完了しましたと言いながら心は完了していない日

完了しましたと言いながら心は完了していない日

仕事は片付いても気持ちは残るという矛盾

今日もひととおりの仕事を終え、「完了しました」と依頼者にメールを送った。書類も揃えたし、登記申請も無事終わった。誰がどう見ても仕事としては完璧にやり終えているはずだ。でも、自分の中では何かが終わっていない感じが拭えなかった。体はデスクから離れても、気持ちはその案件にまだ絡め取られている。そんな日が時々ある。むしろ、歳を重ねるごとに、そういう日が増えてきた気がする。

報告メールの完了しましたが空虚に見える瞬間

「完了しました」この5文字を送るたびに、妙な虚しさを感じる日がある。司法書士という仕事は、言ってしまえば“完了”の積み重ねだ。案件を受け、調べて、書類を作り、提出して、結果を待って、完了報告。だが、人の想いや過去、時には喪失と向き合っていると、それらを一つの区切りでまとめるのは難しい。メールを打ちながら、ふと「これで本当に良かったのか」と疑問が浮かぶ。依頼者には迷惑かけずに済んだ。でも、自分の中には何かが残る。

一つ一つの業務に込めた気力と疲労感

登記のひとつ、相続のひとつにしても、背景には複雑な家庭事情や感情のやり取りが詰まっている。ある相続登記では、疎遠だった兄弟とやり取りしながら感情の調整を求められた。法律上はスムーズに処理できたけれど、依頼人がこぼした「これで本当に仲直りになるのかな…」という一言が胸に残っている。案件としての「完了」と、心の「完了」は、まったく別物だ。そういうのが、じわじわと疲れを積み上げていく。

終わった感がこないのはなぜか

「終わった感」が来ない理由の一つは、たぶん“心の動き”を置いてきぼりにしているからだと思う。業務上のやりとりに集中するあまり、自分が感じたことを振り返る暇もない。気づけば案件は次から次へと舞い込んできて、振り返る隙を与えてくれない。例えば、ふと夕飯時に湯船につかりながら、「あの依頼者、今夜はどんな気持ちで過ごしているんだろう」と考える自分がいる。その時になってようやく、やっと仕事の“重さ”を感じるのだ。

仕事の達成感が湧かない日の特徴

手続きとしては問題なく完了しているのに、まるで達成感が湧かない。そんな日が、最近は珍しくない。達成感がある仕事というのは、自分が「役に立てた」と実感できたときだ。でも、それが見えにくい業務もある。相続や抵当権の抹消なんて、感謝されることは稀だし、連絡すら来ないこともある。そんなとき、ふと、「何のためにこの仕事をやってるんだっけ?」という問いが頭に浮かぶ。別にヒーローになりたいわけじゃない。でも、誰かの記憶に少しでも残っていてほしい、そんな想いがあるのかもしれない。

目の前の成果より心の整理が先に必要な時

そもそも“成果”って何なんだろう。処理件数?報酬額?それとも、お礼の言葉?答えは人それぞれだと思うけど、最近の自分は「心が軽くなったかどうか」で判断してしまっている。目の前の書類が片付いていても、心の中に未完了な感情があると、満足感は得られない。逆に、案件としては苦労続きでも、依頼人が最後に「お願いしてよかった」と言ってくれると、それだけで気持ちは落ち着く。結局、自分の満足は“心の整理”にかかっているのかもしれない。

人と関わる案件ほど感情がついてまわる

法人登記や契約書チェックなど、機械的に進められる案件もある。でも、人が絡む相続や遺言、成年後見などは、どうしても感情がセットになる。ある日の相続相談で、依頼人が涙ながらに父親との確執を語ったことがある。その語りをじっと聞いているうちに、まるで自分がカウンセラーになったような感覚に陥った。法律家として冷静に対応するべきだけど、心までは簡単に切り替えられない。こういう感情の蓄積が、達成感を曇らせるのだと思う。

ひとり事務所の孤独と報告相手の不在

「誰かに聞いてもらいたい」そんな気持ちになる日がある。でも、小さな事務所で、話し相手は事務員さん一人。気軽に愚痴ることも難しい。仕事を終えた夜、自宅でひとり、テレビもつけずに夕食をとると、「今日の気持ち、どこにも置いてこれなかったな」と思う。仕事の悩みを話せる友人も少ないし、ましてや恋人なんてものは…夢のまた夢だ。

分かち合う人がいないという疲れ

例えばサラリーマンなら、同僚と飲みに行って「あの案件大変だったな」とか話せるかもしれない。でも司法書士という職業柄、なかなかそういう機会はない。独立してる以上、すべて自分で背負う覚悟はある。でもやっぱり、分かち合える誰かがいれば、それだけで救われる気持ちになる。業務の質云々よりも、気持ちのやり場がないことが一番の疲労の原因になっている気がしてならない。

すごいですねの一言すらなく一日が終わる

ある日、難しい登記をやりきったあと、ふと「誰も褒めてくれないな」と思ったことがある。事務員さんは丁寧に仕事してくれるけど、そんなことまでは言ってくれないし、言われる筋合いでもない。でも、誰かに「すごいですね」と一言でも言ってもらえたら、それだけで救われる日もある。独身であることを言い訳にしている自分が、少しだけ虚しくなる。

事務員さんに愚痴るのも限界がある

事務員さんはとても真面目で優秀な方だ。だけど、仕事中に愚痴をこぼすわけにもいかないし、重たい話をしても困らせてしまう。だからと言って、毎回笑顔で「完了しました」と報告する自分に、どんどん嘘が積み重なっていく。事務所の雰囲気を壊したくないという気持ちもあるし、結局は自分の中で抱えるしかない。これは“ひとり所長”という立場のつらさでもある。

同業者との距離感と本音の共有の難しさ

司法書士同士の繋がりもあるにはあるけど、やっぱり競争もあるし、みんな気を張っている。雑談の中で少しだけ愚痴をこぼすと、「あ、俺もそれある」と言ってくれることもある。でも、深入りすることは少ない。本音をさらけ出す場は意外と少なく、「強く見せる」ことを求められる気がしてしまう。本音を隠す癖がついてしまっているのかもしれない。

雑談のふりをして気持ちを吐くスキル

だから最近は、雑談の中に少しずつ本音を混ぜるようにしている。「最近ちょっと疲れが抜けないんですよね」なんて軽く話すと、「それ、わかるわ」と返してくれる人もいる。その瞬間だけでも、気持ちがふっと軽くなる。本気で打ち明ける勇気はまだないけれど、ほんの少しだけ心を出すだけで、救われることもあると知った。

本音を出す相手がいないことの代償

ただ、それでも結局は独りに戻る。家に帰って布団に入ると、「今日も誰にも本音を言えなかったな」と思う日がある。積み重なった言葉にならない想いが、眠りを浅くする。翌朝、また「完了しました」とメールを打つ。心は全然完了してないのに。だからこそ、たまには「疲れました」とだけ言いたい日もある。誰かがそれを受け取ってくれるだけで、少しは救われるのになと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓