信頼されることの重さに押しつぶされそうになる
「全部任せます」と笑顔で言われたとき、一瞬だけ、こっちも笑顔になる。でもその後すぐに、胃のあたりがずっしりと重くなる。ありがたいはずの信頼が、時として強烈なプレッシャーになるのが司法書士の仕事だ。自分の判断ミスが、そのまま依頼人の損失になる可能性があるという現実が、常に背中に貼りついている。「信頼されている」という言葉だけでは割り切れない、孤独と責任の重さがある。
「任せる」と言われた瞬間の心の揺れ
「じゃあ、あとは先生に全部お任せしますね!」その一言が頭に残って離れない。登記の内容をしっかり理解せずに、その場のノリや安心感だけで任せられてしまうことがある。もちろんプロとして全力を尽くすけれど、「本当にそれでいいのか?」「何か見落としていないか?」という不安が常に脳内をぐるぐる回る。頼られる喜びよりも、責任の重さばかりがのしかかる。
嬉しさよりも不安が先に立つ理由
信頼されることは本来なら誇るべきことだ。でも、詳細な説明や確認なしに「任せる」と言われたときは、むしろ警戒するようになってしまった。特に、不動産登記では小さなミスが命取りになる。書類の一字一句、関係者の事情、過去の経緯まで目を光らせる必要がある。そうしたプロセスを飛び越えて任されると、嬉しさよりも「大丈夫か?」という不安が勝ってしまうのだ。
言外に隠れている「責任はそっちね」の空気
「任せる」と言われたときの真意を探ってしまうのは、経験から来る警戒心だ。「全部お任せ」には、「もし何かあっても責任はあなたね」という無言の圧力が含まれていることがある。依頼人は悪気なくそう言っている。でも、いざトラブルがあれば「そこまで想定してくれてると思っていた」となるのが現実。その一言に、こちらが背負う覚悟を試されている気がしてならない。
事務所の現実 人手も時間も余裕はない
地方の小さな司法書士事務所。従業員は自分と事務員さんの二人だけ。繁忙期は電話が鳴りっぱなしで、書類が机の上に山のように積まれる。依頼を断る余裕なんてない。でも受ければ受けるほど、自分の心と身体が削られていく。誰にも頼れない状況で「全部任せます」と言われると、処理能力の限界が近づいていることを実感する。
事務員ひとり 回らない日常
うちの事務員さんはとても頑張ってくれている。でも、彼女ひとりでできる仕事量には当然限界がある。書類の作成、確認、郵送、登記申請の補助…。すべての工程が正確でなければならないのに、人的リソースが足りない。僕自身が雑務も含めてすべてを背負っている状態で、毎日が綱渡りだ。効率化しようにも、時間が足りない。
結局すべて自分に返ってくる仕組み
登記に関する業務はどんなに分担しても、最終的な責任は司法書士である僕自身にある。「あれは事務員がやったから」「忙しくて確認できなかったから」は通用しない。結局、どんな失敗も自分に跳ね返ってくる。だからこそ、「全部任せる」と言われると怖くなるのだ。自分以外に矛先が向かない世界で、全部を請け負うことがどういうことか、その重みを依頼者にはなかなか理解してもらえない。
実はよくある「全部任せる」の落とし穴
登記の依頼を受ける中で、「全部お任せ」が珍しくないことに、最初は驚いた。でも慣れてくると、それがある種の定型句のように使われていることにも気づくようになる。信頼の表現でありながら、同時に情報共有の放棄でもある。それをどう補完するかが、司法書士の悩みのひとつだ。
相談者に悪気はないけれど
依頼者にとっては、登記のことは専門外。自分で調べるのも面倒だし、信頼できそうな人に丸投げしたくなる気持ちはよくわかる。でもこちらとしては、最低限の情報や意思確認がなければ業務が進められない。そこを伝えると「じゃあやっぱりいいです」となってしまうこともあり、悩ましい。「全部任せる」と言われることで、むしろ仕事がやりにくくなる皮肉がある。
内容を把握していない人に任される怖さ
過去に一度、「任せる」と言った方が、登記完了後に「こんなこと頼んでない」と怒鳴り込んできたことがある。説明は何度もしていたし、確認書面にもサインをもらっていたけれど、本人が内容を理解していなかった。結果としてトラブルになり、何時間も謝る羽目になった。「任せる」は魔法の言葉ではなく、むしろ地雷になる可能性があると痛感した瞬間だった。
どこまで確認しておくべきか毎回悩む
業務のたびに「これは本人に確認すべきか、それとも専門家判断で進めていいのか」と悩む。すべてを事細かに説明すると相手が混乱する。でも省略すれば、後から「聞いてない」となる。ちょうど良い距離感や説明の加減が難しい。毎回が初対面のような感覚で、対応の型がなかなかできない。自分の経験と勘に頼るしかない部分が多く、精神的な消耗が激しい。
元野球部の感覚で乗り切れない業務の繊細さ
高校時代は野球部で、怒鳴られながら根性で練習していた。だから社会に出ても、ちょっとの無理や理不尽には耐えることができる自信があった。でも司法書士の仕事は、根性だけでは乗り切れない。細かい確認、冷静な判断、そしてミスの許されない繊細な対応。ホームランを打てば評価される世界ではない。打率じゃなく、エラーゼロが求められる世界なのだ。
「気合と根性」ではどうにもならない登記の現場
書類の締切が迫っていても、目が疲れていても、書類の一文字を見落としてはいけない。疲れてるからといって「見逃して」もらえることはない。かつてのように「声を張って走ってればなんとかなる」という世界とは真逆。静かに、正確に、淡々と。感情を押し殺してやる作業に、元野球部の自分は正直とまどうことも多い。
試合のミスより怖い書類のミス
野球ならエラーしても、次の回に取り返すチャンスがある。でも登記のミスは、取り返しがつかないこともある。過去の一件で、名前の漢字を一文字間違えて登記を申請してしまったことがある。すぐに気づいて修正はできたが、依頼人の信頼は大きく揺らいだ。「あれで信頼を失った」と今でも胸が痛む。試合のエラーは笑って許されても、登記のエラーは笑えない。
精神論が通じない世界での孤独な戦い
「がんばれ」「根性出せ」なんて言葉は、この仕事では通じない。むしろ、そう言われたら心が折れそうになる。誰にも見られず、誰にも褒められず、ひたすらに正確さを求められる日々は、黙々とこなす耐久レースのようだ。独身の自分には、家に帰って愚痴る相手もいない。事務所でため息をついても、返事をくれるのはパソコンのファンの音だけだ。
それでもこの仕事を続けている理由
こんなにしんどい仕事、なんで辞めずに続けてるんだろうとふと思うことがある。でも、依頼人から「本当に助かりました」と言われたときのあの一言は、たしかに心に響く。大きな報酬や名声があるわけじゃないけど、人の人生の一部に関われるやりがいはある。孤独な戦いの中で、そうした瞬間がポツリポツリと現れる。そのわずかな光を頼りに、また机に向かう。