優しさに救われた司法書士のはなし
仕事に押しつぶされそうになっていたある日、何気ない優しさに心がほどけた瞬間があった。小さなことだった。だけど、その小さな優しさが、不思議と胸の奥まで沁みて、ずっと抱えていた重たい気持ちが、少し軽くなった。こんなにも人の優しさに救われることがあるんだと実感したのは、司法書士として仕事を始めてからずっと後のことだった。
朝の電話に詰まった想い
朝一番の電話。どうせまた、クレームか急ぎの用件だろうと身構えて出た。「お忙しいところすみません、先日はありがとうございました」という、思いがけない感謝の言葉に、虚を突かれた。たったそれだけの一言なのに、体の力がふっと抜けて、電話を切ったあと、椅子に深く沈み込んだ自分がいた。
クレームかと思ったらただのありがとうだった
司法書士をしていると、「連絡がつかない」「説明が分からない」「いつ終わるんですか?」と、怒りや苛立ちの言葉をぶつけられることのほうが圧倒的に多い。それが当たり前になり、電話が鳴るたびに心が警戒する。そんななか、「ありがとう」と言われるだけで、どうしてこんなにも胸が熱くなるのか、不思議でならなかった。
声のトーンだけで心が軽くなる日がある
あのときの依頼者の声は、こちらを責めるような調子ではなかった。少し照れくさそうに、でも確かに「助かりました」と言ってくれた。電話を切ったあとも、その声の響きが耳に残っていた。人の優しさって、言葉の内容以上に、そのトーンや間ににじみ出るものなのかもしれない。
仕事に追われる日々と独り言
毎日がタスクの波に飲み込まれるような日々。次から次へと湧いてくる仕事に、頭の中は常に「やらなきゃ」でいっぱい。そんな中、気がつけば独り言がどんどん増えていた。誰かに話しかけるわけでもない。ただ、口に出さないとやっていられなかった。
愚痴をこぼす相手もいないから独り言が増える
独身で一人暮らし。職場には事務員さんがいるが、業務以外の雑談をする余裕もない。気づけば、机の前で「なんで今日こんなに詰まってんだよ」とか、「間に合うわけないだろこれ」とか、声に出してつぶやいている。元野球部で声が大きいせいか、たまに隣の事務室まで聞こえているらしい。
元野球部のクセで声が大きくて困っている
大声を出してしまうのは習性みたいなもので、昔から変わらない。感情が高ぶると、ボリュームの調整が利かなくなる。でもある日、事務員さんが「先生、ちょっと声大きいですよ」と苦笑いしながら言ってきた。その時、なんだか急に恥ずかしくなって、ようやく自分が少し壊れてたことに気づいた。
事務員さんの気づかいに泣きそうになった日
とにかく詰まっていたある一日、昼も取らずに作業していたら、「これ食べてください」と小さなタッパーを差し出された。中には、おにぎりと唐揚げ。泣きそうになった。あのときは、本当に泣きそうだった。
「大丈夫ですよ」と言われて崩れそうになった
「私も午後の対応やっときますから、休んでください」その言葉に、どれだけ救われたか分からない。大人になると、「大丈夫ですよ」って言葉のありがたさが骨身に沁みる。仕事って結局、何かあったときに誰かが「私がやります」と言ってくれるかどうかで全然違う。
弁当のおかずを分けてくれた優しさが沁みた
その日のお昼、結局一緒に事務所でお弁当を食べた。彼女がくれた唐揚げは、手作りだったらしい。思わず、「これ、うまいですね」と言ったら、「冷凍です」と笑って返された。たぶん嘘だと思う。そんな優しさに、泣きそうになった。
クライアントの何気ない言葉が支えになる
何百人と対応している中で、忘れられない言葉ってある。「忙しいでしょうけど、無理しないでくださいね」その一言が、どれだけ救いになるか。言った本人は覚えていないかもしれない。でも受け取った側は、忘れられない。
「先生も体に気をつけてくださいね」が胸に刺さる
書類をお渡しした帰り際、何気なく言われたその一言。形式的な挨拶じゃなかった。きっと、僕の顔が疲れきっていたんだろう。誰かが自分の体を気にしてくれるというだけで、こんなにも救われるのかと驚いた。
お金をもらう立場でも救われることはある
報酬をいただく立場なのに、むしろこちらが「もらっている」気持ちになる。信頼とか、気遣いとか、温かさとか。司法書士って職業は、手続きの専門家だけど、人とのやり取りの積み重ねでもあるのだと気づかされる。
モテないけど人には恵まれてる気がする
独身で女性にモテることもなく、恋愛も長らくしていない。でも、人には恵まれている気がする。恋愛では得られない種類の優しさに、何度も救われてきた。ちょっと照れくさいが、そう思えるようになったのも、歳をとったからだろうか。
恋愛ではない人間関係の温かさ
仕事を通じてできる関係性は、利害関係も絡む。でもその中に、ふとした瞬間に現れる“情”のようなものがある。恋愛みたいにドキドキはしないけれど、安心感とか、信頼とか、じわっと沁みてくるものが確かにある。
自分の価値を誰かが認めてくれるありがたさ
資格を持っていても、自信がないときもある。そんなとき、依頼者の一言や、事務員さんの声かけで、「あ、自分はここにいていいんだ」と思える。自分の存在を誰かが認めてくれるだけで、また少し前に進める。
明日はもう少し人に優しくできる気がする
誰かの優しさで救われたとき、人にも同じように接したくなる。そうやって回っていくのかもしれない。今日は愚痴ばかりだった。でも、明日は少しだけでも、誰かに優しい言葉をかけてみようと思う。