気を抜いた一瞬が補正の原因になる
書類を作って提出して、「よし終わった」と思ったら、まさかの補正。理由を見て目を疑った。「ホチキスの位置が違うため補正」。…そんな理由ある?と最初は笑いそうになったが、笑えなかった。自分の仕事の段取りがすべて狂ったからだ。忙しい日々のなか、時間をかけて整えた書類が、そんな些細なことで戻される。何年やっても慣れない。いや、慣れた気でいるとこうなる。地味に、心がすり減る瞬間である。
ホチキスの場所くらいでと笑った自分に返ってくるもの
補正通知を受け取ったとき、最初に浮かんだのは「まさか」であり「嘘だろ」だった。事務員が止めたホチキスが左上じゃなく中央寄りだった。それだけで全部やり直しだ。昔なら笑ってたかもしれない。でも今は笑えない。時間も手間も費用も、自分の責任で跳ね返ってくる。数ミリのズレが、自分の信頼や信用を揺るがすのだから怖い。司法書士って、こういう小さなルールとの戦いなのかと、改めて感じた。
なぜそこまで細かい指示が必要なのか
提出先によってルールが違う。ある法務局は「左上ホチキス」、別の支局では「真ん中上部ホチキス」がルールだ。どこかの建物で、支局ごとに机の配置が違うのかとすら思いたくなる。これを毎回調べて、注意喚起して、誰かに任せるならなおさら伝えなければいけない。書類の内容よりホチキスに気を取られるとは、我ながら情けない気分になる。けれど、これを疎かにするとまたやり直し。もう笑えない。
事務員に任せた自分にも責任はあるのか
事務員の彼女は悪くない。指示を出さなかった自分の責任。そう分かっていても、どこかで「気づいてくれよ」と思ってしまう。でもそれは自分の甘えだ。仕事の責任は最終的に自分が背負う。だからこそ、任せた以上は細かく伝えねばいけない。それができなかった時点で、結局「誰が悪い」とかじゃなく、「また無駄な時間が増えた」という事実だけが残る。やるせないが、それが現実だ。
補正の連絡を受けた瞬間の気持ち
電話で「補正です」と言われた瞬間、脳内が真っ白になった。予定を詰め込んだ今日のスケジュールがすべて崩れる。今から取りに行って、直して、再提出…いや、今夜の予定はキャンセルだなと。ふと、昔観た野球部時代のエラーを思い出した。「ちょっとの油断で台無しになる」。あの時も、今も、あまり変わってないのかもしれない。
忙しさと焦りが判断力を鈍らせる
補正が出る時って、大体急ぎの時だ。不思議と。余裕がない日、頭の中がぐちゃぐちゃな日、誰かの電話がひっきりなしに鳴る日。そういう日に限って、こういう単純ミスをする。つまり、環境が悪いと自分の判断力も精度も下がる。人間ってそういうもんだ。でも、それを理由にできないのがこの仕事。悔しいけど、それがこの世界の常識。
役所に行くたびに小さく心が削られていく
補正のために役所に行く。それ自体が苦行だ。提出済みの書類を返され、「ホチキスが違いますね」と言われる。まるで小学生の頃に先生にノートを赤で直された気分。自分の存在が否定されるような、そんな痛みがある。誰も悪くないのに、どこかにぶつけたくなる感情。でも、何も言えずに小さくうなずいて受け取る自分。ああ、今日も削られたな、と思う。
繰り返さないための対策がまた面倒
ミスを二度と繰り返さないための仕組みづくり。それを考えるのは嫌いじゃない。でも正直、面倒だ。書類作成のマニュアルを作る、法務局ごとのルールをまとめる、提出前にチェックリストを作る…。やれば確かにミスは減る。でも、時間も気力も削られる。効率化って、やればやるほど非効率なんじゃないかと思う瞬間もある。
マニュアルを作っても守られない現実
何度も作ってきた。チェックリストも付けた。壁にも貼った。けど、それでもミスは起こる。人間だから。自分も事務員も。だからこそルールがあるのに、それを守れないこともある。じゃあ、どうするか?といえば、結局また自分が全部やる。マニュアルなんて、実行されなければただの紙だ。悲しいけど、それが現場のリアルだ。
事務員さんの苦笑いに何も言えない自分
「すみません、ホチキス…間違えちゃいました」と言われたときの、あの申し訳なさそうな笑顔。責めることなんてできない。責めても意味がない。むしろ「言い方に気をつけなきゃな」と思って、自分が黙って受け入れる。でも心の中では「またか…」とため息が出る。声には出さないけど、出そうになる。
怒る気力すらなくなる日もある
以前ならもっと感情的になったかもしれない。でも今はもう、怒る体力すら残っていない。「ああ、また直そうか」「大丈夫だよ」とだけ言って、黙ってパソコンを立ち上げる。そんな日々を繰り返していると、自分が感情をどこかに置いてきてしまったような気がしてくる。疲れてるんだろうな、と気づく。
結局全部自分でやった方が早いと思ってしまう
任せることで生まれる時間もある。でも、任せることで増える手間もある。最近はその計算が合わない。だから、「もう最初から全部自分でやろう」と思ってしまうこともある。結果的に余計に忙しくなるのに、それが一番確実だから。不器用で、疲れてるけど、結局それが今の自分のやり方なんだ。
効率と信頼のバランスに悩む毎日
人に任せたい。信頼したい。でも、補正が続くと「次も何かあるかも」と疑ってしまう自分がいる。信頼って、崩れるのは一瞬だけど、築くのには時間がかかる。効率を取れば信頼が揺らぎ、信頼を取れば効率が下がる。そんなジレンマを抱えて、今日も小さな選択に悩む日々だ。
一人事務所の限界がじわじわ見える
人手はない。相談できる相手も限られている。だからこそ、自分が全体を見て動くしかない。でも、体はひとつしかない。やればやるほど限界が近づいてくる感じがある。補正通知一枚が、そんな現実を突きつけてくるのだ。
この程度で補正かと思いながらもまたやるしかない
内心では「たかがホチキスの位置で」と思ってる。でも、表では黙って受け入れて直す。それがこの仕事の流儀だ。ミスを笑ってる暇なんてない。補正は補正。やり直して提出して、また次の仕事に向かうしかない。虚しさと諦めが入り混じるなかで、今日も自分のペースで机に向かう。
小さな積み重ねが大きな疲労になる
たった一発のホチキス。それが、心のどこかをポキリと折る。そんな日もある。でもそれが何度も続くと、折れたまま戻らなくなる部分もある。小さな疲労の積み重ねが、仕事のやる気をじわじわ奪っていく。それでも辞めないのは、この仕事が嫌いじゃないから。不思議な話だけど。
自分のやり方が正しいのか見直すきっかけにもなる
ホチキスの件だって、結局は自分の甘さから出たミスだと思っている。だからこそ、次はもう少し工夫しよう、ルールを再確認しようと思える。補正は嫌だけど、自分を見直す機会にもなる。そんなふうに思えた日は、少しだけ前向きに仕事ができる。