今日も観葉植物だけが元気な事務所

今日も観葉植物だけが元気な事務所

朝イチの光景でため息が出る

事務所の鍵を開け、照明をつける。いつもの光景が目の前に広がる。静まり返った空間に、観葉植物だけが元気に葉を伸ばしているのが目に入る。正直、それを見るだけで少し疲れる。自分はどうだろう。鏡を見ればクマが深く刻まれ、目は死んでいる。昨日も遅かった。今日もきっと遅い。観葉植物のように、ただそこにいても瑞々しく見える存在になれたらどんなに楽だろうか。水さえ与えていれば、あれだけ活き活きできるなんてずるい。

元気に育つ観葉植物と自分の対比

葉はピンと張り、光に向かってまっすぐ伸びている。週に一度しか水やりをしていないのに、どうしてそんなに元気なのか。対して自分は、毎日コーヒーとストレスでなんとか立っている。元野球部だった頃は、体力だけは誰にも負けなかったのに。今や階段を上るだけで息が切れる。あの植物たちのように、必要最低限のケアで美しく存在し続けられるなら、きっと人生はもっと楽だった。

水もやった 観葉植物は文句を言わない

彼らは何も言わない。黙ってそこにいて、文句も言わず、枯れず、誰かの心を和ませている。羨ましい。人間関係に気を遣いながら、理不尽なクレームに対応し、報われないことにも笑ってみせる自分が、急に滑稽に思える。水をやるたび、「お前らはいいな」とつぶやいてしまうのは、もう毎週の恒例になっている。

枯れない彼らと疲弊していく自分

どんなに忙しくても、観葉植物は枯れない。むしろ忙しい時ほど、彼らが青々と輝いて見える。自分はというと、どんどん気力を削られ、顔色も悪くなっていくばかり。なんでこんなにギャップがあるのか。同じ空間で生きているのに、光と影のように正反対だ。この対比が、朝のスタートをより重たくする。

事務所に響くキーボードの音だけ

午前9時を過ぎても、事務所は静かだ。事務員さんが黙々とパソコンに向かって作業してくれているのはありがたいけれど、会話はほとんどない。気まずいわけでも、仲が悪いわけでもない。ただお互い疲れている。そんな空気が、音を吸収していく。

無言の時間が心に刺さる

キーボードの打鍵音が、唯一の「音楽」だ。昔はにぎやかな事務所に憧れていた。でも現実は、ただ静かすぎて息が詰まりそうになる日もある。誰かと気軽に雑談するような気力はもう残っていない。外出している依頼人からの電話が鳴った瞬間、ホッとする自分がいるくらいだ。

事務員さんがいるのに孤独

事務員さんはよくやってくれている。文句も言わず、正確に処理してくれる。だけど、ふとした瞬間に、どこか距離感を感じてしまう。年齢差だろうか、役職の差だろうか。雑談のネタも尽き、気遣うことすら面倒になる。そんな日々が積み重なると、孤独は深まっていく。

沈黙がつらくてBGMをつけた日も

あまりにも無音すぎて、ラジオを流したことがある。FMで流れる明るい声が、逆に虚しくてすぐに消した。テレビもつけてみたけれど、映像のない空間ではただのノイズにしかならなかった。静寂がつらいのに、音を求めても受け付けなくなっている。この感覚に、自分の限界を感じた。

仕事は山積みでも誰も褒めてくれない

一日中、書類と向き合って、登記の申請をこなし、急ぎの案件に追われている。なのに、それを誰かが評価してくれるわけじゃない。感謝もない。依頼人にとっては「やってもらって当然」なのだ。司法書士の仕事は、結果だけが見られがちで、過程の苦労は誰にも伝わらない。

ひたすらこなすしかない日々

午前中に5件、午後に3件。電話の応対だけで1時間以上使ってしまう。ランチもろくに取れず、気づけば夕方。仕事を「さばく」感覚に近くなっている。丁寧な仕事をしたい気持ちはあるけど、現実は効率とスピードに支配されていく。

達成感よりも脱力感が勝つ

無事に登記が完了しても、どこかスッキリしない。昔は完了通知が来た瞬間、少し嬉しかった。でも今は「次は何だっけ」とすぐ次の作業に意識が向く。喜ぶ間もなく、疲労だけが残る。そんな繰り返しで、心はどんどん摩耗していく。

やって当たり前の空気に疲弊

「ありがとうございます」すら言われないこともある。書類を渡した瞬間、「で、いつ終わるんですか?」という言葉が飛んでくる。なんだか、自分の存在意義が揺らぐ。責任を果たしても評価されず、責められるときだけ声が大きくなる。この仕事は、精神力の消耗戦だ。

それでもまた朝が来る

何も変わらない日々でも、朝は来る。そして、観葉植物はまた元気に葉を広げている。少しだけ癒やされる。それでも、自分も枯れていないことを確認する時間でもある。誰かが見ていなくても、やるべきことをやっている。それだけでも、たぶん意味はあるはずだ。

自分もせめて枯れないように

最近は、意識的に日光を浴びるようにしている。昼休みに外に出て、5分でも歩く。大きな変化はないけど、少し気持ちが楽になる。観葉植物のように、シンプルなケアで立ち直るのは無理でも、多少はマシになる気がする。

誰のためでもないけど水をやる

水やりは、完全に習慣化した。植物のためというより、自分を整えるルーティンとしてやっている。水を注ぎながら、「よし、今日も生きてる」と思う。仕事も、生活も、すぐに報われなくてもいい。せめて、枯れずに続けていければ。

それがルーティンであり支えでもある

観葉植物が元気なことが、ある意味では救いだ。自分の世話だけでは崩れそうになる日も、彼らが変わらずそこにいることで、少しだけ救われる。忙しくて、孤独で、疲れ果てても、「今日も植物は元気だ」と思えるだけで、なぜか前に進める気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。