なんで昨日のうちにやらなかったんだ」と、過去の自分に怒ってみたところで、何も変わらない。それでも、書類たちは黙って、そこにある。

目の前のタスクがぼやけて見える朝

集中力がないわけではない。ただ、目の前のタスクが霧に包まれているように見える。普段なら1時間で終わる仕事が、手をつける前から果てしない山に見える。やるべきことの全体像が見えなくなり、何から始めればいいかもわからなくなる。事務員さんには「午前中は役所行ってきてください」とだけ伝えて、自分は事務所に残る。でも、ただ椅子に座って時間が過ぎていくだけの日もある。

「今日は何をすべきか」が定まらない

業務が多いというのはありがたいことだ。だけど、その量が多すぎて、逆に思考が止まる瞬間がある。自分の中での優先順位がうまく整理できない。お客さんにとっては、どれも「早くやってほしいこと」だろう。でも、こっちは一人。すぐに動けない自分にまた嫌気がさす。気づけば「今日は何をすべきか」が決まらないまま、午前中が終わってしまう。

優先順位を考えると全部中途半端に見えてくる

効率を考えると、手のかからない案件から着手すべきか。でも、それをやっていると「本当に今やるべきはそっちか?」と脳内のもう一人の自分が問いかけてくる。たまに書類を広げてはすぐ閉じ、メールを書きかけては削除する。どの仕事も中途半端にしか手が付かず、どれも進んだ気がしない。そうやってまた自分を責める。この繰り返し。

一番簡単なことから手をつけると落ち込む

「とりあえずできそうなものから」と、軽めの郵送手続きや、封筒の宛名書きから手をつける日もある。確かに少し前に進んだ気はする。でもそのあとの虚無感が重い。「こんなことをしてる場合じゃないだろ」と思ってしまう。達成感よりも、逃げたという罪悪感のほうが強く残る。だったら最初からやらなければよかったのか、とまた思考がぐるぐるし始める。

「それって本当に今日やること?」と自問して終わる

机の上に残った書類を見て「これは今日やらなくてもいいか」とつぶやく。いや、やったほうがいい。でも今はやる気が出ない。そんな葛藤の末に出るのが「本当に今日やること?」という自問。これが出るともう終わり。結局どれも「明日でいいか」となり、その日の仕事は進まない。こういう日は、「自分がいなくても世界は回る」と思いたくなる。

電話が鳴るのが怖いときがある

事務所の電話が鳴るたびに、心がビクッとする日がある。普段ならなんとも思わないのに、動けない日に限ってその音が心に刺さる。「何かトラブルかな」「怒られる内容だったらどうしよう」と、電話を取るのが怖くなる。そんなとき、事務員さんが代わりに出てくれることに救われている。でも、そんな自分にもまた落ち込んでしまう。

些細な連絡が心を乱すとき

「領収書の金額が違います」とか、「日程変更をお願いできますか」とか、そんな小さな連絡ですら心を乱すことがある。自分の中に余裕がない日は、どんな些細なことも心の波を立ててくる。メール一通を開くのにも勇気がいる。気を抜くと、画面を開いて3分でそっと閉じてしまう。人と関わることが、こんなにも負荷になる日があるとは、自分でも驚く。

業務以外の雑談が逆に救いになることも

そんな中、たまたま来所されたお客様との雑談が、心を軽くすることもある。「今日は暑いですね」「こないだの野球中継見ました?」そんな話の中で、ふと自分の肩の力が抜ける瞬間がある。業務の話ではないからこそ、構えずに話せる。相手がこちらを司法書士としてではなく、ただの「話し相手」として接してくれるのがありがたい。

動けない日を責めすぎないようにするには

結局、動けない日は誰にでもある。責めたって意味がないのはわかっている。でも、自分のように一人で事務所を回している人間にとって、「動けない=収入が減る」に直結する。だから焦る。でも、そんな日も含めて自営業なのだと、最近は思えるようになってきた。たまには自分に甘くしてもいい。そう思えるようになったのは、年齢を重ねたおかげかもしれない。

「今日はこんな日だ」と開き直る勇気

無理に頑張ろうとしなくていい日があってもいい。「今日は動けない日なんだな」と開き直って、できることだけをやる。それがたとえ封筒一枚の宛名書きでもいい。それでも「ゼロ」ではない。自分で自分を全否定しないためには、ほんの少しでも「やった」と思えることを残すこと。それが翌日につながる。

少しだけ誰かの役に立てたらそれでいい

完璧な一日じゃなくてもいい。誰か一人でも「ありがとう」と言ってくれたら、それで十分だ。たとえば、今日の来所者に丁寧に接することができたとか、事務員さんに「おつかれ」と声をかけられたとか。そういう些細なことが、仕事の本質なのかもしれない。焦っても空回りするだけなら、そういう一日でもいいと思うようにしている。

動けなかった日も仕事の一部と捉える

何もしなかった日を「ムダだった」と思うと辛い。でも、その日は次に動くための「助走」だったと考えれば、少しは気が楽になる。自分の心と体を整えるための時間も、仕事のうち。そう割り切れるようになったのは、たぶん独立して10年近く経ったからだろう。焦りも含めて、全部が自分の仕事の一部なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓