今日もまた机に向かう理由が見つからないまま

今日もまた机に向かう理由が見つからないまま

毎朝机に向かうという儀式

朝のコーヒーの香りとともに、パソコンを立ち上げる。これはもう習慣、いや、儀式に近い。特別な気合いがあるわけでもない。ただ「いつも通り」に始めるために椅子に腰を下ろす。だけど、ふと「なんで毎日これをやってるんだろう」と思う瞬間がある。机の上の書類たちは、昨日から変わらず山のままだ。やりがいを見失ったまま、それでも体は勝手に動いている。

ルーティンが支えるかろうじての安定

一度手を止めると、崩れてしまいそうで怖い。だから、何があっても毎日同じ時間に出勤し、机に向かう。それだけで一日を乗り切った気になれる。昔、野球部で毎日素振りを繰り返していた頃を思い出す。意味なんて考えなかった。ただ、やるべきことだからやる。その感覚に近い。今の仕事も、もしかしたらそういうものなのかもしれない。

仕事があるだけマシという気休め

「仕事があるだけありがたいですよね」なんて言葉をよく聞くけど、正直、慰めにもならないときがある。やることがあるからこそ、心がすり減る。何もなければ悩まずに済んだのかも、なんて思うこともある。でも、それを誰かに言ったところで、ただの甘えに聞こえるだろう。だから黙って、また書類に目を通す。

それでもやっぱり気持ちは重い

毎朝感じる胃の重さ。体調が悪いわけじゃない。気持ちが重いだけだ。まるで無意識のうちに心がブレーキをかけているようで、スーツに着替える手もどこか鈍い。それでも時間が来れば事務所のドアを開ける。誰に頼まれたわけでもない。自分で選んだ道だとわかっていても、前向きにはなれない日もある。

この仕事のどこにやりがいがあるのか

司法書士という仕事に就いて十数年。新人の頃は「人の役に立っている」という実感がモチベーションだった。しかし年々、義務感ばかりが先行し、達成感や充実感は少しずつ薄れてきた。今の自分が本当に誰かを助けているのか、ふと疑問に思うこともある。

感謝されることはあるけど

たまに「ありがとう」と言ってもらえると救われた気がする。けれど、それが次のやる気に繋がるかというと、正直微妙だ。感謝の言葉よりも、処理しきれない業務の重圧の方が、ずっと強くのしかかってくる。理想と現実のギャップに、心がついていけない。

見返りがあるわけではない

努力に比例して報われる職業ではない。遅くまで残っても、休日出勤しても、特別な評価があるわけでもない。むしろ、やって当たり前。そんな空気の中で、自分を鼓舞し続けるのは簡単じゃない。気がつけば、報酬よりも疲弊の方が勝っている。

むしろ責任だけが増えていく

年を重ねるごとに、責任だけが膨らんでいく。登記ミス一つで大問題になるこの仕事。何かあったら全部自分の責任。そんなプレッシャーの中で、誰にも頼れず踏ん張っていると、精神的な摩耗は避けられない。誰かに預けられるものなら、半分でも分けたい。

事務所経営という名の孤独

独立してからずっとひとりで背負ってきた。雇っている事務員さんには感謝しかないけれど、経営の重みを共有することはできない。机に向かっている時間以上に、孤独を感じる時間の方が長くなってきた。

相談相手のいない日常

仕事の悩みを相談できる相手がいない。同業者とは顔を合わせても、突っ込んだ話まではしない。誰かに本音を言ったら、弱いと思われそうで言えない。結局、夜になって自分の影に向かって愚痴をこぼすのが関の山だ。

愚痴をこぼせるのは自分自身

人に話しても伝わらない気がして、自分の中に閉じ込める。お酒を飲みながら「ああ、今日も頑張った」と言い聞かせるのが精一杯。それでも、たまには誰かに「それはつらかったですね」と言ってほしい夜もある。

仕事の相談をできる相手がいない

例えば「この案件、どうすれば良いんだろう」と思っても、相談できる相手がいないのは本当にしんどい。ネットで調べて、法律書を引っ張り出して、自分で答えを探す。頼るのが苦手な性格なのか、頼れる相手がいないからなのか、もうよく分からなくなっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。