人が辞めていく音は意外と静かだ
人が辞めるときって、思っている以上に静かだ。机の引き出しを静かに閉める音、パソコンの電源を落とす音、そして最後の「お世話になりました」という挨拶。どれも淡々としていて、まるで事務的。怒鳴り合いや涙の別れなんてドラマの中の話で、現実はもっと乾いている。ここ最近、うちの事務所でもまたひとり、辞めていった。なんだかそれが、少しずつ心に沁みてくる。
最初は賑やかだったあの頃
昔は事務所に人が多かった。いや、そんなに多いわけではないが、今よりはだいぶ賑やかだった。昼休みに雑談が飛び交い、仕事が終わった後には軽く飲みに行ったりもした。誰かの誕生日にはケーキを用意したこともあった。あの頃は「チーム」だった。仕事は忙しかったけど、孤独ではなかった。
若かった自分と笑い声のあった事務所
まだ30代だったころ、自分にも余裕があった。正直、多少の失敗には目をつぶれたし、冗談のひとつふたつで場も和んだ。だけど、年齢を重ねると笑い声が減ってきた。注意することが増えて、笑う余裕がなくなったのかもしれない。気づいたら、事務所に響くのはキーボードの打鍵音と、自分のため息ばかりになっていた。
続けてほしいと思った人ほど先にいなくなる
皮肉なもので、「この人なら長く続けてくれるだろう」と思った人に限って先に辞める。逆に「この人は大丈夫かな」と心配した人が意外と残る。理不尽さと予測不能さが、人材管理の難しさを物語っている。育てたかった人に去られる虚しさは、なかなか癒えない。
静かになった事務所で思うこと
事務所が静かすぎて、逆に不安になることがある。コピー機の音がやたら響くし、時計の針の音にまで気を取られるようになった。静寂は集中をもたらすかもしれないが、ここまで静かだと気が滅入る。誰かと雑談を交わすだけでも、随分と気が紛れていたんだなと今になって思う。
人がいないときの時計の音がやたら大きく聞こえる
静かな空間で仕事をしていると、不意に時計の「カチ、カチ…」という音が耳に入ってくる。以前は気にも留めなかったその音が、今は妙に心に響く。時間は確かに進んでいるけれど、それと同時に何かが少しずつ抜け落ちていくような、そんな感覚になる。
独り言が増える日常とそれに気づく瞬間
気がつけば、独り言が増えた。「よし…やるか」「あれ、どこいった?」なんて声に出して、自分で答えることもある。その瞬間、ふと我に返って「…やばいな」と苦笑いする。そんな自分を見ているのは誰もいないのに、なんだか恥ずかしくなる。
辞めた理由は結局わからない
「家庭の事情で…」といった無難な理由で辞めていく人が多い。でも、本音はわからない。本当に家庭の事情だったのか、それとも職場に何か問題があったのか。聞けないし、聞いてもたぶん言ってはくれない。残された方はただ「何か悪かったのかな」と考えるだけだ。
言葉では家庭の事情と言っていたけれど
直近で辞めた事務員さんも、理由は「親の介護」と言っていた。でも、帰り際の表情がどこかすっきりしていて、それが妙に引っかかった。ストレスから解放された顔だったのかもしれない。そう思うと、自分が加害者だったのでは…という思いが胸にこみあげてくる。
もしかして自分が原因かと考えてしまう夜
夜、ひとり事務所で書類整理をしていると、ふと「自分がもっと違う接し方をしていたら」と考えてしまう。強く言いすぎたかもしれない。ちゃんと話を聞いてあげられなかったかもしれない。そういう反省だけが、頭の中をぐるぐると回り続ける。
誰かを責めるより先に自己嫌悪がくる
辞めていった人に対して「なぜ言ってくれなかったんだ」と責めたくなる気持ちはある。でも、実際に出てくる感情は自己嫌悪だ。「自分がもっとしっかりしていれば」「もっと余裕があれば」…結局、責任を感じるのは自分なのだ。
またひとり採用してまたひとり去っていく
人を雇っては辞められてを繰り返すと、「どうせまた辞めるんだろうな」と思ってしまう。それでも誰かを雇わなければ、業務は回らない。このジレンマにいつも頭を悩ませる。正直、面接の時点で未来を見通せたらどれだけ楽だろう。
履歴書の山に込めた期待と疑い
応募が来るたびに一喜一憂する。「今度こそ」と思うが、同時に「どうせまた…」という気持ちも拭えない。履歴書に書かれた経歴を眺めながら、その人物像を頭の中で想像する。だけど現実は、紙に書いてあることとはまったく違う。
面接ではわからないこの人は続くかの直感
面接では皆、丁寧に話すし、やる気があるように見える。でも、数ヶ月後には別の表情を見せることがある。「あのときの笑顔はなんだったんだろう」と思うこともしばしば。直感だけでは判断できないし、かといって経験だけでも測れない。人を見る目を磨くしかないのかもしれない。
人を育てることの難しさと苦しさ
育てるというのは、時間も心も使う作業だ。最初のうちは失敗してもフォローするし、丁寧に教える。でも、教えた先に残ってくれなければ、全てが水の泡になる。どこまで信じて、どこで見切るか。そのバランスが難しい。
誰もいない時間の中で気づくこと
ひとりきりになった事務所で、ふと考える。「自分はなぜ辞めないのか」と。忙しくて、きつくて、人が辞めていく職場なのに、なぜ自分はここに残っているのか。答えはまだ見つからないけれど、ひとつ言えるのは、やっぱりこの仕事が嫌いではないということ。
自分自身が事務所を去れない理由
辞めたいと思ったことは何度もある。でも、結局は辞めなかった。たぶん、この仕事に何かしらの使命感みたいなものを感じているんだと思う。それに、誰かに感謝された瞬間のあの気持ちは、何にも代えがたい。
独身でも辞めない理由はどこかにある
家族もいない。帰っても誰もいない部屋。でも、それでも自分の中に何か支える軸がある。誰かの役に立ちたいとか、せめて仕事では信頼されたいとか。そういう思いが、なんとか自分をここに繋ぎとめている。
守るべき何かがあると信じたい
結局、人は何かを守りたいから頑張れるんだと思う。自分にとってはそれが、この事務所であり、依頼者であり、たまに届く「助かりました」のひと言なのかもしれない。まだ完全に折れてはいない。それだけが今の救いだ。