名前が違うだけで終わらない役所との終わらないやりとり

名前が違うだけで終わらない役所との終わらないやりとり

証明書の名前が違っただけなのに始まった地獄

たった一文字。そう、一文字違っただけで、僕の一日は大混乱に変わった。ある日、登記申請の添付書類として提出された住民票に記載された名前が、委任状に書かれたものと微妙に違っていたのだ。「佐藤」と「佐藤(旧字)」の違い。目を凝らしてやっと気づくような違いだが、登記は厳密だ。役所に問い合わせ、依頼人に確認し、訂正の依頼をかけ、証明書を再取得してもらう。その間にも、別の案件は容赦なく迫ってくる。たった一文字の違いが、こうも大ごとになるのかと、ため息しか出なかった。

電話が鳴るたびに胃が痛くなる

問い合わせ対応というものは、精神的な消耗がすさまじい。特に「名前が一致しない」類のトラブルは、誰が悪いとも言い切れず、ただただ全員が困る。役所にかける電話、依頼人からの折り返し、時には不機嫌そうな担当者とやり合わなければならない。昔、野球部でどんなに厳しい監督の怒号にも耐えたが、今は「役所の人の冷たい一言」の方がずっとこたえる。しかも、その電話が一本で済まない。何度も同じ説明をしながら、自分のメンタルがすり減っていくのがわかるのだ。

問い合わせ対応で一日が潰れる現実

書類ひとつの確認に、こんなにも時間がかかるのか。電話をし、担当者を探し、折り返しを待ち、またかけ直す。その間、事務員は他の対応に追われ、結局僕が手を動かすしかない。「これじゃ仕事が進まない」と思いながら、内心では「でも対応しないと登記も進まない」と自分に言い聞かせる。時計を見ると、午前中が終わっていた。昼ご飯? そんなものは、だいぶ後回しになる。

登記よりも電話の方が多いという本末転倒

本来ならば、僕の仕事は書類を整え、正確に登記を進めることだ。しかし現実は、電話対応と確認作業に多くの時間が奪われている。もはや「司法書士」ではなく「問い合わせ対応士」と名乗る方がしっくりくる。電話の音が鳴るたびに、胃がきゅっと縮こまる感じがして、「また何かあったのか」と警戒してしまう自分がいる。書類は人を救うこともあるが、追い詰めることもある。それを日々実感している。

なぜかこちらのせいにされる理不尽さ

書類の不備や間違いについて、当然ながら責任の所在は明確にすべきだ。しかし現場では、どうしても“提出者側”に矢印が向きやすい。僕は依頼人に説明するときも、できるだけ丁寧に、責任をなすりつけないように心がけているが、それでも「そっちで確認しておいてくれたら…」というニュアンスをぶつけられると、思わず心が沈む。確認はした、でも気づかなかった。そんな時、自分の存在価値まで疑いたくなるのだ。

「確認しなかったんですか?」の一言が刺さる

ある依頼人に言われたこの一言。もちろん悪気はなかったのだろう。でもその日は、すでに何件もの電話に追われ、疲弊しきっていた。だからこそ、その言葉が矢のように刺さった。「はい、私の確認不足です」と返しながら、心の中では「そっちが違う名前書いたんやん…」と叫んでいた。疲れているときほど、人の言葉は重く、刺さる。

役所の人も悪気がないのはわかるけど

役所の担当者も、ルールに従って対応しているだけだ。間違いを見逃すわけにはいかないし、こちらに不備があれば正す必要もある。でもその過程で、妙に冷たく、形式的な物言いに傷つくこともある。「こちらでは対応できません」「担当が違いますので」――そう言われるたびに、「じゃあ、どこにどう聞けばいいのか」をまた一から探す。そんなの、誰か助けてくれよと思うこともある。

曖昧な対応がトラブルの種になる

書類の「名前」に関しても、旧字体かどうか、戸籍通りか住民票通りか、ルールが曖昧なまま運用されているケースがある。ある役所では「これでOK」と言われたものが、別の管轄では「不可」とされる。どちらが正しいのかもわからず、結局、僕ら実務者が板挟みになるだけ。だからこそ、毎回確認に時間がかかり、余計に疲れる。

言った言わないの応酬に疲弊

「先日はこう言ってましたよね?」と言っても、「記録には残っていません」の一点張り。録音しておけばよかったと後悔することもしばしばだ。まるで裁判のような言い分のぶつけ合いに、精神がすり減っていく。僕は争いごとが嫌いなのに、どうしてこうもトラブルに巻き込まれるのか。

事務員に任せきれず結局自分でやる羽目に

せっかく事務員を雇っているのだから、任せられるところは任せたい。けれども、こういう細かくてデリケートな対応は、つい自分でやってしまう。何かあったときに責任を取るのは結局自分。そう思うと、つい手が出る。「全部一人でやってた頃と変わらんな」と、ふと寂しくなる瞬間もある。

任せる勇気と責任感のせめぎ合い

事務員にももちろん仕事を覚えてほしい。でも、電話の向こうで怒られたり、責められたりするのは可哀想だと思ってしまう。だったら僕がやればいいか、と思って抱え込む。でもその結果、余計に自分が疲れてしまう。責任感と自己犠牲がごちゃごちゃになって、結局誰も楽になっていない。

「それ私やった方が早いかも」と言いたくなる瞬間

作業を任せてみたけど、説明して、確認して、あとで修正して――という流れになると、「最初から自分でやった方が早い」という考えがよぎる。とはいえ、それを口に出してしまえば成長の芽を摘んでしまう。ここでもまた、我慢の連続。誰かに甘えたい気持ちがふっと湧いても、甘える相手もいない。独身司法書士の悲哀である。

名前の一文字が生む大きな溝

「どうせ同じ人なんだから、通してくれよ」と思うことがある。でも、それが通らないのが登記の世界。一文字違うだけで、別人と扱われる。それがルールだとわかっていても、実務で直面するたびにため息が漏れる。誰のための制度なのか、誰のための確認なのか。そんな根本的な疑問さえ湧いてくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。