依頼人は誰も知らない会社だった
八月の朝、いつものようにエアコンの効きが悪い事務所にいた僕の前に現れたのは、見るからに場違いなスーツ姿の男だった。
「この会社の復活登記をお願いしたい」と彼が差し出した書類には、誰も見たことのない会社名が記されていた。
一瞬、手品かと思った。司法書士歴二十年、見覚えのない法人はほとんどないが、これは完全に初見だった。
突如現れた謎の男性
男は名刺すら出さなかった。ただの「代理人」だという。しかも、委任状には代表印らしきものが押されていたが、それが本物かどうかの確証はない。
不思議だったのは、彼の目だ。何かを恐れているようで、しかし、何かを試すようでもあった。
「とりあえず、登記簿謄本取ってきますね」とサトウさんが淡々と告げ、無言で席を立った。
古びた登記簿と不自然な復活登記
戻ってきた登記簿には、十年前に解散し、清算結了された記録が載っていた。確かに休眠会社だ。
だが、清算の際に使用された住所と、男が提出した書類に記された所在地が微妙に異なっていた。
「なんか、サザエさんの家が急にマンション名ついてたみたいな違和感ですね」とサトウさんがボソッと呟いた。
休眠会社が動き出した理由
会社を復活させる理由は様々だが、今回のケースは妙だった。資産も従業員もない、ただの箱会社。
そんな会社を今さら復活させる意味がわからない。
しかも、登記されていた目的は「不動産取引」。そんな怪しげな目的を再設定してくるとは。
十年前の清算手続きの不備
当時の清算登記を見ると、清算結了登記がギリギリで申請されていた。
書類の整理が雑で、議事録の中身もテンプレートそのまま。まるで、早く終わらせたかったかのようだった。
「これ、誰かが意図的に処理を急いでた可能性ありますね」と僕は独り言のようにつぶやいた。
見覚えのある筆跡
ふと、議事録の筆跡に目が留まった。昔、相続の立ち会いで見た書き癖に似ていた気がする。
くるんと巻き込むクセのある「田」の字――確か、あのときの依頼人の名前は田島だったか。
それを聞いたサトウさんが「どうせ気のせいですよ」と言い放ったが、僕の第六感は騒いでいた。
不一致の実印と謎の委任状
委任状の印影を拡大してみると、微妙に歪んでいた。スキャンして貼り付けたような不自然さがある。
しかも、その代表者は既に死亡していたことが、戸籍から判明した。つまり、その印鑑を押せる人物は存在しない。
「これは偽造ですね」とサトウさんがため息混じりに断言した。
法務局からの奇妙な照会
さらに追い打ちをかけるように、法務局からの照会が届いた。「この会社は確かに清算済ですか?」というものだった。
普通ならこちらが確認する立場なのに、先に向こうが動いている。
つまり、誰かが同時並行で動いているということだ。僕の背中に汗が伝った。
サトウさんの冷静な一言
「この件、たぶん土地がらみですよ」
淡々と告げたサトウさんは、法務局の地図情報から、かつてこの会社が所有していた土地がいま再開発区域になっていることを突き止めた。
「何十億単位で土地動いてますね。そりゃ復活させたいですよ」と。
シンドウの独自調査開始
こうなったら、元野球部の勘を信じるしかない。町役場で古い資料を漁りはじめた。
昔の地図に載っていた「●●産業」という社名。今は見る影もないが、場所は間違いない。
なぜこの会社だけが跡地に復活しようとしているのか。
町役場で手に入れた古い新聞
閲覧室で見つけた地元新聞には、十年前の土砂崩れ事故の記事が載っていた。被害者に「田島信義」の名。
しかも彼は代表取締役で、その事故の数日後に会社は解散していた。
タイミングが良すぎる。
記事に写り込んだ人物
写真の端に写る、あの男――そう、今朝現れた「代理人」だ。
名前も出ていないが、その顔は間違いない。生きていたのか。
復活登記の裏に、死人の土地を横取りしようとする者がいたのだ。
失踪者リストとの一致
警察庁の公開失踪者リストに、十年前の災害以降行方不明となった人物として載っていた男の顔写真。
一致した。彼はずっと地下に潜っていたのだ。
不動産の価値が上がるのを待っていたのだろう。
死亡したはずの男の名
役所の記録に誤って死亡として処理された形跡もあった。届け出をしたのは「田島の妹」――だが、そんな人間の戸籍は存在しない。
つまり、最初から全部仕組まれていた。
十年かけて完璧な計画を練ったのだ。
相続人の不審な動き
そして、最近になって「失われた登記を取り戻したい」と言ってきた別の依頼人。調べてみれば、その人も地元に縁がない人物。
しかも、同じ男の筆跡だった。
登記の影で、影武者を使ってまで土地を奪おうとしていたとは。
書類の改ざんとその目的
全ての書類を一枚一枚確認し、不自然な箇所を洗い出す作業は、気が遠くなるほどの作業量だった。
けれど、決定的な証拠が出た。委任状の住所には存在しない番地が記されていたのだ。
そんな単純なミスが、全てを覆した。
実印の謎を解く鍵
印影に仕込まれたわずかなインクのズレ。その特徴を照合したところ、偽造に使われたのは三年前に盗難届が出ていた印鑑だった。
どこかの誰かが倉庫を荒らし、実印を手に入れていたのだ。
「やれやれ、、、まさかここで印鑑泥棒が伏線になってくるとは」と僕は頭を抱えた。
隠された不動産の存在
その土地には、実は地下に古い避難壕があり、地元自治体との交渉が止まっていたことが判明。
誰かがその情報を隠したまま登記だけ復活させ、売却しようとしていたのだ。
まるでルパン三世の泥棒計画みたいな綿密さだった。
追い詰められた依頼人
最終的に、依頼人は法務局で照会された内容に対し、答えられず崩れ落ちた。
サトウさんの目は冷ややかだった。「もっと頭の良い偽造犯なら、もう少し時間稼げたかもですね」と。
僕は、ただ黙って訂正登記の書類を作り始めた。
サザエさんの家系図でたとえると
「これ、カツオが実はマスオさんの兄ってくらい話がねじれてますね」
そう言ったサトウさんに僕は、「フネさんの戸籍、確認しておくか」と答えた。
疲れてるのか、サザエさんで喩えた会話しかできなくなっていた。
ついに明かされる正体
依頼人の正体は、かつての経理担当者だった。事故後にすべての書類を処分し、自分の名前を偽り続けていたのだ。
復活した会社の名義で土地を奪う計画は、結局その場で破綻した。
でも、きっと彼はまた別の会社を見つけるのだろう。
最後の決め手は野球の記憶
かつて野球部だった僕は、彼が署名した「しんどう」の文字の書き癖に違和感を覚えていた。
投球フォームの癖のように、人の書く文字にも型がある。
それが、嘘を暴く最後の鍵になったのだ。
サインの癖と過去のチームメイト
「この“ど”の跳ね方、甲子園のスコアボードで見たことある」
高校時代の写真を引っ張り出すと、そこには依頼人と肩を組む僕の姿があった。
皮肉な再会だった。
やれやれ、、、ようやく一本取れたか
「登記で真相が見えるって、どういう人生だよ」
そう呟きながら、僕は案件の報告書を書き終えた。
やれやれ、、、ようやく一本取れたか。久々に自分を褒めたくなった。
サトウさんの淡々とした締め
「で、今日の郵便物はどうします?」
事件の余韻も何もないサトウさんの声が、現実に引き戻してくる。
「はいはい、わかりましたよ」と僕は机の上の封筒を手に取った。
手間ばかりかかる登記の結末
結局、登記とは手間のかかるものだ。正しくても疑われ、間違っていても誰かが通す。
だが、正義のかけらでも拾えるなら、この仕事は悪くない。
そう思いながら、僕は次の依頼人を迎えた。
また一つ休眠会社が静かに眠った
復活登記は却下され、会社は再び静かな眠りについた。
誰も知らないまま、登記簿の片隅でそっと眠る――それが彼らにとっての最善だったのかもしれない。
そして僕は、また一つ謎を抱えながら、次の依頼に向かうのだった。