睡眠時間は足りてるのに心が休まらない日

睡眠時間は足りてるのに心が休まらない日

毎日きっちり寝ているはずなのに

毎晩のように23時には布団に入り、朝7時には目が覚める。世間で「理想的」と言われている睡眠時間はきちんと確保できている。でも、朝起きても、心が晴れることはあまりない。カーテンを開けても、まぶしい朝日はむしろまぶしすぎて目を背けたくなる。体は動くけど、心はどこかに置いてきたような、そんな感覚だ。何もかもが面倒で、でもやることは山積み。睡眠は足りているはずなのに、どうしてこんなに疲れているんだろう。

睡眠時間だけ見れば健康体

Apple Watchが記録する睡眠時間のデータはいつも“良好”。心拍も安定していて、呼吸も問題なし。寝つきも悪くないし、途中で起きることもほとんどない。客観的に見れば、健康そのものだ。でも、それなのに全然スッキリしない。ベッドから出るのも億劫で、何もやりたくないという気持ちばかりが先に立つ。体は休まっているのかもしれないけど、気持ちは休めていない。このズレに、最近ずっと悩んでいる。

8時間寝てる自分を褒めたいけど

健康のために睡眠は大事、ってみんな言う。でも、実際に8時間寝ても“よく寝た!”という実感がない日がある。むしろ、8時間も寝てしまった自分にうっすら罪悪感を覚えることすらある。そんな自分を褒めたいのに、「寝てる暇があったらもっと書類片付けとけよ」なんて声が脳内から聞こえてくる始末。司法書士の仕事って、休んでもどこか責任が付きまとう。寝てる間に誰かが困ってるかもしれないって、どこかで思ってしまう。

それでも抜けない倦怠感

週末にしっかり寝ても、月曜日が来るとまたズドンと心が重くなる。事務所に向かう車の中でラジオを流しても、話が耳に入ってこない。思えばこの“抜けない倦怠感”って、単なる疲れじゃなくて精神的な重みなんだろうなと思う。体はよく動く。でも感情のほうがずっとスローで、取り残されている感じ。たぶん、自分が“何かを楽しみにしてない”ことが原因なのかもしれない。仕事ばっかりで、楽しみがない毎日って、思っている以上に重たい。

心が休まっていない実感

「最近、ちゃんと休めてますか?」って聞かれると、返事に困る。形式的には休んでる。でも、気持ちがずっと緊張している。頭のどこかで「忘れてる登記はないか?」「お客さん怒ってないか?」ってチェックし続けてる状態。寝ても、その思考回路は止まってくれない。まるで常に“営業中”の看板を掲げたまま寝ているような感じ。これじゃ心が休まるわけがない。

寝てる間も仕事のことを考えてる

昔、寝てる間にバットを振ってたことがある。高校時代、甲子園を目指してた頃の話。でも今は、寝てる間に登記の書類を書いてる夢を見る。夢の中で印鑑が押されてない書類を見つけて飛び起きたこともある。そんな日は、朝から心拍がバクバクで、全然休まった気がしない。寝ても脳みそが司法書士をやめてくれない。どうすればこの職業モードを切れるのか、正直答えが見つからない。

夢の中で登記ミスして目が覚める朝

ある朝、汗びっしょりで目が覚めた。夢の中で、登記申請を間違えて、依頼人から「おたくに頼んだのが間違いだった」と言われた。現実だったら泣きたいくらいのシチュエーション。夢でよかったと安心する一方で、起きてもその罪悪感が抜けない。これってもう、ただの職業病じゃなくて、心の限界信号だと思う。だけど「そんなこと言ってられない」と、自分で自分を追い詰めてしまう。これが一番まずいと思うのに、抜け出せない。

司法書士という仕事の見えない疲れ

数字で測れる仕事なら、まだわかりやすい。でも司法書士の業務は“失敗しないこと”が前提で、うまくやって当たり前。だからこそ、評価もされづらいし、重圧は見えにくい。日々の業務に追われながら、誰かに頼ることもなかなかできない。特に地方の一人事務所では、すべての判断を自分でしなければならない。見えない疲れは、誰にも気づかれずにじわじわと蓄積していく。

数字に表れないプレッシャー

成約率とか売上とか、明確な数字がある職業なら、達成感や評価を感じやすい。でも、司法書士の仕事って「何も起きないようにする」ための仕事。問題なく終わって当然、という前提がある。そのぶん、ちょっとしたミスが命取りになる。何事もなければ“ゼロ評価”。何かあれば“マイナス評価”。こんな構造の中で日々働いていたら、そりゃ心も摩耗していく。

依頼人の顔色ばかり気になる毎日

本来は法律にのっとって淡々と進めるべき手続き。でも現実は、相手の感情や都合に左右されることも多い。言葉遣いひとつで不信感を持たれることもあるし、ちょっとした返事のタイミングですれ違いが生まれる。そんな中で、自分がどう見られているかばかり気にしてしまう。事務員には言えないけど、正直しんどい。「また感じ悪いって思われたかな」って、帰り道にため息をつく日もある。

うまくいって当たり前の重さ

たとえば住宅ローンの登記。期限がシビアなうえに、関係者も多い。銀行、司法書士、仲介業者、依頼人、すべてが一斉に動く必要がある。でも、誰かがミスしても最後に責任を取るのは司法書士になることが多い。「ちゃんとしてて当然」だから、うまくいっても「ありがとう」で終わる。誰も「よくやったね」とは言ってくれない。この“当然”の重さ、地味だけど確実に心を削ってくる。

それでもなんとかやっていくしかないから

しんどいと思っても、今日も仕事はあるし、お客さんも来る。誰も「やめてもいいよ」なんて言ってくれないし、自分の代わりもいない。だから、なんとか今日も机に向かう。それが今の自分にできること。だけど、どこかでちゃんと“休む”という選択をしなければ、いつか本当に壊れてしまうんじゃないかと不安になる。心の余裕がないまま走り続けることに、限界を感じている。

完全じゃなくても回せてるなら十分

最近、完璧主義を少しずつやめようと思っている。全部を完璧にやるなんて、無理だとやっと気づいた。ミスをしないことは大事だけど、自分の心が壊れたら元も子もない。少しぐらい書類が散らかってても、少しぐらい返事が遅くても、死にはしない。元野球部的な「やり抜け精神」は時に役立つけど、今はちょっと手を抜いてでも続けられる方が大事だと思う。

元野球部的な根性論で乗り切る日もある

高校時代、真夏でも水を飲むなって言われてたあの頃。理不尽な練習にも黙って耐えてきた。その頃の根性は今でも染みついてる。でも、今は“我慢が美徳”の時代じゃない。ときには踏ん張るけど、ときには休む。どちらも大事だと、40代になってようやくわかってきた。無理せず、でも逃げすぎず。そんなバランスを探す毎日が続いている。

一人だけど一人じゃないと信じたい

独身で、一人で事務所を回していて、周囲には“しっかりしてる”と思われている。でも本当は、けっこうギリギリで回してる。毎日なんとか持ちこたえているだけ。でも、この文章を読んでくれてる誰かが「自分もそうだ」と思ってくれたら、それだけで少し救われる。誰かが読んでくれてる。自分だけじゃない。そう信じて、今日もなんとかやっていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。