気づけば“趣味”すら手放していた――司法書士として生きる日々の隙間にて

気づけば“趣味”すら手放していた――司法書士として生きる日々の隙間にて

気づけば“趣味”すら手放していた――司法書士として生きる日々の隙間にて

忙しさの中で削れていく“自分らしさ”

気づけば、趣味と呼べるものが自分の中から少しずつ消えていっている。そんな実感がある。司法書士という仕事は、決して派手さはないけれど、とにかく「終わりがない」。目の前の登記、書類の山、電話の対応…それらに追われているうちに、ふと空いた時間ができたとしても、何をしたらいいか思い出せない。昔はゲームや釣りが好きだった。でも今は「やる気力」が起きない。誰かに「趣味は?」と聞かれると、ただ曖昧に笑ってごまかすしかない。そんな自分がちょっとさみしい。

好きだったことが、ただの「手間」になる瞬間

以前は、週末になると早朝から釣具を車に積んで、川へ向かったものだ。餌の準備や釣り場までの移動、片付けまで全部込みで「楽しい時間」だったはずなのに、今となってはそれらすべてが“面倒”に感じてしまう。釣りそのものが嫌いになったわけじゃない。たぶん、心の余裕がないんだろう。好きなことにエネルギーを注ぐには、それなりに体力と時間と、そして「無駄を楽しむ余白」が必要だと思う。でも、仕事に追われていると、その余白がごっそり削られてしまう。

休みの日に何もしたくなくなる現象

せっかくの休日、今日は釣りにでも…と思うことはある。でも布団から出たくない。出たところで、洗濯物や買い出しや、たまったメールの返信で午前が終わる。昼過ぎにはもう「今日はゆっくりしよう」と決めて、YouTubeを流しながら何もしないうちに日が暮れる。そんな日が増えた。たまに罪悪感がわくけど、体が「休ませてくれ」と言っているようで、抗えない。

あの頃のワクワクはどこに行ったのか

中学の頃、将棋にハマっていた。駒を動かす音や、読み合いのスリルがたまらなかった。今でも駒を見れば懐かしさはあるけれど、将棋盤を広げる気力は出ない。「今さら勝っても意味ないしな」とか「またすぐ飽きるんじゃないか」と思ってしまう。昔はただ「楽しい」だけでやれていたのに、大人になると何でも効率や目的を考えてしまう。純粋な気持ちで没頭することが、どれほど貴重だったか思い知らされる。

「仕事が趣味です」と言い切れない自分

たまに「仕事が趣味なんです」と胸を張って言える人がうらやましくなる。自分もそれくらいの熱量で司法書士の仕事に取り組んでいるつもりだけど、「これが趣味」とは口が裂けても言えない。だって、正直なところ、毎日が消耗戦なんだから。登記も相談も、結局は“誰かのため”にやっていることで、自分自身が「楽しい」と思える瞬間は少ない。

司法書士という仕事の終わりなさ

ひとつの登記が終わったと思えば、次の日にはまた新たな案件が入ってくる。達成感よりも、「やっと片付いた…」という安堵感のほうが大きい。特に一人事務所だと、自分が動かなければ何も進まないし、誰にも任せられない。事務員さんがいても、責任を背負うのは自分だ。そんなプレッシャーの中で、「趣味でも見つけて息抜きしよう」なんて言える気分にはなかなかなれない。

達成感よりも、義務感が先に来る日常

登記が無事に完了しても、「また次もミスなくやらないと」と自分を追い立てる声が消えない。昔は一つ仕事が終わるたびに「よし、頑張った!」と自分を褒めていたのに、今では「もっと効率的にできたんじゃないか」と反省ばかり。趣味を楽しむどころか、日々を“こなす”ことが精一杯になってしまっている。

“趣味”が減ったのは年齢のせいなのか

40代にもなると、体力も気力も20代の頃とは明らかに違う。昔みたいに「とりあえずやってみよう」という気持ちが湧いてこない。何か新しいことを始めようとしても、「続くのか?」「お金がもったいないんじゃないか?」というブレーキが勝手にかかってしまう。年齢を重ねたことで、自由になった部分もあるけれど、失ったものも多い。

40代になると、何をしても疲れるという現実

最近は特に、体の重さを感じる。夜遅くまで本を読んでいたら、次の日は朝から頭がぼんやり。学生の頃なんて、徹夜しても平気だったのに。映画館に行くのも、車を運転して駐車場に止めて、チケットを買って…その一連の流れが、もう億劫になっている。楽しいはずのことが「疲れるから今度でいいや」と後回しになり、気づけば半年経っている。

映画1本観るのも体力勝負

Amazonプライムで観たい映画がリストにたまっている。でも、再生ボタンを押すだけなのに、その気力が湧かない。スマホで短い動画を見ているほうが気楽で、ついそっちばかり見てしまう。90分や120分じっくり観る集中力が、今の自分には残っていないのかもしれない。それでも「これは自分の好きだったことなのに」と、もどかしい気持ちになる。

楽しいはずなのに、どこか無理をしている

久しぶりに知人と将棋を指す機会があった。でも心から楽しめたかというと、少し微妙だった。「楽しまなきゃ」と思っていたのかもしれない。昔のように純粋に没頭できない。どこか「これは昔好きだったもの」として見てしまっていて、今の自分とは少し距離がある。楽しむことにすら気を張ってしまう自分が、なんだか寂しい。

人とのつながりの減少が拍車をかける

人と一緒に何かをする機会が減ると、趣味も自然と消えていく。昔は友達と集まってキャンプや飲み会を楽しんでいたけれど、今では誰からも誘われないし、自分からも誘わない。歳を重ねるごとに「気を遣う関係」に疲れてしまって、つながりを最小限に絞るようになってしまった。そうなると、自分一人で何かを楽しむ術を持っていない限り、趣味というものは徐々に薄れていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。