仮名の契約と返らぬ敷金

仮名の契約と返らぬ敷金

朝の事務所に届いた封筒

朝のコーヒーを片手にメールチェックをしていた俺の目の前に、分厚い封筒がドンと置かれた。差出人の名前はない。送り状にも電話番号すら書かれていなかったが、消印は同じ市内だった。 中には一通の内容証明と、一部コピーされた契約書のようなものが入っていた。依頼者はアパートの敷金返還を求めているらしいが、俺の事務所に直接依頼したわけではない。なぜこれがここに?

敷金返還を求める内容証明の謎

内容証明には、アパートを退去したが敷金が返還されない、という文言が並んでいた。そしてその最後には「本件の代理人として司法書士シンドウ様にご協力をお願いしたい」とあった。誰が書いたのかもわからない。 手紙に書かれた氏名は「加賀光雄」。見覚えはなかった。念のため登記簿と市役所の住民票データベースで確認してみたが、その名前の居住実績はなかった。

サトウさんの冷静な観察

俺の眉間のしわが深くなるのを察知したのか、サトウさんが無言で近づいてきた。彼女はコートの襟を正すような所作で封筒の中身をスッと取り上げた。 「この契約書、筆跡が違いますね。署名と日付欄だけ、明らかに別人の字です」——そう言って机の端にあるボールペンを手に取ると、自分で同じ筆跡を真似してみせた。 その再現度はほとんど名探偵コナンの毛利蘭の空手並み。いや、違うな。まるでキャッツアイの愛ちゃんだ。

契約書に潜む不自然な名前

「それに、この”加賀光雄”って名前、聞き覚えありませんか?」サトウさんが眉をひそめる。うーん、どこかで……いや待て、俺が数ヶ月前に登記で担当した物件で、何度か耳にしたぞ。 そのときは別名義で契約していた。確か”大川義文”。まさか……。 俺は資料棚から過去の案件ファイルを数件取り出して照合してみた。筆跡も、電話番号も、微妙に異なるが声の癖が一致している気がした。

依頼人は誰なのか

俺は試しに手紙にあった番号に電話をかけてみた。すると、男の低い声が応答した。「もしもし、シンドウ司法書士事務所ですが」そう告げると、向こうは少し間を置いてから名乗った。 「ええと……加賀です。手紙届きましたか?」 その語尾の震え方、前に電話で話した”大川”とそっくりだ。これはもう間違いない。

電話の声と名義人の食い違い

「では、加賀さん。お名前の件、ひとつお聞きしてもいいですか?」 沈黙の向こうからは、かすかに雑踏の音。コンビニのBGMか何かも聞こえた。そのまま会話を続けると、明らかに話がちぐはぐで、自分の過去の住居すらうまく言えない。 「……やれやれ、、、」と呟いて、俺はそっと受話器を置いた。

物件の大家との面会

数日後、俺は該当物件の大家である老夫婦と面会した。大家さんは一目でわかるほど困惑していた。「あの加賀さんって人、確か”紹介者あり”ってことで書類に名前だけ書かれててね……」 その”紹介者”とやらが、どうも以前にも別名で入居者を入れていた人物と一致していた。怪しい影がくっきり浮かび上がってきた。

記憶にない借主と現地調査

現地に足を運んで、近隣住民にも話を聞いた。すると驚くべきことに、「入居していたのは女の人だった」という証言が複数あった。 つまり、書類上の”加賀光雄”は影武者、いや影の契約者。実際の居住者は別にいたのだ。仮名を使って敷金詐欺を働く、そんな手口が存在するとは……。

仮名の使い回しという手口

サトウさんがさらに調べを進めると、同市内で似たような敷金返還トラブルが3件も起きていたことが判明した。全て異なる物件、異なる名前——だが、筆跡と契約書の様式が酷似していた。 「おそらく同一犯でしょう」とサトウさんは言う。冷静なその横顔に、どこかルパンを追い詰める銭形警部のような執念を感じた。

過去に起きた類似トラブル

市役所に照会をかけて、住民登録の形跡がない住所を洗い出した。そこに浮かび上がったのは、架空名義を使って賃貸契約を行い、短期で退去して敷金を請求するという詐欺の構図だった。 「偽名ってだけで、こうも簡単に通ってしまうんですね……」俺がつぶやくと、サトウさんが鼻で笑った。 「それを見破るのが、あなたの仕事でしょ」。

サトウさんの推理が導いた共通点

3件の物件には、ある共通点があった。それはすべて「空室が長期間続いていた」という点だった。つまり、審査が緩くなっているタイミングを狙って入居していたのだ。 そして、申込書の保証人欄は全て同じ筆跡。もう逃げられない。

複数の物件で見つかる同じ筆跡

念のため契約書の原本を持ってきてもらい、サトウさんが照合を行った。完璧に一致していた。警察に証拠資料を提出し、今は捜査が進められている。 俺たちはようやく、背後に潜んでいた巧妙な敷金詐欺の全貌をつかんだのだった。

シンドウのうっかりと覚醒

最初に名前に違和感を覚えながら見逃していたのは俺のミスだった。だが最後にはきっちり詰め将棋のように証拠を揃えた。……と自分を褒めておく。 やれやれ、、、俺にもたまにはキメる時があるんだよ。

やれやれまたかと思いつつ突き止めた裏口座

犯人が返還先として指定した口座も、別件で使われていた口座と一致した。口座名義こそ違ったが、使用端末のIPが完全に一致していたのだ。 これが決定打となり、犯人は逮捕へと至った。

犯人の正体と動機

捕まったのは若い女だった。SNSで偽名を募集し、それを使って契約していたという。金に困っていたらしいが、やり方がずる賢すぎた。 「敷金って戻ってこないって思ってる人も多いから、バレにくいんですよね」などと供述していたらしい。何とも世知辛い話だ。

偽名を使った敷金詐欺の全貌

偽名、仮契約、空室、そして焦る大家。そこに巧みに入り込み、保証金をかすめ取る——一見地味だが、実に手が込んだ詐欺だった。 そして、それを解いたのは、間違いなく俺たちだ。

事件後のシンドウ事務所

事件が一段落したある日、俺はいつものようにデスクに向かい、郵便物の山を前にしていた。そこにはまた、似たような封筒が届いていた。 中を開けると、今度は「名義変更に関するご相談」と書かれていた。……もう何が来ても驚かない。

敷金は戻らずとも真実は戻った

依頼人の敷金は、残念ながら詐欺師の口座から全額は戻らなかった。それでも、事件の真相が明らかになったことで、大家も近隣住民もホッとしていた。 「金は戻らなくても、ウソがはがれてよかった」と誰かが言っていた。それが本音なのだろう。

サトウさんの一言と次の依頼

サトウさんが黙々とファイルを片付けながら、ぽつりとつぶやいた。「うっかりしてる暇があるなら、最初から見てください」 はいはい、精進しますよ……やれやれ、、、

「うっかり」と「しっかり」の二人は今日も健在

そんな皮肉にも似た彼女の叱責が、なぜか心地いい。元野球部の俺は、たとえエラーしても、最後にホームラン打てば帳消しだと思っている。 サザエさんの波平がよく怒っていた「お前は本当にもう!」というセリフが頭をよぎる。まあいい。また一件、片付いたんだから。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓