誕生日が来ても登記簿が静かに増えるだけ
気がつけば45歳。誰にも祝われることなく、今年も誕生日が過ぎていった。朝イチでメールチェック、次いで登記の準備。結局、特別な一日なんていうのは、ここ数年感じたことがない。司法書士という仕事をしていると、他人の人生の節目ばかりを記録して、自分の節目はただの「今日の業務」に埋もれていく。登記簿は変わらずページを重ね、そこに僕の年齢だけが機械的に加わっていく。何かを変えたいわけじゃない。でも、時々ふと思う。「誕生日って、何のためにあるんだろう」と。
ケーキもろうそくもない静かな朝
目が覚めても、特別感は一切なかった。テレビの天気予報が「今日は記念日日和ですね」なんて軽く言ってたけど、そんなことより書類の山が気になってしょうがない。僕にとっての朝は、コーヒーとスケジュール確認、それだけで成り立っている。かつては、家族や彼女から「おめでとう」の一言があった。今はその代わりにGoogleカレンダーの通知音だけが鳴る。
LINEの通知も鳴らない現実
スマホをチラッと見ても、LINEの新着はゼロ。唯一、母から「おめでとう。体に気をつけて」のメッセージ。ありがたいけど、定型文みたいでちょっと寂しい。仲の良かった友人たちも、家族や仕事に忙しく、誕生日どころではないのだろう。かくいう僕も、同じ立場かもしれない。気づいたら祝うよりも、誰かの誕生日をスルーする側になっていた。
ろうそくの代わりに付箋が立つ
事務所の机の上には、誕生日ケーキの代わりに、今日締め切りの登記申請を示すピンクの付箋が目立つ。なんとなく、ろうそくみたいだと思ってしまった。昔は「今日は自分のための日だ」と言い聞かせて、好きなスイーツを買ったこともある。でも今は、「この付箋さえ片づけば今日も良し」という感覚に変わってしまった。静かな朝に、静かに老けていく。
事務員さんだけが気づいた一言
午前10時。事務員さんがコーヒーを淹れながら、ポツリと「先生、今日…誕生日ですよね?」と言った。その一言に驚いた。僕自身、もうそんなこと気にしていなかったから。どうやら、こっそり履歴から生年月日を見たらしい。少しだけ照れくさいけど、心の奥がじんわりと温まった。
気を使わせたくないけど少し嬉しい
「いえ、何もいらないです」と即答したものの、内心は少しうれしかった。たった一言で、心の片隅に光が差した気がした。普段は、仕事以外の会話も少ない事務所。だけど、こんなふうにふとした瞬間に人の温かさを感じると、やっぱり救われる。
心の中でつぶやいた「ありがとう」
口に出すのは照れくさくて言えなかったけど、心の中では何度も「ありがとう」とつぶやいた。プレゼントもケーキもないけど、その一言が僕にとっては十分だった。仕事に追われる日々の中で、ほんの一瞬でも「存在を覚えてもらっている」と感じられること、それが何よりの誕生日プレゼントだった。
今日も変わらず法務局へ向かう
午後にはいつも通り法務局へ。誕生日だろうと関係ない。窓口で番号札を取って、淡々と提出。担当者ももちろん僕の今日の「特別」など知るよしもない。いや、知っても何も変わらない。提出された書類の正しさだけが、そこでは意味を持つ。
登記簿の中でだけ歳を重ねる
人の不動産、法人、相続。様々な人生の転換点に関わってきたが、自分自身の転換点は登記簿の中で数字が変わるだけ。誰かの人生を記録しているうちに、自分の人生はただ数字になって流れていく。それが司法書士の仕事なのだと、痛感する瞬間がある。
お祝いより急ぎの案件
誕生日の今日も、午後3時に間に合わせなければいけないオンライン申請があった。書類の細部まで確認し、事務員さんとダブルチェックしてギリギリで送信完了。「よし」と小さくつぶやいたその時、僕の一日は終わったようなものだった。祝福よりも、期限に間に合ったことが自分へのご褒美だ。
45歳独身司法書士のリアル
こうしてまたひとつ歳を重ねた。彼女もいない。結婚の予定もない。恋愛なんて、もう何年も遠ざかっている。こんな日常を誰に話せばいいのか分からない。でも、同じような立場の誰かが、きっとどこかにいるのではないかと思って、今日は少しだけ本音を書くことにした。
モテない話を自虐に変える技術
学生時代は野球部で、筋トレもしていたし、人並みに恋愛にも興味があった。でも司法書士になってからは、恋愛よりもスケジュール管理、デートよりも申請期限。飲み会の帰り道、独りで帰る背中が映るショーウィンドウに、自分の生活の優先順位が透けて見える。
元野球部でも打席は回ってこない
野球部時代、「チャンスは必ず来る」と信じていた。でも社会人になってからの打席は、誰かが回してくれるわけじゃない。気がつけばベンチに座ったまま、試合は進んでいた。恋も仕事も、打席に立つには自分から動かなければいけない。でも、疲れているとその一歩が本当に重い。
それでもまた一年が始まる
今日は何も変わらなかったけど、それでも日付は変わっていく。来年の誕生日も、きっと似たような一日になるだろう。それでも、こうして文章にして残すことで、少しだけ自分の存在を見つめ直せた気がする。司法書士として、人として、この先も記録される側と記録する側を行ったり来たりしながら、生きていくのだと思う。
誕生日は自分を見直す日かもしれない
書類に追われる日常の中で、自分を振り返る時間はほとんどない。けれど年に一度、誰も祝ってくれなくても、「また一つ歳をとった」と感じるこの瞬間だけは、ほんの少し立ち止まってもいい気がする。もしかしたらそれが、誕生日の本当の意味なのかもしれない。
登記簿の中に自分の足跡を刻む
誰かの節目を記録するその登記簿に、自分も少しだけ存在している。書類を通じて人の人生と交わり、少しでも役に立てているなら、それは意味のある日々だったのだと信じたい。だから明日も、また登記簿と向き合う。静かに、確かに、ページをめくりながら。