ようやく落ち着いたと思った午後に
昼過ぎ。やっと午前中の来客対応と電話ラッシュが終わり、デスクに戻った私は、ホッと一息ついていた。隣の事務員は外出中で、事務所には静けさが広がっていた。ああ、この時間こそが唯一の救い。案件整理も進められるし、何より頭がちゃんと回る。静寂の中、ペンの音だけが響く。そんな時にかかってきた一本の電話。いつも通りの相談だと思った。ところが、その相談が終わったはずのタイミングで、聞こえてきた一言。「ところで、先生、ついでにもう一件だけいいですか?」……この瞬間、私の静かな午後は終わった。
電話も鳴らない静けさは罠なのか
司法書士という仕事柄、電話は常に鳴っているのが日常だ。だが、たまに訪れる「妙に静かな時間」がある。それがまさにこの日の午後だった。普段ならその静けさに感謝すべきだろう。でも、経験上それは“嵐の前の静けさ”であることが多い。この日もそうだった。どこか不穏な気配がありつつも、「いや、今日はこのまま無事に終わるかも」と淡い期待を抱いてしまった自分を、あとで殴りたくなった。油断すると、静けさはあっという間に崩れ去る。それがこの仕事の厄介なところだ。
事務員が外出中だったことがフラグだった
事務員が一人しかいない我が事務所。ちょっとした買い出しで外出することもある。そのタイミングと私の休息時間がかぶると、自然とすべての対応が私一人に回ってくる。その覚悟はしているつもりだったが、それでも「静かだから今のうちに作業を進めよう」なんて思ってしまうのが人間だ。そんなときに限って、重たい相談が舞い込んでくる。まるで、見計らったかのように。あの瞬間の「うわ、終わった…」という気持ち、同業者ならきっと共感してくれるはずだ。
「ちょっとだけなんですけど」が一番怖い
「ちょっとだけ」の破壊力はすさまじい。「すぐ終わりますから」と言われて、本当にすぐ終わった試しがない。特に、登記のような話だと、話しているうちに「そういえば…」と芋づる式に話題が増えていく。聞き出す側としても、それに丁寧に応えようとすると自然と時間が延びる。「ついでに」と言われて断るのは難しい。だから私は、過去何度も「ちょっとだけ」にやられてきた。今回もまさにそれだった。30分、ただ予定が崩れただけじゃない。そのあとの集中力ごと持っていかれた。
本題が終わってからの沈黙の一言
ひと通りの相談が終わり、「ではまた」と言おうとした、その刹那。電話口の向こうが一瞬沈黙し、妙に重たい呼吸が聞こえた。そして出た一言が、「先生、ところで…」。この「ところで」が一番の曲者だ。そこから始まる話は、たいがい長く、重く、予定外。しかも準備ゼロの状態で、まっさらな脳に投げ込まれる。仕事に対する熱意はある。でも、不意打ちはやめてくれ。本当に、お願いだから。
「ところで先生もう一件だけ…」の破壊力
このセリフを聞くと、自動的にタイマーが30分延長される感覚になる。特に悪気がないからこそ、断りづらい。しかも、向こうは「ちょっとのつもり」で言っているのが厄介だ。受け取るこっちの負担は甚大だということを、なかなか理解してもらえない。「別日にしてもらえませんか」と言えば冷たい印象を与えてしまう。結局、私は引き受けてしまう。優しさじゃない。逃げ腰だ。でも、それが現実だ。
予定表にない30分の無力感
タイムスケジュールを組んでいるのに、それが一言で崩れる無力感。しかも、自分ではどうにもならない理由で。30分といえど、その後の予定を圧迫するし、頭を切り替えるのにもエネルギーがいる。司法書士は黙々と書類を積み上げる仕事だが、その集中力はとても繊細だ。その繊細さが「ところで一件…」で吹き飛ぶ。たかが30分、されど30分。なぜこの仕事には、こんなにも“予定外”がつきまとうのか。
予定外の相談が与える精神的ダメージ
業務に追われているとき、想定外の追加相談は精神にくる。疲れているときはなおさら。こちらは余裕のない状態で、相手のペースに巻き込まれながら話を聞く。相手が悪いわけじゃない。だけど、「このタイミングじゃなくても…」と思ってしまう自分がいて、その自己嫌悪もまた重たい。そうして、自分のキャパの狭さにまた落ち込む。こんな繰り返しばかりだ。
段取りが全部崩れる地味なストレス
予定外の案件が入ると、作業効率が一気に落ちる。さっきまで考えていた登記の論点を思い出せないまま、別の案件に引きずられていく。戻る頃にはもう思考が切れていて、集中力も落ちている。地味に痛い。こうした小さな崩れが積み重なって、「今日はもうダメだな」と思ってしまう。段取りというのは、精神的安定の支えでもあるんだと痛感する。
流れが狂うと集中力も戻らない
集中というのは一度切れると、戻すのが難しい。とくに年を重ねると顕著で、若いころのように「よし、次!」とはいかない。切り替えの早さはどこへやら。今や、集中が切れたら最後、その日はもう惰性で流れていくしかない。あの30分さえなければ、もう少しまともに仕事できたのにと、つい恨めしく思ってしまう。
時間よりも気持ちが持っていかれる
実際に失われた時間は30分かもしれない。でも、精神的にはもっと多くを失っている。やる気、流れ、集中、そして達成感。気持ちのダメージの方が深刻だ。だから私は、予定外の「ちょっとだけ」が本当に苦手だ。受けるたびに、自分の未熟さと優しさ(という名の断れなさ)に苦笑いするしかない。
静かな午後が戻らない現実
その後、事務員が戻ってきて「どうでした?」と聞かれても、「まぁ、ちょっと長引いた」と苦笑いしかできない。机の上には、やりかけの書類がそのまま。今さら手をつける気力もなく、なんとなく雑務に逃げてしまう。静かだったはずの午後は、あっという間に雑音で埋まっていた。もうあの静けさは戻らない。
片付けようとしていた書類は山のまま
予定通りに動けば、処理できたはずの書類たち。今はただの山。視界に入るたびに、自責の念が湧いてくる。「なんであの時、断れなかったんだろう」──そんな後悔を胸に、私は今日もペンを持つ。静かな午後は幻だった。
次の予定がずれてすべてが微妙に詰まる
ほんの30分のズレが、全体のスケジュールを崩す。書類提出、面談の準備、メール対応、すべてが後ろに押されて、気がつけば夕方。バタバタしながら「なんでこんなに詰まってるんだ」とイライラしてしまう。原因は、あの「ところで」の一言だ。侮れない。
帰宅時間はまた遠のく
そして最後には、残業になる。たった30分のために、なぜ私は1時間以上遅く帰る羽目になっているのか。冷えた事務所で、誰もいない街を見ながら、またひとり夜を迎える。そんな日が、司法書士には多すぎる。