朝一番の依頼人
来訪者は喪服の女性
朝のコーヒーを淹れようとした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
開けると、喪服に身を包んだ若い女性が立っていた。
目元には薄く涙の跡があり、書類の入った封筒を胸に抱えている。
代表印の捺印がある遺産分割協議書
彼女は、先月急逝した父親の会社について話し始めた。
封筒から出された遺産分割協議書には、はっきりと社長の署名と代表印が押されていた。
ただ、何かが引っかかる。押印が“新しすぎる”気がするのだ。
社長は亡くなっていた
一ヶ月前の急逝と混乱
死亡診断書によると、社長が亡くなったのはちょうど一ヶ月前。
急な心筋梗塞だったらしく、社員たちも動揺し、会社の経営は一時停止状態だったという。
それにもかかわらず、協議書の日付は先週のものだった。
後継者が決まらないままの会社
社長の急死により、後継者をめぐって社内はざわついていた。
長男はサラリーマン、次男は自由人、誰も継ぐ意志がなかったという。
それゆえ、協議書が提出されるタイミングとしては“やけにスムーズ”に思えた。
不可解な登記申請の準備
相続登記と法人代表変更の二重依頼
彼女の依頼内容は、父の不動産相続登記と会社の代表変更。
ただ、代表変更には株主総会議事録と代表印が必要なはずだ。
本当にそれだけの準備が整っているのか、疑念が湧く。
印鑑証明と齟齬のある署名
さらに提出された印鑑証明の発行日が死亡日を過ぎていた。
これでは、社長本人が取得したとは考えづらい。
署名も、どこか他人の手癖が混じっているように見える。
サトウさんの冷静な分析
筆跡と印影の微妙な違い
「この“田”の跳ね、普段の癖と違いますね」
サトウさんは、私が気づかないポイントを的確に突いてくる。
どうやら彼女の脳内には、過去の筆跡サンプルが蓄積されているようだ。
朱肉の乾き具合に残る違和感
さらに、捺印された印影にはまだわずかに光沢が残っていた。
本当に1週間前のものなら、紙に完全に馴染んでいるはずだ。
「これ、昨日押したようにしか見えません」とサトウさんは言った。
関係者の聴取
専務の曖昧な証言
専務に確認すると、「たしかに社長が生前に書いた気がする」と歯切れが悪い。
まるで自分に不利なことを喋りたくないような態度だ。
目を泳がせるその仕草が、逆に何かを物語っていた。
故人の息子が語った不審な出来事
長男は、社長が死ぬ数日前に印鑑を誰かに預けていたと話した。
「専務が“確認のために”って持っていったんです」
その瞬間、ピースがひとつ、カチリと音を立ててはまった。
裏にいたもう一人の影
誰が印鑑を保管していたのか
会社の印鑑保管簿には、社長以外に専務が使用した記録があった。
しかもそれが、社長死亡の“翌日”に書き込まれている。
「これはもう、アウトですね」とサトウさんが呟いた。
代表印はいつ消えたのか
死亡後、会社に混乱が走る中で、代表印だけが忽然と姿を消したという。
社内では「どこに行ったかわからない」との証言が続出。
だが、サトウさんの目は鋭く、専務の机の引き出しを指差した。
浮かび上がる偽造の痕跡
司法書士の見抜いた紙の違和感
協議書の紙質が微妙に他の書類と違うことに私は気づいた。
古い複合機で印刷されたような、インクのにじみ方。
これは、正式な会社文書ではなかった。
コピーされた印影の一致
別件で保管されていた過去の印影と、今回のものを比較した。
すると、朱肉の“はね”まで完全一致。
「これ、コピーして貼ったものですね」と私はつぶやいた。
やれやれ司法書士の出番か
登記申請を止めた決断
依頼人にはすまないが、私は申請を中断する決断をした。
「このまま出したら、こっちが詐欺幇助になる」
やれやれ、、、また厄介なことになりそうだ。
サトウさんの無言の賞賛
サトウさんは、何も言わずに私の横に書類を並べてくれた。
その無言の動作が、妙に頼もしく感じた。
やっぱり彼女は、すごい事務員だ。
警察と検察への通報
民事の裏に潜む刑事事件
この件は民事だけで終わらせるべきではない。
私は警察に報告書を提出し、刑事告発の準備に入った。
代表印の偽造、それは明確な犯罪だった。
代表印偽造の罪の重さ
警察からの報告によれば、専務はすでに他にも同様の偽装をしていたという。
会社資金の不正流用も発覚し、事件は思わぬ方向へと展開した。
一つの印影が、巨大な闇を暴き出したのだ。
最後に残された書類の謎
机の奥から見つかった本物の協議書
捜査が進む中、社長の机の奥から封印された封筒が見つかった。
そこには、きちんとした遺産分割協議書と、直筆の手紙が残されていた。
「すべては子どもたちに任せる」とだけ、書かれていた。
サザエさんのようなオチに苦笑
結局、騒動を起こしたのは“早とちりと欲”だった。
まるでサザエさんの波平が勝手に印鑑を押して叱られる回みたいだ。
私はひとり、ふっと笑ってしまった。
そしてまたいつもの事務所に
サトウさんの塩対応に戻る日常
「次の依頼、来てますよ。今日はコーヒーまだですか?」
サトウさんの声が背後から飛んできた。
私は急いでマグカップを手に取る。
次の依頼人は誰だ
やれやれ、、、今日は静かに書類整理だけで終わると思ったんだが。
インターホンが鳴り、私は再び立ち上がる。
次は一体、どんな依頼が待っているのだろう。