誰にも聞かれていないはずの独り言がつい漏れる夜
日が暮れて、事務所にぽつんとひとり残される時間がある。もう一人の事務員も帰り、あとは書類をまとめて帰るだけ……のはずなのに、手が止まってしまう。静まり返った空間で、ふと漏れてしまう。「ったく、またこの登記かよ……」そんな独り言が、やけに響く。誰も聞いていない。でも、どこかで誰かが「大変だね」と返してくれたら、どんなに楽だろう。そんな夜が、ひと月に何度あるだろうか。
机に向かってぼそっと漏れるつぶやき
誰に向けたわけでもないけれど、思わず声に出してしまう言葉がある。登記のミスを発見したとき、予定どおりに進まない案件、相続で揉める家族に巻き込まれた日……。気づけば、「あ〜もう……」とぼそり。前の職場で、先輩がよく独り言を言っていたのを思い出す。当時は少し変な人に見えていたけれど、今ならわかる。独り言って、心の圧を少し抜いてくれるバルブなんだ。
「またやり直しかよ」の独り言が染みてくる
とくに多いのが、修正が必要になった登記のとき。たとえば住所が一文字違っていたとか、添付書類の期限が1日切れていたとか。些細なことなのに、また役所に行き直し。そんなときについこぼれるのが、「またやり直しかよ」。冷たい蛍光灯の下で、一人ぽつりとつぶやいたその言葉に、自分でグサッとくる。「やり直しばっかりだな、俺の人生……」なんて、余計な連想までついてくる始末だ。
誰もいないのに癖になった小さな声の習慣
気づけば、それは癖になっていた。人がいないとき、いや、人がいても無意識に小声でつぶやいている。「ふーん、そう来たか」とか「これはめんどくさいな」とか。別に誰かに聞いてほしいわけでもない。けれど、その独り言が思考の整理にもなっている。そして、どこかで誰かが「うん、わかるよ」と言ってくれる気がしている自分がいる。そんな自分にちょっと驚くこともある。
事務所に響くのはキーボードの音だけ
日中は電話も鳴るし、相談者も来る。事務員とのやりとりもあって、そこそこ賑やかだ。けれど、夕方を過ぎると急に静けさが訪れる。その瞬間が、なんとも言えず寂しい。キーボードを叩く音だけがカチャカチャと響き、自分の存在を確認するような感覚になる。都会ではない、地方の一人事務所のリアルだ。
話し相手はプリンターだけという現実
人と話すこともなく黙々と作業をしていると、時折、プリンターの印刷音が妙に頼もしく思える。紙を吐き出すあの音が、孤独な時間を少しだけ埋めてくれる。「お、調子いいな今日」と、つい話しかけてしまうこともある。もちろんプリンターは何も返してこない。でも、こうして何かに話しかけてる時点で、話し相手が欲しい気持ちは相当こじれてるのかもしれない。
電話が鳴らない日の不安と焦り
電話が鳴りやまない日は疲れる。けれど、電話がまったく鳴らない日もまた、不安になる。「あれ、今日大丈夫だったっけ?」「仕事、減ってきたのかな?」そんなことを考え始めると、集中力も途切れてしまう。独り言も増える。「電話こい……」って祈るような声になっている。静かな一日は、恐ろしく孤独で、そして何より、収入の心配がチラつくのだ。
事務員には気を遣って言えない愚痴
事務員に全部を見せるわけにはいかない。ミスをしても、「まぁしょうがない」と笑って流す。でも内心は「またかよ……」と独り言が爆発している。その愚痴を聞いてくれる同僚もいない。仕事場にもう一人でも司法書士がいれば、少しは気持ちも分かち合えるのかもしれないけど……。地方の一人事務所って、そういう部分も含めて、なんとも孤独だ。
返事がほしいわけじゃないけど返事がほしい
矛盾しているようだけど、これは本音。「誰かに返事をしてほしい」わけじゃない。けれど、もし返事があったら、それはたぶん泣くほど嬉しい。心の中の空洞に、ぽんと優しく響く言葉が届いたら、それだけでやっていけるような気がしてしまう。
人に期待しないふりをしながら期待している自分
独身で、人付き合いもあまり得意じゃない。女性にも縁がなくて、週末は野球中継を観て終わる。そんな生活の中で、誰かに「頑張ってるね」と言ってもらえる機会は少ない。だからこそ、心のどこかで期待している。「あの人、気づいてくれるかな」なんて。でもそれは見透かされたくないから、あくまで独り言で誤魔化している。こっそり、期待しながら。
「わかります」だけで救われる瞬間
たまに同業者と話す機会があって、「その気持ち、わかりますよ」と言ってもらえることがある。そんなときは、本当に救われた気持ちになる。専門的な話じゃなくていい。ただの共感、ただの「うん、しんどいよね」って言葉。それだけで、また明日も頑張ろうと思えるから不思議だ。
同業者のSNS投稿に勝手に落ち込む日
つい開いてしまうSNS。司法書士仲間が「今日は〇件登記完了!」なんて投稿してると、自分と比べてしまう。そして独り言が漏れる。「俺、今日何してたんだっけな……」って。画面越しに励まされることもあれば、逆に打ちのめされることもある。SNSは便利だけど、心に効く毒にもなる。
元野球部の仲間との再会が支えになるとき
そんな自分でも、昔の仲間と会うと少し気が抜ける。元野球部の連中は、変わらずバカみたいに明るくて、今でもグラブを持って集まるやつもいる。仕事の話はあまりしないけれど、それがちょうどいい。無理に説明しなくても、「なんか最近キツいな」ってボールを投げながら言えば、それで伝わる感じが心地いい。
グラウンドでは声を出せていたあの頃
高校時代、炎天下のグラウンドで怒鳴りあっていた日々。キャッチャーからの返事、ベンチからの掛け声。どんなに疲れていても、あの頃は声を出すことに意味があった。今ではもう、誰かの声を待ってるだけになってしまった気がする。あの時の自分に、少しだけ戻れたらと思うことがある。
仕事の話はしないが心が軽くなる会話
「最近どう?」くらいの雑な会話。でもそれがいい。専門用語も報酬額の話もいらない。缶ビール片手に、昔の恋バナをバカみたいに笑ってるだけで、不思議と心が軽くなる。「あー、まだ生きてていいかもな」って思える。それだけで、また事務所に戻る気力がわく。
「おまえ変わってないな」が嬉しかった
「変わってないな、おまえ」って言われた。それがなんだか嬉しかった。変わってないってことは、悪くなってないってことだと勝手に解釈した。自分ではいろんなものを抱えて必死だったけど、外から見たらそんなに変わってないなら、それでいいやと思えた。
独り言が癒しになることもある
結局、誰にも届かなくても独り言をつぶやく自分がいる。それはもう否定しないことにした。独り言でしか自分を保てない時があるなら、それでいい。返事がなくても、返事があるような気がしていれば、それでいい夜もあるのだ。
自分で自分を励ます言葉
「よし、今日もやったな」と、帰る前にひとり言う。たったそれだけで、少しだけ報われる。誰かが評価してくれるわけでもないし、明日の予定が楽になるわけでもない。でも、自分の言葉で自分を癒す。それができるなら、この仕事もまだ続けられる気がする。
「今日も頑張ったな」と小さくつぶやく
夜道を歩きながら、ふと小さく言う。「今日も頑張ったな」。誰も聞いていないのに、どこかで誰かが聞いてくれている気がする。その小さな願いが、たぶん孤独と共存する力になっている。司法書士として、ひとりの人間として。
独り言が心の整頓になる不思議
ぐちゃぐちゃな気持ちを吐き出してみると、意外とスッキリする。誰かに話すには勇気がいるけれど、自分に話すだけなら気楽だ。独り言って、心の引き出しを少しずつ整えていくような作業なのかもしれない。そして、今日も小さな声でつぶやく。「また明日もやってみるか」