士業のくせにって言われたあの日から自信が迷子になった

士業のくせにって言われたあの日から自信が迷子になった

士業なのにって何だよと心の中で叫んだ朝

ある朝、依頼者からの電話口でこう言われた。「士業のくせに、そんなことも知らないんですか?」。その瞬間、体の奥に冷たいものが流れ込むような感覚がした。言い返す言葉は浮かばなかった。いや、言い返す気力がなかったのかもしれない。士業という肩書きが、いつのまにか重荷になっていたことに気づく。期待される姿と、現実の自分とのギャップ。それが毎日の業務に影を落とす。言葉は、時に肩書き以上に人を追い詰める。

言葉ひとつで揺らぐプライドと肩書きの虚しさ

司法書士という職業には、専門性や信頼性が求められる。でも、世間の目は時に残酷だ。「士業のくせに」と言われた瞬間、それまで積み上げてきた努力や経験が一瞬で否定されたような気がした。名刺に書かれた肩書きでは、自分を守れないこともある。士業というラベルの裏に隠れた、人としての未熟さや弱さが、否応なしに炙り出される。

相談者の一言が突き刺さる日常

「それってあなたの仕事ですよね?」そう言われた時の空気の重さ。書類の説明を丁寧にしても、感謝されるどころか責められるような場面もある。もちろんこちらに非があることもある。でも、まるでそれが「当然の失敗」かのように扱われると、心がざらついてくる。士業である前に、僕も人間なんだと、どこかで誰かに分かってほしいと思ってしまう。

立場が上のはずなのに下に見られる現実

本来、専門家として頼られる立場のはずだ。でも現場では、相手の態度ひとつで簡単に上下がひっくり返る。特に年配の依頼者からは、「若造が」と思われている気がしてならない。もう若くはないと自分では思っていても、「士業のくせに」という言葉は、いつまでも修行中のような気分にさせられる。何年やっても「一人前」にはなれないのか、とため息が出る。

元野球部だったころの自信はどこへ

高校時代、野球部でキャッチャーをしていた。リーダーシップを発揮して、周囲を支える役割が性に合っていた。声を張って、仲間を鼓舞していたあの頃の自分には、迷いもなければ弱音もなかった。それが今ではどうだろう。相談を受けても不安が先に立ち、自信のない声しか出せない自分がいる。いつの間にこんなに弱くなったのか、自分でもよくわからない。

キャッチャーの視点で全体を見ていた頃の自分

キャッチャーというポジションは、常に全体を見渡す役割だった。ピッチャーの調子、相手打者の癖、守備陣の位置。すべてを把握して、瞬時に判断を下す。今の司法書士の仕事と似ているようで、全然違うのは、信頼関係の築きやすさだ。グラウンドでは、仲間がいた。今は、ひとり。どこか、背中を預ける相手がいないことの不安がずっとつきまとう。

今はバッターボックスで空振りしてばかり

仕事の現場に立つたび、バッターボックスに立っている気分になる。でも、ボールは想像以上に速く、変化球も多い。的確に対応する余裕もなく、空振りばかり。依頼者の要望、行政のルール、期日のプレッシャー…。一球一球が重たく感じる。ホームランなんて打てなくていい、せめてヒットを重ねる日々でありたいと思うが、それすら難しく感じる日もある。

忙しさの中で見えなくなる士業らしさ

朝から晩まで書類に追われ、電話対応に振り回され、外出して帰ってきたらまた新たな案件。そんな毎日に追われるうちに、「士業らしさ」って何だったのか分からなくなる。人に寄り添うとか、法的な助けになるとか、理想はある。でも、理想と現実の溝は深く、ふとした瞬間に自分が何者なのかすら曖昧になってしまう。

一人事務所にのしかかる責任と限界

人を雇ってはいるが、実質的にはすべて自分の責任。登記の確認も、顧客対応も、クレーム処理も。全方位からのプレッシャーに対して、相談できる相手がいないのは辛い。自分が倒れたらすべてが止まる。それが怖くて、休めない。そんな日々が続くと、「士業」なんてかっこいい言葉とは裏腹に、ただの疲れたおじさんになっている自分に気づく。

事務員さんにも頼れない瞬間の孤独

うちの事務員さんは本当に頑張ってくれている。でも、法律の知識が必要な判断や対応はこちらがするしかない。忙しい時に「これ、間違ってませんよね?」と聞かれても、心の中では「間違ってたら終わりなんだよ」と焦る気持ちが募る。誰にも甘えられない孤独。だからこそ、ちょっとした言葉が心に刺さる。

士業って名乗る資格すら怪しく思えてくる

士業って、もっと立派な人が名乗るものじゃないのか。そんなことをふと考えてしまう瞬間がある。誰かに感謝された日より、怒られた日のほうが記憶に残る。自分の価値を誰が認めてくれているのか、わからなくなる。資格を取った頃のあの誇らしさは、今どこにあるのか。名乗る肩書きは変わっていないのに、自信だけがどこかへ消えてしまったようだ。

モテないってだけで人間失格なのか

いい歳して独身で、出会いもなく、会話の相手は役所か金融機関か依頼者ばかり。恋愛とは程遠い生活。たまに実家に帰れば、親に「結婚しないのか」と聞かれ、友人には「紹介するか?」と軽く笑われる。モテないってだけで、まるで何かに劣っているような気分にされることがある。

結婚できない士業に未来はあるのか問題

将来が見えない不安。病気になったらどうしよう、仕事がなくなったらどうしよう。誰かと支え合う未来を描けないことで、人生設計にも迷いが生じる。人に頼られる仕事をしているのに、自分は誰にも頼れない。その矛盾が、胸の奥でずっとくすぶっている。

同窓会ではただの独身扱い

久しぶりの同窓会に行くと、家庭の話ばかり。子どもの進学、家のローン、夫婦のやりとり。どれも僕には縁のない話題。司法書士という仕事をしていると言っても、「へぇ~、難しそうだね」と適当な返事で終わることが多い。何も残していない気がして、虚しさばかりが募る。

本音を言えば寂しいに決まっている

強がって「一人が気楽だよ」なんて言ってるけど、本音を言えば、寂しい。誰かと今日の出来事を話したい夜もあるし、弱音を吐ける相手がいればと思うこともある。でも、今さら誰かに頼るのは格好悪い気がしてしまう。そんな自意識が、また自分を孤独にしている。

それでも明日は書類がやってくる

どんなに気持ちが沈んでも、どんなに自信が揺らいでも、仕事は待ってくれない。登記の期日は迫ってくるし、依頼者はやってくる。気づけば、机の上には新しい案件が並んでいる。心がついていかなくても、手は動かすしかない。

一歩進めばまた一通の依頼が届く日常

それでも続ける理由は何だろう。お金?責任?習慣?いや、もしかしたら「誰かの役に立てた」というたった一度の実感を、もう一度味わいたいからかもしれない。小さな「ありがとう」が、また自分を立ち上がらせてくれる。だから、今日も書類に向き合う。自信なんてなくても、誰かのために。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。