気づけばもう夜になっていた日
朝はそれなりに清々しい気持ちで始まった。コーヒーを淹れて、机に向かい、「今日こそはやるべきことを一通り片付けるぞ」と静かに気合いを入れる。だが、それも束の間。数件のメールに返事を書いていたら、電話が鳴り、思ってもみなかったトラブルの対応に追われることになる。気づけば昼、そしてそのまま夕方。書類の山はほとんど減っておらず、ただただタスクに追われるだけの一日がまた過ぎていく。こんな日が何日続いたか、もう正直わからない。
朝のうちはやる気もあったはずなのに
朝起きたとき、空は晴れていた。洗濯物もよく乾きそうな日差しで、少しだけ心が前向きになった。簡単な朝食をとり、事務所へ向かう。事務員さんも「今日は登記書類を優先でいきましょうか」と声をかけてくれる。そう、始まりは悪くなかったんだ。だが、案件の確認をしようとした矢先に、司法書士会からの照会対応メール。電話対応で15分。そこから相続の相談電話。書類の内容も複雑で、なかなか集中できず、朝のやる気は少しずつ削られていった。
気がつくと目の前の書類に埋もれていた
デスクの上は常に混沌としている。依頼者ごとに整理しているつもりでも、緊急対応が入るとすぐにバラバラになる。登記申請に必要な添付書類、郵送で届く戸籍の束、訂正依頼された委任状。あらゆる書類が入り混じる中、「これはどの案件のだっけ?」と立ち止まる瞬間が増える。最初はスムーズだった事務作業も、午後になる頃にはその流れが完全に崩れてしまっているのだ。
電話とメールに意識を持っていかれる
司法書士の業務は、案外“待つ時間”が多い。役所からの返答、法務局からの補正連絡、依頼者からの確認連絡。それぞれが“ちょっとした対応”のようでいて、実際はそのたびに頭のスイッチを切り替えなければならない。その切り替えにこそエネルギーを消費する。メールで「至急お願いします」と言われると、こちらも無視できず、結局その対応で30分は消えてしまう。そうして集中力は削がれ、何も終わらない。
昼食もろくに取れない生活リズム
正午を過ぎても、お腹は空かない。ただただ、時間に追われているだけ。結局、机の引き出しに常備してあるカロリーメイトをかじるだけで済ませてしまう。何日連続でまともな昼食を取っていないだろう。コンビニに行く時間さえ、もったいなく感じてしまう。そんな状態が続くと、体力よりも気力が落ちていくのを感じるのだ。
カップ麺すら伸びるタイミングで食べる
一度だけ、「今日はカップラーメンにしよう」と思ってお湯を注いだ日があった。3分のタイマーをかけ、机に戻って作業をしていたら、電話。内容は急ぎの登記修正の相談で、想定以上に長引いた。電話が終わって思い出したときには、10分以上経っていた。蓋を開けると、麺はふやけ、汁を吸い尽くしていた。もう笑うしかない。これが“忙しい”ということの象徴なんだと思った。
それでも「忙しそうですね」と言われる違和感
「先生、いつも忙しそうですね」—言われるたび、何とも言えない気持ちになる。確かに忙しい。でも、それが“充実している”という意味ではない。自分の意思で何かに集中できる時間がないだけだ。走らされているだけ。追われているだけ。なのに、「忙しい=充実してるでしょ」と言われると、モヤモヤが残る。そんな自分が、嫌になる。
やるべきことは終わっていないのに
一日の終わり、やり残したことが山積みのまま時計を見上げる瞬間が、一番つらい。今日できなかったことを、明日に持ち越す。それを繰り返すうちに、未来への希望すら薄れていく感覚に襲われる。「やった」という実感が一切ないまま、今日が終わる。それがこの仕事の一番しんどい部分かもしれない。
「今日こそ片付ける」が毎日延長戦
タスク管理アプリには、毎朝「今日やること」が並ぶ。だが、終業時刻を過ぎても、それが消えきった試しはほとんどない。「明日こそ」「今週中には」と思っても、次から次へと緊急案件が飛び込んでくる。延長戦が常態化し、ゴールのないマラソンを走らされている気分になる。正直、心がどこかですり減っていく音が聞こえる。
完了の見えない登記案件との闘い
登記は“終わる仕事”だ。理屈ではそう思っている。でも、現実は違う。添付書類が足りない、委任状が違う、依頼者の意思確認が曖昧——ひとつでも引っかかると、すべてが止まる。そしてその“止まった案件”の数がどんどん増えていく。自分が処理できるスピード以上のペースで、未完了の仕事が積もっていくのだ。心が休まる暇がない。
終わった頃には集中力も切れている
ようやく1件、完了できたとしても、時計を見れば21時を過ぎている。達成感も薄く、ただ脱力だけが残る。もう何かを新しく始める気力はない。ただ帰って寝るだけ。こんな繰り返しの毎日で、自分はどこに向かっているのか。何のために司法書士になったのか。ふと、そんな根本的な問いが頭をよぎる。
誰にも言えない空虚さと孤独
誰かに弱音を吐けたらいいのにと思う。でも、職業柄か性格か、「甘えるのはダメだ」とどこかで思ってしまう。相談される側である立場が、時に自分の苦しさを否定してしまう。そんな自分が情けない。でも、それを誰かに打ち明けることすらできない。事務所の帰り道、車の中でラジオを聞きながら、ふと涙が出そうになる。
「誰かと話したい」と思う頃には深夜
夜10時過ぎ、パソコンを閉じる頃にようやく、少しだけ気持ちが落ち着く。そして「誰かに話したい」と思う。でも、こんな時間に連絡できる相手なんていない。飲みに誘う友達もいないし、そもそもそんな元気もない。誰にも迷惑かけずに誰かに寄りかかる、そんな都合のいい関係なんて存在しないことは、もう十分に知っている。
SNSを見る気力もないまま寝落ち
スマホを手に取り、インスタやXを眺めようとする。でも、指が止まる。誰かの楽しそうな投稿を見るのが怖い。自分が置いていかれているような気がして、余計に虚しくなるからだ。ベッドに横になったまま、スマホを顔に落として、「ああ、またこんな終わり方か」と思いながら、そのまま寝落ちする。充実感とは程遠い夜だ。
こんな日々を誰に伝えればいいのか
このコラムを書いている今も、本当は迷いがある。「こんなことを書いて誰が得するんだろう」「ただの愚痴じゃないか」——でも、それでも書かずにはいられなかった。同じように、ただひたすら働いて、何も得られていないような気がしている人がいたら、少しでも「自分だけじゃない」と思ってもらえたら、それで十分だ。