大丈夫って聞かれてうまく答えられない

大丈夫って聞かれてうまく答えられない

本当に「大丈夫」なのか自分でもわからないとき

「大丈夫?」って聞かれると、咄嗟に「大丈夫です」と返してしまう。でも、心の中では全然大丈夫じゃないことが多い。司法書士の仕事って、表向きは冷静で淡々とやっているように見えるかもしれないけど、内心は常に不安やプレッシャーに押しつぶされそうになっている。自分でも気づかないうちに感情を押し殺す癖がついていて、誰かに聞かれても素直に「つらい」って言えない。そんな自分が情けなく思える夜もある。

聞かれるたびに自分を偽ってしまう苦しさ

事務員さんやお客さんから「先生、最近忙しそうですね。大丈夫ですか?」と聞かれることがある。そのたびに、苦笑いしながら「まぁ、なんとかやってますよ」なんて答える。でも実際は、やれてるかどうかなんて分からない。机の上には未処理の書類、電話は鳴りっぱなし。ひと息つく暇もなく、気づけば夕方。なのに「大丈夫」って言い続けるのは、誰にも迷惑かけたくない気持ちと、見栄と、昔からの癖が絡まってるからかもしれない。

笑ってごまかす癖がついてしまった理由

たぶん、高校時代の野球部での経験が根っこにある。エラーしても笑って「次頑張ります」って言えば怒られずに済む。そんな風に、自分を守る術としての「笑い」が身についてしまった。だから今でも、書類ミスしても、寝不足でフラフラでも、つい「大丈夫ですよ」と笑ってしまう。けど、そんな笑顔は嘘っぱちだって、自分ではわかってるんだ。

「気にしすぎ」って言われるのが一番つらい

「先生、気にしすぎですよ」と軽く言われたとき、正直かなり落ち込んだ。「気にしすぎ」って、まるで自分の感情が間違ってるみたいに聞こえる。でも、気にしてるのには理由がある。過去にミスしたときの後悔や、迷惑をかけたくないという想いがある。そういう背景も知らずに「気にしすぎ」と言われると、ただ黙って頷くしかなくなる。

司法書士という職業の性質と「大丈夫」の意味

司法書士の仕事って、依頼人から見れば「しっかり者」で「頼れる存在」でなければならない。だから「大丈夫じゃない」とは口が裂けても言えない雰囲気がある。失敗は許されないし、信頼を損なうと次の仕事に響く。そのプレッシャーの中で働いていると、たとえ内心が崩れそうでも「大丈夫」としか言えなくなる。

責任を抱えすぎていることに気づけない毎日

たとえば、相続登記ひとつとっても、関係者の感情が絡み合っていて、ちょっとした言葉選びを間違えれば火種になることもある。だから自然と「自分が何とかしなきゃ」という思いが強くなる。いつの間にか、依頼人の人生の一部を背負ってるような感覚に陥る。責任感というより、もはや呪縛。だから「大丈夫じゃない」なんて言えないんだ。

書類の山に埋もれて「助けて」と言えなかった日

月末の金曜日、補正書類の締切に追われていた日、朝から晩まで机にかじりついていた。事務員さんが「今日は残りますか?」と聞いてきたけど、思わず「大丈夫、一人でやるよ」と答えてしまった。正直、手伝ってほしかった。でも、頼るのが怖かった。「先生」と呼ばれる以上、弱さを見せてはいけないと思い込んでいた。

元野球部のクセで無理してしまう習性

野球部時代、熱があっても練習を休まなかった。「根性が足りない」と言われるのが嫌だった。そんな時代の名残が今でも残っている。どんなにしんどくても「やるべきことはやる」それが当たり前だと思ってる。でもその習慣は、気づけば自分を追い詰めるものになっていた。「大丈夫?」と聞かれても「無理してます」とは、なかなか言えない。

独身であることと「大丈夫」の言えなさ

一人暮らしの身には、心の支えがない日もある。仕事の愚痴をこぼす相手もいないし、帰ってきても「おかえり」と言ってくれる人もいない。そんな生活を何年も続けていると、感情の出し方すらわからなくなる。「大丈夫?」と聞かれたとき、本当に何が大丈夫なのかすら答えられない。

一人で暮らす夜に感じる不安の正体

夜中にふと目が覚める。テレビも消して真っ暗な部屋で、ふと「何やってんだろ」と思う瞬間がある。誰にも頼らずにやってきたけど、それが正解だったのか自信が持てなくなる。仕事のトラブル、将来の不安、健康のこと。何もかもが心にのしかかってくる。でも誰にも言えない。「大丈夫ですか?」と聞かれても、うまく言葉が出てこない。

誰かに頼ることへの罪悪感と恐れ

頼ることが悪いことだと思っていた。「先生がそんなことで弱音吐くんですか?」と言われたらどうしようって、いつも考えてしまう。過去に一度だけ、友人に弱音を吐いたとき、「もっと気楽にやれよ」と笑われたことがある。それ以来、誰かに頼ることが怖くなった。だから「大丈夫」と言ってしまうのは、恐れと諦めの表れかもしれない。

モテないことと自己肯定感の関係

女性にモテたことはほとんどない。別に見た目が特別悪いわけでもないが、自分に自信がないのが伝わってしまうのかもしれない。「どうせ俺なんか」と心のどこかで思っている。その自己肯定感の低さが、他人に「大丈夫?」と聞かれたときの対応にも現れる。「いや、大丈夫じゃない」と言っても、誰も本気で心配してくれないような気がするんだ。

「大丈夫?」と聞かれたときの受け止め方

最近は、「大丈夫?」と聞かれたら、とりあえず一呼吸おくようにしている。すぐに「大丈夫です」と反射的に答えるんじゃなくて、「うーん、ちょっと疲れてるかも」と正直に言ってみる。それだけでも、少しだけ心が軽くなる。無理して笑うより、素直な感情を出す方が人との距離も近づく気がする。

うまく言葉にできないときに試してほしいこと

全部を話そうとしなくていい。たとえば「最近ちょっと眠れてなくてさ」とか、「仕事が立て込んでてバタバタでね」くらいでも十分。それだけでも「この人、無理してるんだな」と伝わる。大事なのは、少しだけ心を開くこと。完璧じゃなくていい。むしろ、完璧じゃないほうが、共感してもらえるんだと思う。

愚痴を吐き出す場所を作っておく大切さ

誰か一人でも、愚痴を言える相手がいるとだいぶ違う。同業者でも、昔の同級生でもいい。LINEでも、電話でも、会えなくてもいい。ただ、ぽつりとでも吐き出せる場所があると救われる。「聞いてくれる人がいる」ってだけで、心が少し穏やかになる。司法書士の仕事は孤独になりがちだからこそ、こういう逃げ道が必要だ。

「正直に言ってもいいんだ」と思えた体験

ある日、ふとしたことで依頼人に「ちょっと今バタバタしてまして…」と正直に言ったら、「ですよね、すみません。無理しないでください」と返された。びっくりした。むしろ好印象だったらしい。そのとき、「大丈夫じゃない」って言ってもいいんだ、と初めて思えた。そこから少しずつ、自分を出すようになった。まだまだ不器用だけど、それでいいのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。