急ぎますって言われた書類が止まっている現実
「急ぎますので、よろしくお願いします!」そう言われて受け取った書類が、こちらの机の上でひっそり眠っている。処理はもう済んでいる。でも、依頼者からの返事がない。補正の連絡も、次の資料も、何も来ない。こちらとしては、あの熱量はどこへ行ったんだろうと思ってしまう。急ぎって、言葉だけで片づけられて、こちらの気持ちだけが置き去りになる。なんだか、悲しくなるような、力が抜けるような気分になる。
「急ぎです」って言葉の軽さに慣れてしまった
最初の頃は「急ぎます」と言われると、こっちも「おお、急がねば」と身を引き締めていた。でも何度も同じ目にあってきた。そう、あの「急ぎです」が、実は全然急いでないパターン。こっちはその一言でスケジュールを調整して、下手すりゃ昼休みも削って書類を仕上げたのに、依頼者からの返事は3日後とか。もう慣れました。いや、慣れたくはないけど、こっちの体がもたないんですよ。
本当に急いでる人はそんな言い方しない
皮肉なことに、本当に切羽詰まってる人って、「急ぎです!」とはあまり言わない。静かに、でも本気の目をして「すみません、実は○日までに間に合わないと困るんです…」と頭を下げる。その真剣さは言葉じゃなく空気で伝わってくる。こっちも人間だから、そういう空気にはちゃんと応えたくなる。でも、「急ぎです!今日中に!」みたいなテンション高めの人ほど、実際にはそれほど緊急じゃなかったりする。経験上、そういう傾向がある。
急いでって言う割に連絡が来ない不思議
これは司法書士あるあるだと思うけど、「急ぎだからお願い!」って言われてやったのに、その後の返事が一向に来ない。補正のお願いの電話をかけても「ちょっと確認して折り返します」と言ったまま、今日で一週間。こっちはその案件を進められないまま保留フォルダに置いて、なんとなくモヤモヤしながら他の仕事をこなす。「急ぎ」とは何だったのか。タイムマシンでも開発されたんだろうかと疑いたくなる。
書類が止まるとこっちの気持ちも止まる
処理が途中で止まると、気持ちも中途半端なまま残る。片づけたつもりで片づいていない。やりかけの書類って、見てるだけで気持ちがソワソワする。これは仕事だけじゃなく、人生にも通じるのかもしれない。なんとなく、自分の中で「これが終わらないと前に進めない」って感覚になる。でも、それがいつ終わるのか分からない。いや、終わらないかもしれない。そんな不安を抱えて、毎日を過ごしている気がする。
手をつけてしまった分のモヤモヤ
完全に着手前なら「まだやってません」と言い切れる。でも、少しでも手をつけてしまった案件って、頭の中に引っかかり続ける。特に、自分の中で「これは優先順位高め」と判断して取りかかった案件ほど、宙ぶらりんになるとストレスが大きい。まるで、野球の試合で打席に立ったまま、ピッチャーがいつまでも投げてこないような気分。構えたまま、ずっと待たされてる。筋肉痛になるわ。
進めていいのか悩んで時間だけが過ぎる
「もしかしたら、あれ先に進めちゃってよかったのかな…?」と迷っているうちに、他の案件が入ってきて、スケジュールはぐちゃぐちゃに。でも、勝手に進めるのも怖い。依頼者に確認してからじゃないとトラブルになるし、何より信頼関係が崩れる可能性がある。結局、こちらが慎重になればなるほど、仕事が滞るというジレンマ。時間だけが過ぎて、結論は出ず。なんとも歯がゆい。
急ぎ対応が空回りしてしまうこともある
こちらが急ぎ対応した案件に限って、なぜか空回りすることが多い。間に合わせようと徹夜して書類を整えたのに、相手は「実は先方の都合で延期になりまして」なんて平然と言う。こっちは寝不足の目をこすりながら、「あ、そうですか…」としか言えない。その場では笑って流すけど、内心は「だったらもっと早く教えてよ…」という思いが渦巻く。
徹夜対応のあとに来る虚無感
これはもう、司法書士に限らず、全職種共通のあるあるかもしれない。こっちは「絶対間に合わせなきゃ」と思って、夜中までパソコンに向かって書類を仕上げた。でも朝になっても連絡がない。結局、その日何のリアクションもないまま終わる。あの虚無感。脳内BGMは「なぜベストを尽くしたのか」だ。いくら仕事とはいえ、報われなさすぎる夜明けがある。
こちらの「急ぎ」は誰にも伝わらない
実は、依頼者からの「急ぎです」に対して、こちらも「急ぎで仕上げました」と伝えても、「そうなんですね〜」で終わってしまう。あちらからすると、こちらがどれだけ時間をかけて、どれだけ詰めて処理したかなんて、想像すらしていないのかもしれない。「急ぎ」と言われて必死に対応したこちらの気持ちは、誰の記憶にも残らずに風化していく。ちょっと、寂しいよね。
やっぱり自己責任ってことになるのか
最終的に「急ぎに振り回されるのも、自分の判断だから自己責任か」と思ってしまう。でも、そう思うこと自体がちょっと悲しい。誰かを責めたいわけじゃないけど、もう少し相手もこちらの状況を想像してくれたらなと思う。それが叶わないからこそ、こちらは毎日、書類と睨めっこしながら、自分のペースを守る努力を続けるしかない。
結局「急ぎ」って誰の都合なんだろう
「急ぎます」って、結局その人の都合なんだよなと思う瞬間がある。こっちの状況はお構いなし。たとえば、月末の登記ラッシュの時期に「どうしても今週中に」と言われても、すでに手一杯な状態では無理がある。それでも断れない自分にも腹が立つ。言い方は悪いけど、「急ぎ」は他人の感情の押し付けにもなりかねない。だからこそ、こちらは慎重にならざるを得ない。
依頼者の焦りとこちらの準備は別物
依頼者が焦っているのは理解できる。でも、こちらが対応するには準備が必要。書類の内容確認、必要書類の収集、補正の有無、登記のスケジューリング。何もかも一気には進められない。「焦ってるんで今日中に」なんて言われても、物理的に不可能なこともある。焦っている気持ちは伝わるけど、焦るならもっと早く依頼してほしかった、というのが本音。
急がせる人ほどスケジュールに無頓着
「急ぎ」と言ってくる人ほど、「じゃあこの日までに必要書類を用意してください」と言っても忘れていたり、「その日出張で行けないんですけど」と言ってきたりする。こちらとしては予定を組んで動いているのに、まるで自分の都合しか考えていないような対応をされると、正直やる気が削がれる。だったら最初から普通に依頼してくれた方が、よっぽどスムーズに進むのに。
期待に応えたい気持ちとのズレ
こちらも人間なので、依頼者の期待には応えたいと思う。でも、その期待が一方通行になると、やっぱりしんどくなる。「頼れる司法書士さんですね」と言われたあとに、音信不通になる依頼者とか、割と普通にいる。そのたびに、「俺って何だったんだろうな」と自問する。仕事って、人間関係だと思ってるだけに、余計にこたえる。
いい人でいようとするほど疲れる
「断らない司法書士でありたい」と思ってた。でも、それは時に自分を追い込むことになる。全部引き受けて、全部対応して、全部早く仕上げようとする。そうやって自分のキャパを超えて、勝手に疲弊していく。たぶん、自己満足だったんだろうなと思う。いい人でいようとすることが、誰かのためになるわけでもなかった。むしろ、長い目で見たら信頼を損なう結果になることもある。
優しさが利用される瞬間
やっぱり、「この人は断らない」と思われてしまうと、利用されやすくなる。「先生にお願いすれば、なんとかしてくれる」そう思われるのは誇らしい反面、だんだんとプレッシャーになる。優しさが武器になることもあれば、足かせになることもある。そのバランスが難しい。最近は、「断ることも優しさだ」と言い聞かせるようにしている。
断る勇気が持てない自分も悪い
本当は断るべき場面も、断れずに受けてしまう。自分の中にある「嫌われたくない」という気持ちが邪魔をする。依頼者との関係を壊したくない、自分の評判を落としたくない。そんな気持ちが勝ってしまって、結局、自分の首を絞めている。わかってるのに、変われない。これもまた、独身司法書士あるあるかもしれない。
元野球部的には割り切りが大事かもしれない
野球をやってた頃、試合に出られなくても、腐らずにベンチで声を出し続けた。今思えば、あの感覚が今の仕事にも必要なのかもしれない。出番が来るまで静かに準備して、来たら全力で対応する。来なければ、それはそれ。コントロールできないことに腹を立ててもしょうがない。割り切る力、それこそがこの仕事には必要なのかもしれない。
ボールが来なきゃ動けない
ピッチャーが投げてこない限り、バッターはバットを振れない。書類も同じ。依頼者からの連絡や資料がなければ、こちらも何もできない。それを焦っても仕方ない。そう思えるようになるまで、10年以上かかった。でも今では、無理に動かず、待つことも仕事のうちだと思っている。静かに構えて、来たボールを確実に打ち返す。それで十分だ。