朝一番の通知音が怖い
スマホの通知音で目が覚める。こんな日は大抵、心の準備ができていない。以前はメールでもLINEでも「誰からだろう?」と好奇心すらあったのに、今はもう違う。仕事の連絡か、トラブルか、それとも急ぎの依頼か。どれもろくな内容じゃないことが多くて、鳴った瞬間から嫌な汗がにじむ。特に朝一番の通知は、まだ自分の中のスイッチが入っていないだけに堪える。
スマホを見る前にまずため息
「確認しなきゃ…」と思う一方で、通知を見る前に一拍置いてしまう自分がいる。出勤前に抱えるストレスの正体は、内容よりも“未知”の重さかもしれない。着信履歴でも、メールでも、「何が来てるんだ?」と怖くなる。まるで爆弾のスイッチでも押すような感覚でスマホを手に取る自分に、情けなさと疲れが同時に襲ってくる。
「また何かあったか」から始まる一日
登記の修正依頼、書類の不備、役所からの確認――何もなく平穏な日は数えるほどしかない。通知音が鳴るたびに「またか…」と身構える癖がついてしまった。そんな朝を何度も繰り返しているうちに、通知音=悪い知らせ、という条件反射ができてしまった気がする。
出勤前から気持ちが折れる瞬間
「今日は頑張ろう」と思った矢先に、すべてのやる気を削ぐような内容が届くと、本当に心が折れそうになる。出勤前にそんな状態では、事務所に向かう足取りも重くなる一方だ。自分で選んだ仕事だけど、「連絡が怖い」なんて想定していなかった。
連絡がある=トラブルだと思い込んでしまう
一件の連絡に過剰に反応してしまうのは、過去にそれが“地雷”だった経験があるからだと思う。依頼人のクレームや、同業者とのちょっとした衝突、役所とのすれ違い。どれも日常茶飯事ではあるけれど、毎回心に傷を残していく。
司法書士という職業の「性」かもしれない
司法書士という職業は、基本的にトラブルと背中合わせだ。登記漏れ、相続問題、名義の誤記…。電話一本、メール一通が、大きなミスの発覚やクレームの序章になることもある。だから、つい反応が過敏になるし、身構える。
穏やかな連絡より火のついた案件が多い
「ちょっと教えてください」という言葉の裏に、どれだけの地雷が埋まっているか…そんな風に感じてしまう。穏やかなやりとりなんて滅多にない。基本は問題解決のための連絡だから、どうしても身構えてしまう。
「普通」の日が恋しくなる
何事もなく、誰からも連絡が来ない一日がどれだけありがたいことか。そんな“普通”を、今はすっかり忘れてしまった気がする。昔は、連絡があるのが当たり前だったのに、今はそれが重荷だ。
事務員とのやりとりすら警戒してしまう日
たった一人の事務員との日常会話ですら、心が構えてしまう日がある。「先生、ちょっといいですか?」この言葉が、最近は怖くてならない。何かのミスか、手続きのズレか、あるいは…という想像が先に立ってしまう。
「ちょっといいですか?」が一番怖い
この一言のあとに続く内容は、大抵面倒な話か急ぎの案件だ。事務員に悪気はないし、必要なことを伝えてくれているのはわかっている。でも、その瞬間、頭の中はフル回転で「最悪のパターン」をシミュレーションしてしまう。
本当にちょっとで済んだ試しがない
「ちょっと」で済まない内容ばかりだという現実。1分で終わる話が、結局30分の調整や再確認に繋がることも多い。だからこそ、気軽に聞き流すことができなくなってしまった。
笑顔で話しかけられるほどに不安になる
申し訳なさそうな顔より、明るい笑顔の方が逆に不安になるという変な状態になっている。「そんなに元気ってことは、逆にヤバい報告なんじゃ…」と、余計な想像力が働いてしまうのだ。
「大丈夫ですか?」と聞かれると余計に不安になる
誰かに気遣われるたびに、「何かバレてるのか?」「そんなに疲れて見えるのか?」と心がざわつく。優しさに感謝しながらも、その言葉が刺さることもある。
優しさが重く感じる瞬間がある
「大丈夫?」という言葉が、慰めではなく「あなた、だいぶ限界よね」と言われているように聞こえることがある。気遣いがプレッシャーに変わると、自分がどれだけ余裕を失っているかに気づかされる。
誰かの気遣いを素直に受け取れない自分
本当はありがたい言葉なのに、斜に構えてしまう自分がいる。「大丈夫って言った方が楽だろうな」と思って口にしても、心の中はモヤモヤでいっぱい。そんな自分にまた落ち込む。
実は一人で抱え込んでいるだけかもしれない
誰かに相談すればいいだけの話なのに、つい全部自分で抱え込んでしまう。元野球部の“我慢強さ”が、今となっては逆効果かもしれない。耐えるのが美徳だと信じてきたけれど、それがしんどさの元凶だ。