信頼を優先してしまう自分に気づいた瞬間
司法書士として15年以上やってきて、何よりも大切にしてきたのは「信頼」だ。依頼人との間に信頼関係が築ければ、仕事はうまく回ると信じてきたし、実際それで助けられたことも多い。でも最近ふと気づいた。「信頼を優先してばかりで、結局自分が損してないか?」って。お金のことを後回しにして、なんとなく心が疲れている。昔から人に嫌われるのが怖くて、特に頼まれごとを断れないタイプだったけど、今やそれが積み重なって、気がつけば体も財布も悲鳴をあげている。
依頼人との関係にお金の話を出しづらい
「ちょっと相談だけなんですけど…」と電話をかけてくる依頼人に、私はいつも「はい、どうぞ」と応じてしまう。時間は30分、時には1時間になることもある。それが週に何件もあれば、売上としてはゼロなのに、時間だけが奪われる。以前、一度だけ「この内容は正式な依頼として扱いますね」と切り出したら、相手の声がトーンダウンした。「え、そこまでですか?」と返されたとき、胸の奥にズシンと重いものが残った。以来、私はまた何も言えなくなった。
つい値引きしてしまう心理の裏側
ある相続登記の案件で、明らかに手間がかかると分かっていたにも関わらず、「高く言うのもなぁ」と思い、通常の2割引で提示してしまった。案の定、やることが増えて土日返上。それなのに相手からの感謝も薄く、「思ったより時間かかりましたね」と言われた時、何とも言えない虚しさがこみ上げた。これは自分で自分の価値を下げている結果だ。でも「もうちょっともらっていいですか?」と言えない自分が情けない。
断れない性格が生む慢性的な疲弊
そもそも、頼られることが嫌いじゃない。むしろ「先生しか頼れないんです」と言われると、ぐらっとくる。元野球部だった頃、監督に「お前はチームのために汗かけ」と言われ続けてきたせいか、人のために動くのが癖になってる。だがそれが今では、事務所の運営をじわじわ蝕んでいる。人を助ければ助けるほど、自分の首が絞まっていく。気づけば、助けてもらう側に回ったことなんてほとんどない。
信頼が先か報酬が先かで揺れる気持ち
「信頼されてるからこそ安くやってあげたい」という気持ちと、「いや、それじゃ商売にならないだろ」という現実が、毎日ぶつかり合っている。正直、自分でもどっちが正しいのか分からない。特に一人で仕事をしていると、誰かに相談できるわけでもなく、どんどん自分の中で堂々巡りになる。たまに事務員さんが「もうちょっと強く出てもいいんじゃないですか」と言ってくれるが、それができたら苦労しない。
元野球部時代の上下関係に引きずられて
学生時代からの癖だと思う。野球部の世界は上下関係が絶対で、年上には逆らわない、文句も言わない、それが当たり前だった。だからか、今でも年配のお客様には妙に弱い。「お前みたいな若造が」と言われそうで、強く出られない。45歳になった今でも「若い先生」と呼ばれるのは、地方ならではかもしれない。昔の自分に「もうちょっと図太くなっていいんだよ」と言いたい。
「ありがとう」の一言に弱すぎる性格
これもまた困ったものだが、たとえ報酬が少なくても「先生、助かりました、本当にありがとう」と言われると、つい嬉しくなってしまう。その一言で疲れが吹き飛ぶ…ような気がしていた。でも現実は、その一言でまた次も頑張っちゃうから、悪循環が止まらない。「ありがとう」は心の報酬だが、家賃や光熱費は払ってくれない。どこかで割り切らないといけないのは分かっている。でもその線引きが、どうにも苦手だ。
損得を超えた人付き合いのしんどさ
司法書士の仕事って、意外と“感情労働”の要素が強い。書類を作るだけじゃなくて、人の不安や悩みに付き合うことが多い。信頼を得ようとすると、心をすり減らす。それでも、こっちが無理をしているとは思われたくないから笑顔を作る。そうして、どんどん本音が言えなくなっていく。正直なところ、人間関係って本当にしんどい。
お金より信頼を優先することで得たもの
信頼を優先したことで救われた経験もある。ある年配の依頼人は、私の誠意を感じてくれたのか、後に親族を何人も紹介してくれた。紹介の輪が広がって、結果的に仕事にもつながった。信頼が信頼を呼ぶ、そういうこともある。でもそれは、かなり稀な話だ。ほとんどの場合は、「安くやってくれる先生」というレッテルがつくだけ。それって果たして、幸せなのだろうか。
一部の顧客からの感謝とリピート
ありがたいことに、「またお願いしたい」と言ってくれる方もいる。でもそういう方に限って、やはり料金の安さを期待してくる。「この前もサービスしてくれたから、今回も…」みたいな空気が生まれる。その期待を裏切れなくて、また自分が我慢する。その繰り返し。まるで、勝手にセールを始めてる店主みたいで、自分でも情けなくなる。
でもその感謝では家賃は払えない
毎月の支払いが重くのしかかると、「感謝」では生活できないことに改めて気づかされる。事務所の家賃、光熱費、事務員の給料、自分の生活費…感謝じゃお腹はふくれない。どこかで線を引いて、「ここから先はビジネス」と割り切る勇気が必要なのかもしれない。でも、それがどうしても苦手だ。
事務員との関係にも表れる優先順位
うちの事務員さんは、年下だけどしっかり者だ。私よりも現実的で、時々ドキッとするようなことを言ってくれる。「先生、またやりすぎてませんか?」と。気を遣ってくれるのはありがたいが、私が弱気になると、そのぶん彼女に負担がかかる。「すみません、また休日出てもらって…」というやりとりが増えるたびに、「これはいかんな」と思う。
優しさが誤解されることの怖さ
優しくしてるつもりでも、それが「都合のいい人」になってしまうことがある。事務員にとっても、クライアントにとっても。甘えられやすい性格なのか、気がつくと頼まれごとがどんどん増えている。優しさと甘さは違うと分かってはいるけど、境界線が曖昧になってくる。時には嫌われる勇気も必要だと、心では思っている。でも実行できたことは、あまりない。
頼みごとを断れない自分がつらい
「先生、ちょっとだけお願いできませんか?」という一言が、なぜこんなにも断りにくいのか。たぶん、断ったあとに関係が壊れるのが怖いのだ。私は昔から「人間関係の修復」が苦手で、一度溝ができると埋められないタイプだ。だから、最初から溝を作らないように、全部受け入れてしまう。その結果、背負いきれないものまで抱え込む羽目になる。
理想と現実のギャップをどう埋めるか
信頼も欲しい、でも報酬も必要。その両立ができればいいのだけど、現実はなかなかうまくいかない。信頼されながら、ちゃんと対価もいただける関係性。それを築くには、自分自身の考え方を変えていくしかない。ビジネスとしての自分と、人としての自分。その両面を見つめなおす時期に来ているのかもしれない。