名前の消えた家

名前の消えた家

朝の一報と遺産案件

朝の事務所に鳴り響いた電話は、いつも以上に甲高かった。サトウさんが眉一つ動かさず応対する姿を見て、俺は急いでコーヒーに牛乳を足した。結局そのまま放置されたまま、彼女は受話器を置き、こちらを向いた。

「先生、また遺産案件です。相続人がいないらしいですよ」

あぁ、今日も胃が重い。やれやれ、、、どこかで見たような書類の山が、また積まれていく未来が見えるようだった。

サトウさんの不機嫌な電話対応

電話口の相手は市役所の担当者だった。彼女は「ああ、はい、はい……」と淡々と受け答えしていたが、そのトーンはどんどん氷点下に近づいていった。

「で、何も資料はないってことですか? えぇ、じゃあこちらで一から掘り起こせってことですね。司法書士って便利屋じゃないんですが」

彼女の声が冷静すぎて、逆にこっちが焦る。電話を切ると、「資料ゼロ。だけど早く処理してってさ」と吐き捨てるように言った。

聞き慣れない言葉 相続人不存在

『相続人不存在』。耳慣れないその言葉に、俺の眉がわずかに動いた。誰も相続する人がいない場合、遺産は国に帰属する。しかし、本当に誰もいないのか。戸籍をたどれば何か出てくるかもしれない。

その家の登記簿を確認すると、所有者は十五年前に死亡していた。おいおい、今まで誰も手をつけてなかったのか?

面倒ごとの臭いがプンプンする。これは一筋縄ではいかない案件だ。

誰もいない家の登記簿

件の物件は町のはずれ、古い長屋の一角にあった。雨ざらしの郵便受けには、色褪せたチラシと未開封の公共料金の請求書が溜まっていた。

郵便受けの名前はかすれて読めない。「これじゃあ幽霊屋敷と同じですね」とサトウさんが言う。俺も首をかしげながら登記簿謄本を見直した。

そこには「中村寛司」という名だけが、ぽつんと記載されていた。

名義人は十五年前に死亡

死亡届によると、中村氏は十五年前に病死していた。独身で、身寄りなしと書かれている。葬儀は市が行い、遺品はすべて処分済み。関係者は誰も現れなかったという。

本当にそうだろうか? 誰か一人くらい、遠縁がいたって不思議じゃない。だが、戸籍を追っても、その線はなかった。

「それにしても、こういう時に限って生前の交友関係も記録がないんですよね」とサトウさんが吐き捨てる。

相続人は本当にいないのか

俺は机に肘をつきながら、古い住民票の写しをにらんだ。そこに、かすかに違和感があった。なぜか住所の履歴が二年ほど空白になっている。

「この空白の期間、どこにいたんだろうな」そう呟くと、サトウさんが何かに気づいたように顔を上げた。「先生、これ、裏取りしてみましょう」

頼りになる。だが、なぜか冷蔵庫の中のヨーグルトの賞味期限が気になる俺だった。

街の噂と昭和の貸家

調査を進めていくうちに、「中村寛司」の名前は町の古い銭湯に残っていた。大家の婆さんが言うには、数年前までそこの裏に住んでいたという。

「ほら、あの変な猫と一緒に住んでた男さ。なんか、いっつも『怪盗キッド』がどうとか言っててねぇ」婆さんは笑っていた。

妙な情報だったが、そこから手がかりが見つかることもある。

裏通りに残る謎の間借り人

当時、間借りしていた部屋には別の男が住んでいた。「いやあ、五年くらい前に出て行きましたけどね、中村さん、いい人でしたよ」

「実家が新潟って言ってたような、、、」

俺とサトウさんは顔を見合わせた。そこが糸口かもしれない。

近所の老婆が語る秘密

老婆は続けた。「あの人ねぇ、実は名字が違ったんじゃないかって噂もあったのよ。だって、郵便物に書かれてる名前、別のだったから」

俺は即座にその名前をメモした。「南雲雅也」。

サトウさんがすぐに戸籍を調べはじめた。仕事が早い。俺のコーヒーは冷めた。

古い郵便物の中の鍵

家主に頼み込んで、残されていた郵便物の確認を行った。そこで一通の封筒が出てきた。差出人は「南雲泰子」。

その中には、小さな鍵が入っていた。

「何かを開ける鍵だとしたら、、、」俺は急にスイッチが入った。まるで金田一のように。

鍵の刺さる机の引き出し

机の中からは封印された戸籍の原本が出てきた。「おぉぉ…」俺は思わず声を上げた。これは、生前に本人が意図的に隠したものか?

「やっぱり、本名は南雲雅也だったんですね」

戸籍を読むと、寛司は偽名で生活していたことが判明した。

遺された書類と家系図の空欄

書類の中には、手書きの家系図があった。だが、最後の欄だけが空白だった。

それは、認知されていない子どもの可能性を示していた。

「これ、確認しましょう。絶対どこかに繋がってます」サトウさんが言い切った。

うっかりの中の閃き

俺がふと落としたファイルが机から散らばった。その拍子に、一枚の書類がサトウさんの足元に舞い落ちた。

「これ、何かの写し?」彼女が拾い上げたそれは、古い戸籍の附票だった。

それには、「長野県佐久市」に転出した記録があった。やれやれ、、、うっかりにも意味はあるらしい。

焼却処分されていない戸籍謄本

佐久市の役場には、奇跡的に古い戸籍が保管されていた。

そこには、南雲雅也の“非嫡出子”として、「南雲千尋」という名が記載されていた。

生年月日からすると、現在33歳。生存が確認されれば、正当な相続人だ。

やれやれ、、、またかという違和感

俺は首を鳴らした。「これで3件目だよな、非嫡出子絡み」

サトウさんが「司法書士って家族の秘密を暴く職業でしたっけ」と皮肉った。

それでも、心のどこかで達成感があった。

サトウさんの推理と背中のひと押し

千尋氏は都内で会社員として働いていた。確認のため連絡をとると、驚きながらも父親の名を聞いて涙ぐんだ。

「会ったことはありません。でも、母から話は聞いていました」

サトウさんがその姿を見て、少しだけ目を細めたように見えた。

同姓同名の存在

一つだけ引っかかっていたのは、もう一人「南雲千尋」という人物の存在だった。だが、生年月日や住所が違っていた。

「きっと、あの人は間違って記録されてたんですよ。うっかりで」

サトウさんが、俺の顔を見て皮肉っぽく笑った。

あの家に住んでいた本当の人物

南雲雅也こと中村寛司の人生は、家族に背を向けた孤独なものだった。しかし、彼は最後に鍵を遺した。それは娘への唯一のつながりだった。

「司法書士って、探偵みたいなもんだな」俺はぼそりと呟いた。

眠っていた戸籍の証明

必要な書類を揃え、家庭裁判所に「相続人存在証明」を提出した。

審理を経て、南雲千尋が正当な相続人と認定された。

長く眠っていた家に、ようやく人の気配が戻ることになる。

新潟の分家と三番目の妻

その後の調査で、雅也には三度目の結婚歴も判明した。だが、それも戸籍には残されていなかった。

「こういう人生もあるんですね」とサトウさんが漏らす。

俺は窓の外を見て、遠くの雲を眺めていた。

証明されたただ一人の相続人

あの家は千尋に引き渡され、再生の準備が始まった。彼女は「父の居た場所を知れてよかった」と微笑んだ。

サトウさんは相変わらず塩対応だったが、帰り際に俺に缶コーヒーを投げて寄こした。

「うっかりが役立ちましたね、先生」それが彼女なりの労いだった。

登記完了と最後の報告

全ての書類をまとめ、登記完了の報告書を送付した。書類が一つずつ片付くたびに、俺の肩の荷も軽くなる。

「人がいない事件ほど、重いですね」とサトウさん。

「やれやれ、、、また静かになるか」と俺は独り言ちた。だけど、明日は明日で新たな依頼が舞い込むのだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓