法律知識があるだけでは食べていけない僕らの話

法律知識があるだけでは食べていけない僕らの話

法律を武器にしたはずなのに現実は厳しい

司法書士になる前、僕は「知識があれば食っていける」と本気で信じていた。六法全書と格闘したあの受験時代、苦しいけど希望はあった。資格を取れば人生が変わる、そう思っていた。でも、実際に独立してみて思い知らされる。「知識」だけじゃ、全然足りない。むしろ、現場に出たら、知識は道具の一つでしかない。道具箱の一番奥にあるような存在。使い方次第で意味があるけど、それだけじゃ戦えない。そんな厳しい現実が待っていた。

資格を取った日と今のギャップ

合格証書を手にしたあの日は、家で一人ガッツポーズをした。両親に電話して、友達にLINEして、ビールを飲んで泣いた。けど、その後待っていたのは、ひたすら地味で孤独な日々。営業?広告?知らん。最初の半年、電話はほとんど鳴らなかった。役所への申請で役人に小馬鹿にされて、相談に来た依頼人に「なんか頼りないですね」と言われた。法律知識があるだけでは、仕事がもらえない。それが痛感できた最初の半年だった。

頭では勝てない場面が多すぎる

法律の知識で勝てるのは、あくまで紙の上だけ。現実は、感情やタイミング、人付き合いが絡み合う。例えば、ある高齢者の相続相談。僕は法的に正しい提案をしたが、納得してもらえなかった。逆に、隣の町の司法書士は、多少間違っていても依頼人に寄り添って共感し、仕事を取った。理屈より空気を読む力。法の論理より、人の論理。そんな場面が、思った以上に多い。なんだか悔しい。でも、それが現実なんだ。

人との関わりが仕事を左右する

この仕事、結局のところ「人」に尽きる。誰とどう接するか、どう説明するか、どう信頼されるか。そこが一番難しいし、一番疲れる。法律なんてどれだけ勉強しても、人との距離感はテキストに載ってない。

相手に伝わらない正論の虚しさ

正しいことを言っても、伝わらなければ意味がない。それどころか、煙たがられる。たとえば登記の話で「これはこういう法律がありまして」と説明しても、依頼人の頭には「で、何がどうなるの?」しか残らない。ある日、依頼人に「そんな難しい話、誰も聞いてませんよ」と言われて、心が折れそうになった。頑張って勉強してきたことが、まるで無価値に感じられる瞬間だった。

説明しても納得されないストレス

一度、相続登記の必要性について詳しく説明したのに、「うーん、でも今回はやっぱりやめときます」と断られたことがあった。その人は最終的に他の事務所に行った。理由は、「あっちの人はやさしかったから」。いや、こっちはちゃんと説明したし、手間も費用も考慮した提案だった。それでも、納得されない。論理より感情。いつも、そこに負けてる気がする。

事務員の方がよっぽど話がうまい

うちの事務員(女性)は、僕より話がうまい。何かを説明する時、彼女が補足すると、依頼人が「ああ、なるほど」と納得する。僕が何度説明しても伝わらなかったことが、一言で伝わる。正直、ちょっと嫉妬する。元野球部で声だけは大きいのに、話が伝わらないって、なんか情けない。でも、助けられてるのも事実。頼りにしてます、本当に。

人の感情に法律は効かない

「それは法律的にダメです」と言うと、敵を作るだけ。特に揉めてる親族間では、誰かの味方をしたように見られてしまう。中立を貫いても、「どっち寄りなの?」と聞かれる。感情に巻き込まれると、こっちの心も消耗する。法律は冷静な道具だけど、現場は感情の嵐。そのギャップに毎回、疲弊する。夜、一人でビールを飲みながら、あれでよかったのかと反省する日々だ。

地方で独立すると全部ひとりで抱える

地方で司法書士事務所を構えるというのは、結構なチャレンジだ。依頼は来る。来るけど、人手はない。事務員一人では到底回らない。だから、掃除も備品の発注も広告の更新も、ぜんぶ自分。知識より体力の勝負になる瞬間もある。

集客も営業も雑務も俺の仕事

地方では口コミが命。ホームページを作っても見られない。地元の人はネットよりも「どこの誰がやってるのか」を重視する。だから、地元の会合やイベントに顔を出す。でも、内向的な僕には正直キツい。話しかけるのも気疲れする。でも行かないと忘れられる。結果、休日は潰れる。雑務も山ほどある。登記の傍らでインクを買いに行く日常。「先生」って呼ばれるけど、実態は便利屋だ。

先生って呼ばれても中身は孤独

どれだけ「先生」と呼ばれても、事務所に戻れば一人。電話も鳴らない夜がある。仕事のミスを反省する夜もある。誰にも相談できずに、ネット検索を繰り返す夜もある。そういうとき、自分って何してるんだろうと思う。でも、やるしかない。頼れるのは自分だけ。そこに誇りもあるけど、やっぱり孤独は消えない。

頼れる人がいない時の不安

たまに補正が続いて頭を抱える。ミスではないけど、役所との感覚がズレてるとき。誰かに「これで合ってる?」って聞けたらどれだけ助かるか。でも、聞ける相手がいない。先輩も近くにいないし、同業のつながりも薄い。ネットで情報を探しても、結局は自己判断。そんなとき、自分の未熟さと孤立感に押し潰されそうになる。

事務員に愚痴ると逆に心配される

忙しい時ほど、つい事務員に愚痴ってしまう。「もうやってられない」とか、「やっぱ無理あるわ」とか。でも、彼女はやさしく「無理しないでください」と言ってくれる。申し訳ないと思いながらも、救われる。とはいえ、言いすぎると気を使わせてしまう。だから、結局、愚痴も自分の中で留めるようになった。吐き出す場所がないというのも、地味につらい。

モテないし出会いもないけど仕事は来る

この歳になって思う。仕事は増えた。でも、恋愛は減った。というか、ほぼない。職場と自宅を往復する日々。婚活を試したこともあるけど、自己紹介の時点で反応が鈍る。「司法書士って何する人?」って聞かれると面倒くさい説明が始まり、結果的に会話が盛り上がらない。そんな現実がある。

結婚相談所に払う金も仕事道具に消えた

以前、結婚相談所に登録して数か月活動したことがある。数十万円払って、何回かお見合いもした。けど、うまくいかない。仕事が忙しい、時間がない、気が合わない…。どれも理由だったけど、結局は「余裕がない」んだと思う。そのお金があれば、新しい複合機が買えたな…と思うこともある。虚しいけど、仕事に注ぐしかなかった。

先生ってモテそうは幻想だった

たまに言われる。「先生ってモテそうですね」って。でも、そんなの幻想。実際には、スーツで疲れた顔して役所を走り回るだけの男だ。余裕もなければ、洒落っ気もない。疲れてるときは目も死んでる。そりゃあモテない。しかも、法律の話ばかりする男なんて、普通に面白くないと思う。だから、期待しない。…けど、たまに誰かと一緒に飯食いたいと思う夜も、ある。

それでも法律家を続ける理由

じゃあ、なぜ司法書士を続けるのか。正直、楽じゃない。報われないことも多い。でも、それでもやってるのは、やっぱり感謝の瞬間があるから。誰かに「助かりました」と言われるその一言が、全てを救うときがある。

感謝される瞬間があるから

ある日、相続登記の相談を終えた依頼人が、帰り際に深く頭を下げて「先生がいてくれて本当に助かりました」と言ってくれた。その瞬間、しんどさが吹き飛んだ気がした。自分がこの仕事をしてる意味を思い出せた。そういう瞬間があるから、続けていられる。たとえ小さなありがとうでも、それは僕にとって、ものすごく大きな意味を持っている。

涙を見せる依頼人に救われる

過去に、遺言書の手続きを終えたとき、依頼人がぽろっと涙を流したことがあった。「父が安心して旅立てると思います」と言ってくれた。その言葉に、僕の方が泣きそうになった。大変な仕事だけど、人の人生に関われる尊さがある。報酬以上の何かが、そこにある。だから、僕はまた明日も、法務局に行く。疲れていても、行く。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。