謎の依頼人と空き家の登記
午前九時に現れた黒いスーツの女
朝のコーヒーを入れたばかりのタイミングで、ドアが開いた。黒いスーツに身を包んだ女性が一歩、また一歩と事務所に入ってくる。 彼女は無言のまま椅子に座り、まるで映画の探偵ものの冒頭のように一言だけ言った。「この物件、何かおかしいんです」。
謄本に記された奇妙な所有者
依頼された物件の登記簿を確認すると、たしかにおかしい点がいくつかある。所有者欄に記載された人物は、三年前に死亡したはずだった。 しかし、その死亡後に移転登記がなされており、しかもその理由が「売買」になっている。 「死人が契約書にハンコ押すなんて、まるでゾンビの不動産屋ですね」とサトウさんは淡々と言った。
現地調査に向かう二人
サトウさんの冷静すぎる現地メモ
現地へと車を走らせながら、私はいつものように愚痴をこぼしていた。「こんな寒い日に限って外回りだなんて、、、」 だが現地に着いたサトウさんは、寒さなどどこ吹く風。手にしたメモ帳に周囲の情報を書き込み続けていた。 その観察眼はまるで名探偵コナンの阿笠博士の助手か、いや、むしろ本人かもしれない。
誰もいないはずの家に残された生活感
空き家のはずの家には、なぜか生花が飾られており、台所には新しい食器が並んでいた。 「誰か住んでますね、登記上は空き家でも」とサトウさんが呟く。 私の頭の中で警報が鳴る。これは、ただの登記ミスなんかじゃない。
近隣住民が語る空白の三年
「あの人なら三年前に、、、」
隣家の老婦人が教えてくれたのは、あっさりとした真実だった。「あの家の人なら、三年前に亡くなったよ」 では、いまこの家に出入りしているのは誰なのか? 本人ではないのに鍵を持ち、生活している影の人物。 私は寒気を覚えた。これは何かのカラクリがある。
町内会長が隠していたもう一枚の名簿
町内会長に話を聞きに行くと、最初はしらばっくれていたが、サトウさんが目を細めて一言。「昔の名簿、見せていただけます?」 渋々出された紙には、一人の名前が赤ペンで消されていた。元所有者の弟、らしい。 どうやら、相続放棄したはずの人物が、再び姿を現しているようだった。
登記簿に現れた虚偽の移転登記
前所有者の死亡情報と矛盾する日付
再度、登記簿を精査すると決定的な矛盾が浮かび上がる。死亡した日付より後に締結された売買契約書。 書類を作成した司法書士の名前が、どこかで見た名前だった。 「あー、、、これ、研修で一緒だった人だ」と私が言うと、サトウさんが「やれやれ、、、また知り合いですか」とため息をつく。
遺言書の記載が消された痕跡
古い遺言書が残されており、それには「相続人に一切の財産を渡すことを拒否する」と記されていた。 だが、その記載はなぜか抹消されていた。コピーでは明らかに見えるのに、原本では修正液が使われていた。 「犯人は素人じゃない、たぶん司法書士と組んでる」と私は口に出す。
司法書士シンドウの地味すぎる推理
権利部の附記に隠された一行
附記欄の末尾に「第三者による再調査を希望する旨」の記載があった。通常の登記には不要な文言。 これは、おそらく元の依頼者が不安を覚えて書かせたものだろう。 「まるで、密室で鳴る電話みたいですね。消えた声がここにある」とサトウさんが呟いた。
「やれやれ、、、またか」と呟いて
調査を進める中で、どうやら同じような手口で登記を不正に操作していた事例が、過去に数件あったと判明する。 その全てに、同じ司法書士の名前が関わっていた。私はため息まじりに言った。「やれやれ、、、またか」 誰も気づかないところで、悪意は記録に潜む。
サトウさんの一喝と真犯人の誤算
メールに残された犯行計画の痕
押収されたパソコンから、未送信の下書きメールが見つかった。そこには「これで正式な登記が通る」との文言。 添付ファイルには、あの物件の登記識別情報まで含まれていた。 証拠としては十分すぎる内容に、私は背筋が凍った。
旧相続人を騙した手口の全容
真犯人は、元所有者の弟を騙し、勝手に売却契約をでっち上げていた。しかも遺言書まで改ざんして。 「不正登記って、意外と地味だけど、人生を壊すには十分なんですね」とサトウさん。 私は無言で頷いた。地味な悪事ほど、根が深い。
警察への通報とその後
捕まったのは意外な人物だった
犯人は例の司法書士……ではなかった。実行犯は、その司法書士の元補助者で、独自に登記書類を作成していた人物だった。 彼はすでに司法書士の資格を失っており、名義だけを利用して犯行に及んでいたのだ。 「サザエさんの波平がいつの間にかマスオさんになってたくらい、わかりにくいですね」と私は呟いた。
「司法書士なんて地味なもんよ」
警察の捜査が進む中、今回の事件が他の物件にも波及していたことが判明した。 メディアには取り上げられず、私たちの名前も出ることはなかったが、それでも良かった。 「司法書士なんて地味なもんよ」と自嘲気味に私は笑った。
事務所に戻った静かな夕暮れ
サトウさんの無言の紅茶
いつものように事務所に戻ると、サトウさんが黙って紅茶を差し出してきた。私はその湯気にほっとしながら一口飲んだ。 事件が終わったあとでも、仕事は山のようにある。 でも、それでもいいと思える何かが、そこにあった。
誰にも知られない地味な正義
書類棚を閉めて、私はふと思った。 派手な活躍も、称賛の言葉もないけれど、それでも守るべきものはここにある。 今日もまた、誰にも知られない地味な正義が一つ、果たされたのだった。