連絡が来ない それだけのことで心がざわつく
誰にでもあることだろうが、「返事がない」だけで気になって仕方がなくなる日がある。司法書士という仕事柄、こちらから進捗を報告した後、依頼人からの反応が一切ないと、「何かまずいことをしただろうか」「何か勘違いがあったのでは」と心がざわついてくる。これが毎日のように起こるから困る。連絡の来ない時間がただの“静寂”ではなく、“不安の温床”に変わるのだ。返事がないのは無事な証拠かもしれないが、そんなふうに割り切れるほど、自分は強くない。
経験を積んでも慣れない依頼人の“沈黙”
もうこの業界に入って20年近くになるが、依頼人の沈黙には今でも慣れない。書類を送ったあと、受け取りの連絡がないまま数日経つと、胃のあたりがジワリと重くなる。郵便が届いていない場合もあるし、忙しくて返信が遅れているだけかもしれない。でも、その“かもしれない”を毎回自分の中で否定しきれない。昔、登記のミスを指摘されたことがあって、そのときも先に連絡が途絶え、後から怒りの連絡が来た。あの時の記憶が今でも尾を引いている。
過去のトラブルが頭をよぎる瞬間
あの時の依頼人は、いつもニコニコしていて、全く怒るタイプじゃなかった。だからこそ、メールの語気がきつかった時には本当に驚いたし、怖かった。その一件以来、「大丈夫だろう」という楽観より、「また何かあったのではないか」と警戒する癖がついた。仕事において失敗はつきものとは言うけれど、士業の場合、その“つきもの”が信用に直結する。だからこそ、小さな違和感でも無視できなくなるのだ。
「また何かあったのでは」の悪い想像グセ
人間、想像力が豊かだと損することもある。返事が来ないだけで、相手が怒っている想像、落胆している想像、他の事務所に相談している想像…勝手に作り上げた妄想に、自分が勝手に傷ついている。特に深夜、自宅に戻ってからふとスマホを見ると、未読のままのLINEやメールがあると、寝付きが悪くなる。返信が来るまでの時間が、どれだけ精神に負荷をかけているか、自分でも呆れるほどだ。
自分の中の不安と向き合う時間
「大丈夫ですよ」「気にしすぎですよ」と事務員には言われるが、そういう次元の話ではない。仕事である以上、少しの油断が取り返しのつかない事態を招くこともあるから、不安を抱くのは当然だと思っている。でも、その“当然”に自分自身が疲れてしまう瞬間がある。何でもかんでも気にする性格じゃなければ、もっと楽だったのにな、と思う。
依頼人を信じることの難しさ
信頼関係って難しい。こちらは誠実に対応しているつもりでも、相手がどう受け取っているかはわからない。過去に一度だけ、登記のタイミングが遅れてしまい、信頼を失った依頼人がいた。その方は何も言わず、途中から連絡がパッタリと来なくなった。自分の中では謝罪も説明もしたけれど、それでも離れていった。その記憶が、未だに心の奥に刺さっている。
信頼関係は築くのも壊れるのも一瞬
依頼人との関係は、まるでガラス細工のようだ。丁寧に扱えば美しく保てるが、ひとつのヒビが致命傷になることもある。それなのに、こちらがどれだけ丁寧に対応しても、相手の受け取り方次第で、誤解が生まれることもある。そんなこと、理屈ではわかっていても、感情が追いつかない。心のどこかで「また壊れるのでは」と怯えている自分がいる。
放っておいていい不安と放っておけない不安
すべての不安に対応していたら、身体がもたない。でも、どの不安が“放っておいていい不安”で、どれが“放っておけない不安”なのか、その線引きが難しい。たまに、連絡がないまま1週間経って、こちらから連絡を入れると「すみません、旅行に行ってまして」と軽く言われることもある。拍子抜けと同時に、「いや、それなら一言くれても…」というモヤモヤも残る。
連絡のない時間が生む“ひとり反省会”
連絡がない時間、私は一人で勝手に反省会を始めている。「言い方が悪かったかな」「もっと早く動けたかも」など、反省というより自己否定に近い。それでも誰にも相談できず、黙ってモヤモヤを抱え続ける日がある。事務員には迷惑かけたくないし、友人には話せるような内容でもない。結果、夜中にコンビニでおにぎり買って、車の中でぼーっとして帰る。それが自分なりのガス抜きだ。
あの時ああ言えばよかったかもしれない
よくあるのが、「あの時の説明、もっとわかりやすくできたはず」という後悔。特に高齢の依頼人には、専門用語を避けて説明しているつもりでも、相手の理解が追いついていなかったと感じることがある。そんなとき、無力感が押し寄せてくる。「伝わらなかったのは自分の責任」…そう思うと、また自分を責めてしまう。
不安からくる過剰な自責と妄想
何かミスをしたかもしれないという不安が、やがて「確実にミスをした」という妄想に変わっていく。すると、自分の中で勝手にストーリーが完成し、「きっと怒ってるに違いない」「次の依頼はもう来ない」とまで思い込んでしまう。それが現実と違っていたとしても、心の中の疲れは蓄積していくばかりだ。
過去の依頼人の顔がふと浮かぶ夜
夜、布団に入って目を閉じると、なぜか昔の依頼人の顔が浮かぶ。優しかった人、厳しかった人、無言で離れていった人。あの人たちにもっとできることはなかったのかと、もうどうにもならない反省を繰り返してしまう。そんな夜は、眠りも浅く、朝起きても疲れが残る。連絡が来ないだけで、こんなに揺れてしまう自分に、嫌気が差す日もある。
この仕事に向いていないのかと思う日もある
自分はこの仕事に本当に向いているのか? そんな疑問が、ふと心をよぎることがある。不安に敏感すぎる性格、気にしすぎる気質、落ち込みやすいメンタル。司法書士という仕事は、もっと図太い人の方が向いているんじゃないか。そんなことを考えながらも、気づけば机に向かっている。辞める理由もないが、続ける自信も揺らぐ、そんな毎日だ。
モテないことより人間関係に悩む
正直、モテないことにはもう慣れている。でも、人間関係の摩耗には慣れない。依頼人との距離感、事務員との接し方、法務局や銀行とのやり取り――一つ一つが神経をすり減らす作業だ。人と関わるのが好きなようで、実は一人の時間が一番ホッとする。なのに人に頼られ、人のために動く仕事をしている。この矛盾がまた、心を疲れさせる。
事務所の電話が鳴らない朝が怖い
朝、事務所に入って電話が鳴らないと、ホッとする気持ちと、不安が入り混じる。「今日も何も来なかったらどうしよう」と思う一方で、「今日は静かでありがたい」とも思う。どちらも本音で、どちらも矛盾している。電話一本で日が大きく変わることがあるからこそ、その音に一喜一憂してしまう。心臓に悪い仕事だと、つくづく思う。
それでも続けていける理由があるとすれば
じゃあ、なんで辞めないのか? と聞かれたら、答えに詰まる。でも、たまにある「ありがとう」の一言や、年賀状の一枚が心に沁みる。その瞬間だけは、「ああ、この仕事をしていてよかった」と思える。そしてまた次の不安が来るまで、ほんの少しの希望を胸に、目の前の仕事に向き合うのだ。