なんでそんなに仕事のこと聞きたがるのか
居酒屋で「最近どう?」と聞かれるたび、正直なところうんざりする。もちろん相手に悪気はないのはわかってる。でも、どうして人ってこんなに「仕事の話」で他人を測りたがるんだろう。たとえば高校の同級生と会っても、「司法書士って儲かるの?」なんて会話ばかり。昔は野球部で汗まみれだった仲なのに、今は年収とか案件数で測られるのが切ない。たぶん、仕事のことを話したくない人もいるんだって、想像できないんだろうな。
悪気はないとわかっていても疲れる
「大変でしょう?」「最近忙しいの?」。一見、気遣いの言葉のようで、僕にはもう“圧”にしか感じない。年中忙しくしてるのは事実だけど、それを口に出したところで「そっか、大変だね」と流されるだけ。こっちは、ただただしんどいのに、軽く消化される感じがして、またモヤモヤが溜まる。言葉を選びながら答えても、相手に伝わってる実感がない。それなら話さないほうが楽だと思ってしまう。
ただの雑談が心に刺さる瞬間
昔、親戚の集まりで「まだ独立しないの?」と聞かれたことがある。すでに開業して十年以上経ってた。でも「司法書士って、そういう自由業的なもの?」と、よくわかってない人からしたら、“一人で事務所やってる”の意味が伝わっていない。そのとき笑ってごまかしたけど、帰りの車の中でなんだか虚しくなった。自分の仕事を誰にもちゃんと伝えられていない気がして、肩の力が一気に抜けた。
「大変でしょう?」に込められた圧力
「大変でしょう?」のあとに続くのが、「でもやりがいあるんでしょ?」というパターン。これ、どちらかというと「大変だけど好きでやってるんでしょ?」って意味なんだよな。実際のところ、しんどいけど生活のためにやってる部分のほうが大きいし、誇りはあっても毎日が楽しいわけじゃない。そういう本音をぶつける場もなく、ただ「まあ、ぼちぼちです」で済ませる自分が少し嫌になってくる。
自営業=自由みたいな誤解
「自営業っていいよね、自由で」。この言葉、もう100回は聞いたかもしれない。たしかに自分で時間を決められる面はある。でも実際は、期限に追われ、取引先に合わせて休日も夜間も対応する。自由なのは、すべての責任を自分で負うという意味であって、決して“気楽”じゃない。むしろ逃げ場がないぶん、会社員よりしんどい時もある。そういう現実を知っている人は、意外と少ない。
休みのない日々に「自由でいいね」は酷だ
たとえば正月三が日。まわりが箱根駅伝を見てる中、こっちは急ぎの登記対応に追われてることがある。そんなときにSNSで「自由でいいね」とコメントされた時は、スマホを投げたくなった。自由って言葉は便利だけど、責任を背負った上での自由なんて、まるで鎖のついた凧みたいなものだ。どこまで飛んでも、糸を手放せば墜落する。そんな感覚、誰にわかってもらえるのか。
年末年始も盆も関係ないって誰が決めた
裁判所が動かないからって、こちらの仕事が止まるわけじゃない。書類の山、期限ギリギリの登記、問い合わせの電話。お盆に休もうとしたら、「そんなときに?」と驚かれたこともある。いや、逆にいつ休めばいいのか教えてほしい。そう思いながら机に向かってる。たまには“何もしない日”が欲しい。でもその何もしないことが、逆に罪悪感を呼ぶようになってしまった。
何を話せばいいのか本当にわからない
たまに飲み会に行くと、会話の流れが「仕事何やってるの?」に偏りがちになる。でも司法書士って、説明するのが地味に難しい。土地建物の登記とか相続とか言っても、「ふーん、難しそう」で終わってしまうし、興味を持たれることが少ない。そうなると、こっちは話を短く切り上げたくなる。でも黙ってると“話下手”みたいに思われて、それはそれでつらい。
成果主義でもなく出世もない世界
司法書士には“出世”がない。役職もなければ人事もない。頑張ったからといって報われる保証もない。だから話せる「昇進エピソード」も「プロジェクト成功談」もない。ただ淡々と依頼に応じ、失敗せず、ミスなく書類を処理していくだけ。誰に話しても盛り上がらない仕事の話題。なのに、なぜか話さなきゃいけない空気がある。この矛盾がずっと気になっている。
話題にできる“変化”がない日常
変化がないのが、この仕事の良さでもあり退屈でもある。毎日パズルのように細かい手続きを積み上げていく。それは好きな人には向いてるけど、他人に話すネタとしては面白くない。たとえば、「今日は抵当権の抹消登記が2件で~」なんて話しても、誰も聞いてない。それがわかってるから、余計に話すのが億劫になる。そして、話せない自分にまた落ち込むという悪循環。
毎日地味に目を酷使してるだけの現実
「仕事で何が一番大変?」と聞かれて、真剣に「目が痛い」と答えたら笑われた。いや本当に、老眼も進んできたし、小さな字ばかりの登記簿や申請書を毎日見てると、夕方には視界がぼやけてくる。ブルーライトカットの眼鏡を使っても限界がある。そんな“地味な苦労”って、あまりにも伝わらない。だからといって大げさに言うのも違うし、結果、黙ってるしかなくなる。