またそのセリフかと心の中でため息をつく朝
頼まれごとは断れないけど気づけばいつも同じ役回り
朝、机に座ってコーヒーをすすりながらメールチェックをしていると、電話が鳴った。「いつもお願いしてますよね?」という声が受話器越しに聞こえた瞬間、心の中で「ああ、またか」と思う。断れない性格なのは自覚している。でも、その「いつも」に何の感謝もない感じが、どうにも引っかかる。たぶん、僕のような小さな司法書士事務所に依頼してくる人たちは、きっと気軽なんだろう。「いつもの感じで」と言われるたび、形式的な信頼の上に成り立つ仕事の不安定さを思い知る。
またかの瞬間に湧くモヤモヤの正体
「また頼まれた」と思うたびに胸の奥にわくのは、イライラではなく、なんとも言えないモヤモヤだ。これは、たとえるなら、部活で毎回掃除係を押しつけられるあの感覚に近い。自分ができるから、やってくれるからという理由で回ってくる役回り。それが重なって、いつしか当然のようになってしまう。断る理由がないのが余計にしんどい。何が嫌なのか明確に言語化できないからこそ、積もっていく不満は自分の中で澱のようになっていく。
いつもお願いしてますよねの破壊力
この言葉には、無意識の強制力がある。言われた瞬間に、相手の中ではもう「やってくれる前提」になっている。その前提を覆すには、こちらが「異常な対応」をするか、「機嫌を損ねる覚悟」をしなければならない。だからこそ、結局いつものように「わかりました」と引き受けてしまうのだ。これはもう、技術や知識の問題ではない。関係性の構造の話だ。頼まれやすい人は、いつもそういう立ち位置にされてしまう。
ルーティンでは片付けられない感情の累積
この「いつもお願いしてますよね?」が蓄積するのは、仕事の量ではなく、心の中のモヤモヤだ。一件一件は些細なことでも、それが積もると、「なんで自分ばっかり」という思いに変わってくる。頼られるのはありがたい、でも、それが当たり前になった瞬間、感謝も配慮も消える。そんな日々が続けば、誰だって疲れてくる。僕が朝ため息をつく理由は、業務の重さだけじゃない。言葉にできない「扱われ方」が、心を重くするのだ。
本当に自分にしかできない仕事なのかという疑念
司法書士という資格が必要な業務はある。だが、すべてがそうではない。簡単な書類の確認や、役所への提出物の受け取りなど、事務員でもできることが多い。それなのに、なぜか僕がやることになっている。自分にしかできないと思い込まされているだけじゃないか、という疑念がふと頭をよぎる。でも、長年そうしてきたから、今さら変えるのも難しい。自分で自分の首を絞めているような感覚に、時々うんざりする。
事務員にも頼めばいいのにと何度思ったか
一人雇っている事務員の彼女は、真面目でよく働いてくれる。でも、お客様は最初から僕を指名してくることが多い。「代表に直接お願いしたいんです」と言われるたび、僕の中の合理性は崩れ去る。いや、それ、彼女でもできる案件ですよ?と心の中で突っ込むのだが、結局僕が出ていくことになる。そういう依頼が続くと、業務の偏りが出てきて、結果として僕だけが遅くまで残ることになる。うまく回しているつもりでも、現実は空回りばかりだ。
効率より慣習で回る地方事務所の現実
都会のように人材が豊富ではない地方では、「慣れた人に頼む」ことが優先されがちだ。紹介の文化も根強く、「あの先生にお願いすれば安心」という空気が、非効率を正当化する。本当は、分業やデジタル化で処理速度を上げたい。でも、現場では「いつもの感じでお願いします」が勝ってしまう。この言葉の裏には、「変化を嫌う文化」と「人間関係で動く社会」が隠れている。それに抗うのは、なかなか骨が折れる。
気づかないうちに引き受けてしまう損な性分
一番の原因は、結局自分の性格かもしれない。頼まれたら断れない、断る理由を探すのに疲れる、ならもう引き受けたほうが早い。そんなふうに考えてしまうから、気づけば自分が背負っている。周囲の「この人はやってくれる」という期待に、応えることで自分の存在価値を保ってきたのかもしれない。でも、それは長くはもたない。体力も気力も削られていく中で、「もうやめたいな」と思う瞬間が、日に日に増えていく。
野球部時代のおまえキャプテンっぽいなに似た違和感
思い返せば、高校の野球部でも似たようなことがあった。「おまえキャプテンっぽいな」と言われて、なんとなく押しつけられた。別に目立ちたかったわけでもない。ただ、真面目そうに見えたから任されたのだろう。あの時の違和感が、今の仕事にもつながっている気がする。人は、何かを引き受けることで「自分の立場」を得ようとする。でも、それが続くと、役割に自分が支配されてしまう。気づけば、自分が本当にやりたいことがわからなくなる。
押しつけられる側に共通する雰囲気
誰かに役割を押しつけられる人には、ある種の「頼みやすさ」がある。文句を言わなそうとか、断らなそうとか、そういう雰囲気だ。僕自身、そういう雰囲気をまとっているのだと思う。だから、どこに行っても「お願いされる側」になってしまう。これは、もう体質といっていいレベルだ。でも、それがどれだけのストレスになるかは、なかなか伝わらない。結局、見えない荷物を背負っているのは自分だけだ。
言い返せない性格が招く負の連鎖
「それはちょっとできません」と言うのがどうしても苦手だ。角が立たないように、嫌われないように、という意識が先に出る。結果として、相手の思惑通りになり、自分の中だけに不満が残る。その繰り返しで、自己肯定感も下がっていく。あの時ちゃんと断っていれば、と後悔することも多い。けれど、その場ではどうしても言えない。こうした負の連鎖が、精神的な疲弊を生み出しているのだと思う。
頼られるのが嬉しい気持ちとすり減る心の境界線
正直なところ、頼られるのは嫌いじゃない。むしろ、嬉しいと感じることもある。でも、それが「当たり前」になると、とたんに心がすり減っていく。「感謝されない信頼」は、ただの使い捨てだ。自分の中でその境界線を引くことができないまま、どんどん期待され、どんどん消耗していく。今、自分に必要なのは、信頼と依存を見極める力かもしれない。