人間関係を全部やり直したくなる夜の話

人間関係を全部やり直したくなる夜の話

人付き合いってなんでこんなに疲れるんだろう

この年になっても、人付き合いに慣れたなんて思えない。毎日のように誰かと関わって、それなりに笑って、それなりに気を使って。でも、ふとした瞬間に「全部やめたいな」と思うことがある。司法書士という職業柄、関係は表面的にでも穏やかに保たなきゃいけない。でも、内心はいつも綱渡り。特に人の相談を受けたあとなんて、自分の感情が置き去りにされて、変な疲れがどっとくる。そんな日々の積み重ねが、僕の「リセット癖」の正体かもしれない。

距離感を間違えたと思った瞬間に引いてしまう

何気なく仲良くなりかけた人との会話で、「あれ、近づきすぎたかも」と思った瞬間がある。相手は悪くない。むしろ好意的だったのかもしれない。だけど、こちらの心の準備が整ってないときに一歩踏み込まれると、急に怖くなる。それでLINEを既読スルーして、やがてブロック。昔からこのパターンで、野球部時代の後輩との連絡も、自営業の先輩との縁も、何度もそうして断ち切ってきた。自分でも、なぜそんなに過剰反応するのかはよくわからない。

元野球部だった頃の人間関係はシンプルだった

高校時代は、上下関係が厳しかったものの、逆に言えばそれが安心感でもあった。挨拶さえきちんとしていれば評価されるし、根性を見せれば認められた。理不尽さもあったけれど、言いたいことはグラウンドでぶつけられた。でも、司法書士になってからの人付き合いは違う。言葉の選び方ひとつで信頼を失うし、ちょっとした気遣いのミスが誤解を生む。そういう繊細さに、どうしても疲れてしまう。

司法書士になってからの人間関係は妙にしんどい

クライアントや士業同士の関係って、表面は丁寧だけど中身は見えないことが多い。何かあればすぐに「あの人はちょっと…」と陰で言われる世界。そういう雰囲気にずっと緊張してしまう。だから、ちょっとでも自分が無理してると感じると、「この人とは距離を置こう」と反射的に思ってしまう。積み上げた関係も、心が疲れてくるとあっさり壊してしまう自分がいて、それを後悔する夜もある。

いい人でいたくて、全部を飲み込んでしまう癖

「感じのいい先生ですね」って言われることがある。それ自体は悪いことじゃない。でも、本当はイライラしていたり、面倒くさく感じていたりするのに、それを押し殺して「そうですねぇ」と微笑んでいる自分。こうして溜まっていった感情が、自分の中で処理できなくなったとき、人間関係をゼロにしたくなる。もう誰にも何も言われたくない、何も期待されたくない。そんな逃げの気持ちが、たまに顔を出す。

優しさと無関心の境目に立たされる日々

たぶん、僕の優しさは、他人を思ってのものじゃない。誰とも揉めたくないだけ。無関心とも違うけど、責任を取ることを避けたいだけかもしれない。だから、何か起こりそうな気配を感じると、その前にフェードアウトしてしまう。優しさと逃げ癖の境目で揺れながら、自分でも気持ちがよくわからなくなっていく。

仕事でもプライベートでもつい合わせてしまう

「先生は柔らかい人だから」とよく言われる。でも、その“柔らかさ”の裏には「反論すると面倒になる」というビビりな自分がいる。自分の意見を通すより、相手の機嫌を取るほうが楽。そうして、どこかで無理してることに気づかないふりをする。そういう日々の小さな「無理」が積み重なって、人間関係を全消ししたくなる衝動につながっていくのだと思う。

連絡先を消すことでしか整理できない気持ち

スマホの連絡先を眺めていて、突然全部いらない気がすることがある。特に何かあったわけじゃなくても、「この人たちと今後関わることあるかな…」と考え始めると止まらない。そして消す。消してすっきりするけど、翌日には少し後悔している。その繰り返し。こんな自分を、正直めんどくさいと思ってる。

自分から切ったのに、孤独に後悔する夜もある

連絡先を消した直後は「これでスッキリ」と思う。でも、数日後にふとした瞬間に「あの人、どうしてるかな」と思い出す。連絡したくても、もう手段がない。自分から切ったくせに、寂しさを感じてしまう。それなら最初から関係を続けておけばよかったのに、という後悔は何度もある。だけど、そのときは本気で「このままじゃつらい」と思っていたのだ。だから、正解はわからない。

誰かに頼るって、どうやるのかがもうわからない

独立して十数年。何でも自分でやってきたし、頼る相手もいなかった。そんな生活に慣れてしまったせいか、いざ「助けてほしい」と思っても、どう言えばいいのかすらわからない。「そんなこと言わずに言ってくださいよ」と言われても、実際に言おうとすると言葉が詰まる。頼ることへの恐怖が、いつのまにか人との距離を広げている気がする。

一人でやってきた自負と、助けを求められない弱さ

自営業で、しかも田舎の司法書士事務所を一人で回してきたという自負はある。繁忙期も乗り越えたし、クレーム対応も自分でやってきた。だけど、そういう「全部自分でやってきた」というプライドが、助けを求める選択肢を狭めている。強がってるつもりはない。でも、誰かに甘えるのがすごく難しい。

事務員さんがいてくれてよかったと思うこともある

そんな僕でも、最近思うのは「事務員さんがいてくれて助かってる」ということ。大した会話はしないし、愚痴も言えない。でも、ただそこにいてくれて業務をこなしてくれる存在がいるだけで、どれだけ気が楽になっているか。もし彼女がいなかったら、たぶん今よりもっと人間関係を壊していたと思う。

それでも誰かとつながっていたいと思える瞬間

何度も人間関係を壊してきた。それでも、やっぱり誰かと笑い合いたいと思うことがある。弱音を吐きたい夜もあるし、誰かの言葉で救われることもある。人は一人では生きられない、なんて月並みなことを言うつもりはないけど、「一人じゃしんどいな」と思う日は、確実にあるのだ。

愚痴をこぼせる人がいるだけで違う

愚痴を言える相手って、本当に貴重だと思う。相手を責めるわけでもなく、自分のダメさを曝け出せる相手がいるかどうか。たまに他の司法書士仲間と話す機会があると、なんだか安心する。みんな、同じように疲れてて、同じように迷ってて、「やってられないよな」と笑い合える。そういう時間が、僕の中のリセットボタンを押させないでいてくれる。

司法書士同士のつながりに救われたこともある

昔は「士業なんてみんなライバルだろ」と思っていた。でも、今は違う。SNSでもリアルでも、愚痴を共有できる存在がいるというだけで、心の持ちようが変わる。少し気を抜いても大丈夫、そう思わせてくれる仲間の存在は、本当にありがたい。人間関係をリセットしないためには、緩くつながれる場所が必要なんだと気づいた。

優しい言葉よりも、同じ愚痴で笑える相手がほしい

「大丈夫ですよ」「頑張ってますね」なんて優しい言葉より、「うわ、それウチもですわ」と笑ってくれる相手のほうが心にしみる。慰めじゃなくて、共感。教訓じゃなくて、雑談。そういう人間関係がもっとあれば、リセット癖も少しは治るのかもしれない。

モテないけど、モテたいとはやっぱり思うんだ

誰かと穏やかな関係を築きたい気持ちはある。モテないし、いい歳して何を言ってるんだって感じだけど、それでも「誰かに必要とされたい」と思ってしまう自分がいる。人間関係を何度リセットしても、そのたびにまた誰かを求めてしまう。矛盾してるけど、それが僕という人間なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。