初めて補正通知を見た日心が折れる音がした

初めて補正通知を見た日心が折れる音がした

あれは忘れもしない火曜日の午後だった

あの通知が届いたのは、確か火曜日の午後。仕事がひと段落して、コーヒーを淹れようとしたタイミングだった。ポストに入っていた一通の茶封筒。差出人が法務局と書かれていて、なぜか心拍数が上がったのを覚えている。何か提出し忘れたか、間違えたか…そんな胸騒ぎがした。そして開封した瞬間、見慣れない書式の「補正通知書」という文字が目に飛び込んできた。書類が崩れ落ちるように手から滑り、頭の中で「ガシャーン」と何かが壊れた音がした。あの日を境に、自分の司法書士人生がちょっと変わった気がしている。

補正通知という名の凶報

補正通知――それは、言ってみれば「あなたの提出書類は不完全です」という公式なお叱りの書類だ。まるで赤点の答案用紙を突き返されたような感覚。司法書士になってまだ日が浅かった私は、誤りを指摘されること自体に過剰反応してしまっていた。しかもそれが法務局からとなれば、なおさらだ。相手は役所、つまりルールの番人であり、私たちの「間違い」を粛々と指摘する側だ。反論も言い訳も通じない。「このままじゃ登記通りませんよ」という宣告が、やけに冷たく、重くのしかかってきた。

見慣れない番号の封筒にドキッとした

封筒に書かれていた番号は、まったく見覚えのないもので、一瞬「架空請求か?」とすら思った。けれど、その下に「法務局」と小さく記載されているのを見て、背筋がスッと冷たくなった。役所からの郵便物って、何度受け取っても慣れない。良い知らせなんて滅多にないし、だいたいが「何かやらかした」系だ。元野球部だった頃、試合でエラーをした時の監督の怒鳴り声を思い出した。あの時と同じように、自分のミスが誰かの足を引っ張ってしまったかもしれない、という不安が一気に膨らんだ。

開けた瞬間 頭の中が真っ白になる

封を切り、中を見た瞬間、脳内の言語機能が一時停止した。「補正内容:登記原因証明情報の年月日が異なる」…は?どこが?どうして?と読み返すたび、恥ずかしさと情けなさが募るばかり。書類を一枚ずつめくって確認したが、確かに日付がズレていた。思い込みで処理してしまった結果だ。指摘は正しい。でも、それを真正面から受け止めるには、あまりにも自信を失っていた。あの瞬間、心がボキッと音を立てて折れた気がした。

絶望の第一波 記載不備のオンパレード

補正通知は、一つのミスだけでは終わらなかった。目を凝らして読むと、そこには赤ペンで引かれたような補正事項がズラリと並んでいた。まるで答案用紙に「もう一回勉強してきなさい」と書かれたかのよう。自分がやってきた仕事が、こんなにも「通じなかった」のかと思うと、情けなくて言葉が出なかった。誰に相談することもできず、ただただ自分を責めるだけの時間が続いた。

チェックの赤が容赦なく並ぶ

その補正通知には、無機質な文面で「〇〇記載誤り」「△△不備あり」と書かれていたが、それが妙に冷たく感じた。学生時代、赤ペンでびっしり添削されたレポートを返された時と似た感覚だ。どれも「気をつけていれば防げた」レベルのもの。だからこそ、余計に刺さる。なぜ気づけなかったのか、なぜ確認しなかったのか。自分の甘さを突きつけられるようで、見るたびに胃がキリキリ痛んだ。

何がいけなかったのか本気でわからない

補正通知の文言って、本当に簡潔すぎて、逆に意味が分からない時がある。例えば「登記原因証明書の記載内容に齟齬あり」と言われても、どこがどう齟齬なのか具体的に書かれていないこともある。そういうとき、自分のミスなのか、相手(依頼人)からもらった資料が悪いのか、それすら分からずひたすら悩む。まるで暗闇の中を手探りで進むような不安感が押し寄せる。

「こんな初歩的なことを…」という自己嫌悪

補正内容を読み込むうちに、「これは完全に自分のケアレスミスだ」と確信した。そうなるともう、恥ずかしさよりも自己嫌悪が勝ってくる。「なんでこんな初歩的なことを見逃したんだろう…」と、過去の自分を何度も責めた。と同時に、「こんなレベルで仕事してていいのか」という不安も湧き上がる。司法書士という肩書きの重さが、初めて心にのしかかった瞬間だった。

誰にも言えない情けなさ

人に頼るのが苦手な性格もあって、こういうミスをした時に誰かに相談するという発想がまずない。でも、誰にも言えずに一人で抱えると、余計に苦しくなる。事務員にも「何かありましたか?」と聞かれたが、「ちょっとね」と曖昧に笑うしかなかった。自分の弱さを見せるのが怖かった。けど今思えば、そういう時こそ人の声が必要だったんだろう。

事務員にさえ見せたくなかった紙一枚

補正通知は、正直いって事務員にも見せたくない。というのも、自分のミスを知られたくないという気持ちがどうしても強くなってしまうからだ。彼女は決して責めるような人ではないけれど、だからこそなおさら、知られたくないという気持ちが勝ってしまった。ミスをする自分を「見せたくない」自尊心と、それが空回りして自己嫌悪につながるという悪循環だった。

「先生、大丈夫ですか?」が逆に痛い

事務員の優しさが身に染みるほど、情けなさが強くなる。ちょっと落ち込んでいたら、「先生、大丈夫ですか?」と聞いてくれるのだが、その一言が胸に突き刺さる。何も言わずにほっといてくれた方がマシなのに…なんて思ってしまう。けれど、実際にはその言葉に救われていたのかもしれない。

優しさに触れるほどつらくなる

人って、本当に落ち込んでいる時ほど、優しさが重たく感じることがある。誰も悪くないのに、自分だけが勝手に落ち込んで、勝手に距離をとってしまう。こういう時、「独り身ってきついな」と思った。誰にも吐き出せず、家に帰っても話し相手がいない。壁に向かってため息をつくしかない夜が、いつの間にか習慣になっていた。

それでも訂正しなきゃいけない現実

絶望しても、落ち込んでも、仕事は止まってくれない。補正通知に対する対応期限は待ってくれないのだ。どんなに気分が沈んでいても、冷静に訂正書類を作らなければならない。これが司法書士という職業のつらさであり、同時に誇りでもある。誰かがやらなければならない仕事。だから、自分がやるしかない。

(※この続きは次のメッセージで出力します) あなた: html形式にしてコピペできる形で出力してください ダウンロードファイルにはしないでください。!DOCTYPE htmlからスタートしてhtmlを閉じるところまで書いてください。最後まで出力してください。 初めて補正通知を見た日心が折れる音がした

あれは忘れもしない火曜日の午後だった

あの通知が届いたのは、確か火曜日の午後。仕事がひと段落して、コーヒーを淹れようとしたタイミングだった。ポストに入っていた一通の茶封筒。差出人が法務局と書かれていて、なぜか心拍数が上がったのを覚えている。何か提出し忘れたか、間違えたか…そんな胸騒ぎがした。そして開封した瞬間、見慣れない書式の「補正通知書」という文字が目に飛び込んできた。書類が崩れ落ちるように手から滑り、頭の中で「ガシャーン」と何かが壊れた音がした。あの日を境に、自分の司法書士人生がちょっと変わった気がしている。

補正通知という名の凶報

補正通知――それは、言ってみれば「あなたの提出書類は不完全です」という公式なお叱りの書類だ。まるで赤点の答案用紙を突き返されたような感覚。司法書士になってまだ日が浅かった私は、誤りを指摘されること自体に過剰反応してしまっていた。しかもそれが法務局からとなれば、なおさらだ。相手は役所、つまりルールの番人であり、私たちの「間違い」を粛々と指摘する側だ。反論も言い訳も通じない。「このままじゃ登記通りませんよ」という宣告が、やけに冷たく、重くのしかかってきた。

見慣れない番号の封筒にドキッとした

封筒に書かれていた番号は、まったく見覚えのないもので、一瞬「架空請求か?」とすら思った。けれど、その下に「法務局」と小さく記載されているのを見て、背筋がスッと冷たくなった。役所からの郵便物って、何度受け取っても慣れない。良い知らせなんて滅多にないし、だいたいが「何かやらかした」系だ。元野球部だった頃、試合でエラーをした時の監督の怒鳴り声を思い出した。あの時と同じように、自分のミスが誰かの足を引っ張ってしまったかもしれない、という不安が一気に膨らんだ。

開けた瞬間 頭の中が真っ白になる

封を切り、中を見た瞬間、脳内の言語機能が一時停止した。「補正内容:登記原因証明情報の年月日が異なる」…は?どこが?どうして?と読み返すたび、恥ずかしさと情けなさが募るばかり。書類を一枚ずつめくって確認したが、確かに日付がズレていた。思い込みで処理してしまった結果だ。指摘は正しい。でも、それを真正面から受け止めるには、あまりにも自信を失っていた。あの瞬間、心がボキッと音を立てて折れた気がした。

絶望の第一波 記載不備のオンパレード

補正通知は、一つのミスだけでは終わらなかった。目を凝らして読むと、そこには赤ペンで引かれたような補正事項がズラリと並んでいた。まるで答案用紙に「もう一回勉強してきなさい」と書かれたかのよう。自分がやってきた仕事が、こんなにも「通じなかった」のかと思うと、情けなくて言葉が出なかった。誰に相談することもできず、ただただ自分を責めるだけの時間が続いた。

チェックの赤が容赦なく並ぶ

その補正通知には、無機質な文面で「〇〇記載誤り」「△△不備あり」と書かれていたが、それが妙に冷たく感じた。学生時代、赤ペンでびっしり添削されたレポートを返された時と似た感覚だ。どれも「気をつけていれば防げた」レベルのもの。だからこそ、余計に刺さる。なぜ気づけなかったのか、なぜ確認しなかったのか。自分の甘さを突きつけられるようで、見るたびに胃がキリキリ痛んだ。

何がいけなかったのか本気でわからない

補正通知の文言って、本当に簡潔すぎて、逆に意味が分からない時がある。例えば「登記原因証明書の記載内容に齟齬あり」と言われても、どこがどう齟齬なのか具体的に書かれていないこともある。そういうとき、自分のミスなのか、相手(依頼人)からもらった資料が悪いのか、それすら分からずひたすら悩む。まるで暗闇の中を手探りで進むような不安感が押し寄せる。

こんな初歩的なことをという自己嫌悪

補正内容を読み込むうちに、「これは完全に自分のケアレスミスだ」と確信した。そうなるともう、恥ずかしさよりも自己嫌悪が勝ってくる。「なんでこんな初歩的なことを見逃したんだろう…」と、過去の自分を何度も責めた。と同時に、「こんなレベルで仕事してていいのか」という不安も湧き上がる。司法書士という肩書きの重さが、初めて心にのしかかった瞬間だった。

誰にも言えない情けなさ

人に頼るのが苦手な性格もあって、こういうミスをした時に誰かに相談するという発想がまずない。でも、誰にも言えずに一人で抱えると、余計に苦しくなる。事務員にも「何かありましたか?」と聞かれたが、「ちょっとね」と曖昧に笑うしかなかった。自分の弱さを見せるのが怖かった。けど今思えば、そういう時こそ人の声が必要だったんだろう。

事務員にさえ見せたくなかった紙一枚

補正通知は、正直いって事務員にも見せたくない。というのも、自分のミスを知られたくないという気持ちがどうしても強くなってしまうからだ。彼女は決して責めるような人ではないけれど、だからこそなおさら、知られたくないという気持ちが勝ってしまった。ミスをする自分を「見せたくない」自尊心と、それが空回りして自己嫌悪につながるという悪循環だった。

先生大丈夫ですかが逆に痛い

事務員の優しさが身に染みるほど、情けなさが強くなる。ちょっと落ち込んでいたら、「先生、大丈夫ですか?」と聞いてくれるのだが、その一言が胸に突き刺さる。何も言わずにほっといてくれた方がマシなのに…なんて思ってしまう。けれど、実際にはその言葉に救われていたのかもしれない。

優しさに触れるほどつらくなる

人って、本当に落ち込んでいる時ほど、優しさが重たく感じることがある。誰も悪くないのに、自分だけが勝手に落ち込んで、勝手に距離をとってしまう。こういう時、「独り身ってきついな」と思った。誰にも吐き出せず、家に帰っても話し相手がいない。壁に向かってため息をつくしかない夜が、いつの間にか習慣になっていた。

それでも訂正しなきゃいけない現実

絶望しても、落ち込んでも、仕事は止まってくれない。補正通知に対する対応期限は待ってくれないのだ。どんなに気分が沈んでいても、冷静に訂正書類を作らなければならない。これが司法書士という職業のつらさであり、同時に誇りでもある。誰かがやらなければならない仕事。だから、自分がやるしかない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。