動けない朝に自分を責めてしまう
朝、目が覚めた瞬間に「今日はダメかもしれない」と思う日がある。目の前に積まれた登記の依頼や、待たせてしまっている相談メールの返信、それらを想像するだけで、動悸が早くなる。体が重くて、布団から抜け出せない。「このまま寝ていてもどうせ怒られるだけだし……」と、心の中でぐるぐる言い訳が回る。そんな日は、結局、朝のコーヒーすら作る気が起きない。司法書士なんて、自分には向いてないんじゃないかと思う。
「また同じ失敗をするんじゃないか」と布団の中で考える
寝ぼけ眼でスマホを確認しながら、昨日送った書類のチェックが不安でたまらない。依頼人の名前を間違えていないか、捺印の位置はずれていないか。ひとつひとつが頭の中で増幅されて、「今日も何かミスをするかもしれない」という恐怖に変わっていく。前の晩に見直したはずの書類が、急に自信がなくなる。誰も責めていないのに、自分で自分を裁いてしまう。そんな朝に限って、電話が鳴るのがやけに早い。
前に怒られた記憶がフラッシュバックする
ある日の午後、書類に1文字のミスがあって、法務局から訂正の連絡が入った。すぐ対応したものの、依頼者からの「プロなのにこんなミスするんですか?」の言葉が今でも刺さって離れない。あれ以来、書類を出す前に何度も何度も確認するようになった。けれど、完璧にしようとすればするほど、逆に手が止まる。完璧を目指しながら、怖くて動けなくなる。情けないけど、それが現実だ。
あの一言が今も心に残っている
「あなたに頼まなきゃよかった」――その言葉を、実際に言われたわけではない。でも、相手の沈黙や無言の溜め息が、まるでそう言われたかのように心に残っている。依頼人にとって登記は一度きりの大事な手続き。だからこそ、こちらの失敗は信頼の崩壊につながる。その重みがわかっているからこそ、より一層、足がすくむ。ミスを恐れる気持ちは、日を追うごとに大きくなっている。
勇気を出すタイミングが分からない
「えいやっ」と動き出せればいい。わかってる。でも、実際にはそう簡単にいかない。昔、野球部でエラーをした直後の打席に立つときと同じ感覚だ。誰も何も言っていないのに、「次もエラーしたらどうしよう」という不安で足がすくむ。司法書士になってからも、その感覚は変わらない。勇気を出すにも、きっかけが必要なのに、それがどこにあるのか、わからないまま時間だけが過ぎていく。
一歩を踏み出すことすら不安になる日もある
何でもない電話の一本すら、かけるのが怖くなる日がある。「間違ったことを言ったらどうしよう」「うまく説明できなかったらどうしよう」そんなことを考えて、結局かけられず、机の前でため息をつくだけで一日が終わってしまう。動かなければミスはないけど、信頼も得られない。そう頭ではわかっているのに、心がついてこない。こういう日は、ただただ自分の無力さに打ちのめされる。
ミスが許されない仕事の重圧
司法書士の仕事は、誤字一つでも大きなトラブルに発展しかねない。だからこそ、細かいところまで目を配る必要があるし、その重圧が日常的にのしかかってくる。登記は「間違いなく」「迅速に」処理されて当たり前だと思われている。だが、人間だからミスはする。それでも「してはいけない」のが現実で、その葛藤が常にある。
司法書士という職業の性質上の怖さ
書類が受理されない、訂正印が必要になった、申請が遅れた――それらのミスは、全部こちらの責任になる。そして、たいていの場合、依頼人にはその事情をきちんと説明しても理解してもらえない。謝っても、納得されるわけではない。その恐怖が積み重なり、「間違えたらどうしよう」が「動けない」に変わっていく。責任を取る覚悟はある。でも、その覚悟が常に試される仕事だ。
たった一文字の違いが命取り
「株式会社」なのか「(株)」なのか、「一丁目」なのか「1-」なのか。そんな些細な違いが、法務局では受付拒否の理由になる。一般の人からすれば「そんなのどっちでもいいじゃないか」と思うかもしれない。でも、それが司法書士の世界では命取り。だから、一文字一文字に神経を使う。それが日常であり、異常でもある。
「間違えないこと」が日常になりすぎて
いつしか「正確であること」が目的になってしまい、人間らしさを置き忘れてしまっているような気がする。事務所で一緒に働く事務員のミスには過剰に反応してしまう自分が嫌になる。責任感なのか、過敏になっているのか。ミスに対して過剰に反応するのは、自分が日々怖がっている証拠かもしれない。
誰にも言えない孤独な気持ち
失敗が怖いなんて、司法書士のくせに甘えてると思われるのが怖くて、誰にも言えない。事務員にすら、本音を見せられない。ひとりで抱え込んで、結果的にどんどん追い詰められていく。だからこそ、こんなふうに文章にすることで、少しでも心が軽くなるなら、それでいいと思って書いている。
事務員にも相談しづらい本音
事務員に弱音を吐いたら、「この人、本当に大丈夫かな」と思われてしまう気がして、つい強がってしまう。でも、彼女も人間で、自分と同じように疲れているはずだ。それなのに、「上司」という立場を保とうとして、どこか余裕ぶってしまう自分がいる。本音を言えない距離感に、日々消耗している。
「こんなことで悩んでるなんて」と思われたくない
昔からそうだった。野球部の頃も、試合前に怖くてたまらなかったけれど、周りには「全然余裕」と笑っていた。その癖が抜けない。「大丈夫」と言い続けて、自分をごまかしている。けれど、心の奥底ではずっと助けを求めている自分がいる。
でも、本当は誰かに弱音を聞いてほしい
「しんどい」「もう動けない」「自信がない」そう口にした瞬間、少しだけ心が軽くなることがある。だけど、それを受け止めてくれる人が身近にいないという現実もある。だから、こうして自分の心を文字にして、せめてどこかの誰かに届けばいいなと思う。独身だし、女性にモテるわけでもない。でも、人間として、たまには弱音を吐いてもいいと思いたい。