出会いはいつも司法書士ばかりだった僕の話

出会いはいつも司法書士ばかりだった僕の話

出会いはいつも司法書士ばかりだった僕の話

気づけば周りは全員同業者だった

地方で司法書士を続けて20年。ふと気づけば、僕の周囲にいる人間はほぼ全員が司法書士か、関係業界の人間ばかりだった。事務所を開業してからというもの、毎日朝から晩まで登記と書類、電話とFAXに追われる日々。交流といえば法務局、金融機関、たまに支部の集まり。誰かと食事に行っても、話題は業務の話。気づけばそれが“普通”になっていた。けれどある日、コンビニのレジで年下のパートさんに「なんの仕事なんですか?」と聞かれて、答えに詰まった。「司法書士です」と言っても、伝わらない。そのとき、僕の世界の狭さにようやく気がついた。

勉強会も懇親会も似たような顔ぶれ

業界の研修会や懇親会に行くと、まあ知ってる顔が揃っている。「あ、またこの人か」という感じで、悪気はないけど、新鮮さはゼロ。もちろん勉強になる話もあるし、最近の実務の動きなんかも聞ける。でも結局、業界内の話に終始してしまって、異なる価値観に触れることがない。懇親会といっても、ただの情報交換会になってしまう。誰かが結婚したと聞いても、相手も司法書士だったりして、「またか…」と妙に納得してしまう自分がいる。もうそういうもんだと、どこかで諦めてしまっているのかもしれない。

同性の気楽さと孤独感の間で揺れる

男同士、同業者同士、気兼ねなく話せるのは楽だ。でもそのぶん、深く心の内を見せるような関係にはなかなかならない。仕事の愚痴を言っても、「わかるわかる」と笑って終わる。慰められた気になるけど、それが本当に癒しになっているのかは怪しい。異性との関わりは、もはや「面倒くさい」領域に追いやってしまっていて、それもまた孤独を深めている気がする。いつからこんな生活になったんだろう。30代前半のころは、まだ「出会いがないなあ」と愚痴ってた。でも今は、「まあ、こういうもんだよな」と思ってる自分がちょっと怖い。

真面目な人ほど同業者としか会わない

これは僕の勝手な偏見かもしれないけれど、真面目でまっすぐに司法書士という仕事に向き合っている人ほど、交友関係がどんどん狭くなっていくように思う。開業したての頃は、「異業種交流会」とかにも顔を出していた。でも、ああいう場で出会う人たちとのテンションの違いに疲れてしまって、次第に足が遠のく。そして気づけば、同業者ばかりの安心できる世界に閉じこもる。刺激はないけれど、傷つくことも少ない。だけどその選択が、本当に自分の人生を豊かにしているかは、わからない。

日常に入り込めない異業種の人たち

異業種の人と交流したい、と思うこともある。でも現実問題として、その“時間”を確保するのが難しい。平日はフル回転。土日はたまった事務処理や、不動産業者との打ち合わせ。仕事が終わるのが夜9時過ぎ、なんてザラにある。そんな生活の中で、「新しい人と出会いましょう」なんて言われても、正直つらい。無理して時間を作っても、結局は仕事の疲れが顔に出てしまって、良い印象を与えられる気もしない。

そもそも時間が合わないという壁

会社勤めの人たちと比べて、僕たち士業は自由に見えて意外と不自由だ。クライアントに合わせる都合上、休日や退勤時間が不規則になることが多い。例えば夜の飲み会やイベントに誘われても、「今日は登記の締切が…」「書類がまだ片付いてなくて…」と断ってしまうことが多い。せっかく誘ってくれた相手にも申し訳なくなるし、それが続くと、自然と誘いも減ってくる。いつの間にか、予定が“空いてるけど空いてない”状態が当たり前になってしまった。

趣味も食事も仕事に巻き込んでしまう

これは僕の悪い癖なんだけど、誰かと食事に行っても、どこかで「仕事に繋がるかも」と思ってしまうところがある。つい名刺を持っていってしまうし、話題も業界寄りになってしまう。昔は純粋に人との会話を楽しめたのに、今では「この人、何か相談ごと持ってないかな」なんて考えてる自分がいる。気づけば、趣味の野球観戦すら、元クライアントと一緒に行くようになっていて、「純粋な時間」ってなんだったっけ…と感じる瞬間がある。

元野球部の集まりでも話題は仕事

高校時代の野球部仲間と年に一回、集まる機会がある。みんなそれぞれの道で頑張っていて、起業したやつもいれば、転職を繰り返してるやつもいる。でも、話題の中心は「今、何してる?」になって、結局は仕事の話になる。こっちは士業というよくわからない業種なので、「え、それって儲かるの?」なんて聞かれたりして、毎年ちょっとだけ疎外感を感じる。でも、誰にも悪気がないのはわかってる。ただ、もう少し仕事じゃない部分でも繋がれる関係が欲しいなと思う。

婚活で痛感した価値観のズレ

過去に何度か婚活アプリや相談所も利用した。でも、すぐに限界を感じた。まず、司法書士という仕事を説明するのが面倒くさい。「それって弁護士とは違うんですか?」から始まって、説明に時間がかかる。そして、土日や平日の夜が忙しいと伝えると、だいたい敬遠される。「安定してそう」と思われる一方で、「忙しそう」「付き合っても会えなさそう」という印象を与えてしまう。悪気はないとわかっていても、何度もそれを繰り返すと、さすがに自信がなくなってくる。

司法書士という肩書きは伝わりにくい

意外と知られていないのが司法書士の仕事。「なんでそんなに忙しいの?」とか「裁判とかやるんですか?」とか、よく聞かれる。でもそれを一から説明するのって、けっこうしんどい。肩書きはあるけど、説明しなきゃ伝わらないって、結構きつい。弁護士や医者のように“わかりやすい”職業じゃない分、相手との距離が生まれてしまうことがある。説明しながら、「あ、もういいや」となる自分もいて、会話が続かなくなってしまうこともある。

忙しさと融通の利かなさが邪魔をする

相手から「今週末、○○に行きませんか?」と誘われても、「土曜は立会いが入ってて…」「日曜は書類作らないと…」と答えてしまう。これが数回続くと、やっぱり相手も「この人とはタイミングが合わない」と感じてしまうのだろう。婚活はスピード感が大事と言われるけど、こちらにはそのスピードについていく余裕がない。気がつけば、連絡も来なくなっている。悪循環だとわかっていても、どうにもならない。そんなもどかしさが積もっていく。

「土日休みですか?」に詰まる

何度この質問に答えるのに困ったことか。「休みはいつですか?」「土日は休めますか?」という問いに、いつも曖昧に笑ってごまかしてしまう。「うーん、日曜の午後なら…」なんて答えると、だいたい微妙な空気になる。相手が悪いわけじゃない。でも、カレンダー通りに動けない仕事だということを、なかなか理解してもらえない。そこに“ズレ”を感じて、自然と心が距離を取ってしまうのかもしれない。

出会いの偏りがもたらす視野の狭さ

同業者ばかりの環境に慣れてしまうと、そこに疑問を持たなくなる。毎日がそれなりに忙しくて、業界内の話で盛り上がれる相手がいて、表面的には充実している。でも、外の世界で何が起きているのか、どんな価値観があるのかには無関心になってしまう。気づけば、「他人に興味が持てなくなってる自分」が出来上がっている。これは、長年同じ世界にいることの“副作用”かもしれない。

同業者とばかり話すと悩みが偏る

司法書士同士で悩みを共有するのは安心感がある。でもそれは、「悩みの共鳴」になってしまって、解決には繋がりにくいこともある。「わかるよその気持ち」と言われると救われるけど、同時に、「じゃあこのままでいいのか」と思ってしまう。悩みが“共有される”ことで、深く考えることをやめてしまうこともある。これは、ある意味での“甘え”なのかもしれない。

気づかぬうちに同じことで苦しんでいた

あるとき、仲の良い同業者と飲みに行ったとき、互いに「最近、孤独感がすごくてさ」と話して驚いた。いつも笑ってる彼が、同じようなことを感じていたなんて。結局、みんな同じことを感じていて、それを口にしないだけだったんだ。気づけば、互いに同じ井戸の中で溺れていた。誰も救いの手を伸ばさないまま、「まあ仕方ないか」と思ってしまう。それが司法書士の世界の“閉じた空気”かもしれない。

共感はあるけど解決策は見つからない

共感は心を軽くする。でも、それだけでは前には進めない。同業者とばかり話していると、同じ愚痴がループして、出口が見えなくなることがある。誰かが解決策を持っているわけでもなく、みんなでうなずいて終わる。共感が無意味だとは思わない。でも、それだけで満足してしまうと、変化は起こらない。だからこそ、外の空気に触れる必要があると、今は思っている。

一歩外に出る勇気が未来を変えるかも

最近は無理をしない範囲で、異業種の集まりに顔を出すようにしている。新しい刺激に戸惑うこともあるけど、それが悪くない。司法書士という肩書きに縛られず、人として誰かと話す。そんな時間が、思っていたよりもずっと心を豊かにしてくれる。出会いの幅が広がることで、自分の見える世界も少しずつ変わってきた気がする。もう少し早く気づけていたらなと思うけど、今からでも遅くはないと思いたい。

小さな行動が出会いの種になる

日常の中で少しだけアンテナを外に向ける。コンビニの店員さんに笑顔で挨拶してみる。カフェで本を読んでいる人に話しかけてみる。そんな些細なことが、案外出会いのきっかけになったりする。司法書士という枠を超えて、人として誰かと繋がる。それは、書類とパソコンに囲まれた生活の中では味わえない感覚だ。怖がらずに、少しずつ動いてみようと思っている。

人との縁は偶然より「余裕」が生む

これまでの僕は、「偶然の出会い」に期待しすぎていた。でも現実には、出会いは“余裕”が生んでくれるものなんだと思う。心にも時間にも余白がないと、人に優しくできないし、新しい関係を築く力も湧いてこない。今は少しだけ、仕事のペースを落として、心にスペースを作ることを意識している。それが、これからの出会いや人生を変えていく第一歩になる気がしている。

愚痴れる相手が司法書士じゃなくてもいい

仕事の愚痴は、司法書士同士にしかわからない…と思い込んでいた。でも最近、全く別業種の友人に愚痴をこぼしてみたら、案外すっと心が軽くなった。「それは大変だね」と言われるだけでも、意外と救われる。同業者じゃなくても、話せる相手はきっといる。大事なのは、“わかってくれる”ことじゃなく、“聞いてくれる”ことなのかもしれない。そう思えるようになっただけでも、少し前進できた気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。