お客様のありがとうで泣きそうになる日

お客様のありがとうで泣きそうになる日

忙しさに追われる毎日の中で

地方で司法書士をしていると、ひとり事務所の限界が顔を出す瞬間が多々ある。朝から晩まで書類に追われ、誰かの都合に振り回され、電話対応の隙間で登記の確認。こなすことが目的になり、感情が置き去りにされていく。気がつけば、日々の記憶さえも曖昧になるほど。仕事をしているのか、仕事に飲まれているのか、その境目が曖昧になる。だけど、そんな日常の中にも、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。

依頼の波に溺れそうになるとき

「至急でお願いできますか?」と電話が鳴るたび、脈拍がひとつ上がる。依頼者にはそれが一度きりの大事な手続きでも、こちらにはすでに十件以上の案件が渋滞中だ。それでも「できません」とは言えない。信用が命のこの仕事では、断る勇気より引き受ける覚悟が優先される。まるで波の中を泳いでいるような感覚。浮かんでは沈み、呼吸を整える暇もない日々。気を抜けば一気に溺れてしまう。

自分の存在意義を見失いそうになる瞬間

ふと我に返ると、「なんのためにこんなに頑張ってるんだっけ?」と思うときがある。書類を作って、確認して、提出して、報告して、それの繰り返し。ただの書類工場みたいに思えることもある。もちろん意味はある。でも、それを実感する余裕がない。心の底から誰かの役に立っているのか、自分で自分に問いかけることすら忘れかけてしまうのだ。

誰のためにやっているのか見えなくなる

依頼者の顔すら思い出せないまま完了報告のメールを送るとき、心の中に空白が生まれる。この仕事は人の人生に関わる仕事のはずなのに、その人の実感が遠すぎる。ただの名前と住所の羅列が相手との唯一の接点になる。事務員もいない日には、自分が本当に誰かの役に立っているのか、見えなくなってしまう。孤独と不安がじわりと胸を締めつける瞬間だ。

不意に届いた小さな感謝の言葉

そんな日々の中で、まるで神様がくれたご褒美みたいに、「ありがとうございました」と深々と頭を下げる方が現れることがある。電話越しの一言でも、手書きのハガキでも、こちらの心にじわりと染み渡る。それは大げさではなく、涙腺をゆるませる力を持っている。人の言葉には、想像以上に人を救う力があるのだと、その瞬間に気づかされる。

電話の一言が胸を打つこともある

ある日、相続登記を終えたばかりのお客様から、電話でこう言われた。「先生のおかげで、父をきちんと見送れた気がします。本当に感謝しています。」たったそれだけの言葉なのに、私は受話器を置いたあと、しばらく立ち尽くしてしまった。作業的になりかけていた自分の仕事に、ひとつの意味が戻ってきた気がした。あのときの感情は、今も胸の奥で灯りのように残っている。

ありがとうの重みを知るとき

「ありがとう」なんて、日常会話で何気なく使うけれど、心を込めて言われたときの重みは全く違う。それは、報酬以上の価値を持っている。自分の存在を肯定してくれるような、そんな力がある。苦労が報われる瞬間というのは、大抵こういう些細な場面に潜んでいるのだ。効率や売上では測れない、ひとつの人間関係がそこにはある。

無力感の中でふと感じる救い

うまくいかないことばかりで、自分が司法書士としての価値を見失いかけていた時期、「ほんとに助かりました」と言ってもらえたことがある。たった一言。でも、その一言があるだけで、もう少しやってみようかという気持ちが湧いた。人にとっての“救い”って、案外こんなに小さなものでいいのかもしれないと思わされる出来事だった。

ひとり事務所の孤独と戦う日々

事務所には自分と、たまに来てくれる事務員さんだけ。ほとんどの時間を、無音の空間でひとり作業している。電話が鳴るたびに緊張し、ドアが開くたびに姿勢を正す。それはそれで気楽だけれど、人と共有できる喜びや悩みが圧倒的に少ないのが現実だ。話し相手がいないと、自分の考えや感情がうまく整理できないまま溜まっていく。

誰とも話さず終わる午後の重さ

午後3時を過ぎても誰とも会話していない日がある。気づけば、自分の声すら出していないこともある。そんな日は、なんだか存在が透けていくような気がしてしまう。メールの文面にこだわるようになるのは、もしかしたら人との繋がりをどこかで欲しているからかもしれない。司法書士の仕事は、人との距離感が極端にある職業だと思う。

愚痴をこぼす相手もいない現実

「今日もきつかったな」とつぶやいても、それを聞いてくれる人はいない。友人に話しても「まあ、仕事ってそういうもんでしょ?」と流されるだけ。同業者に愚痴ると弱い奴と思われそうで言えない。そうやって自分の中で処理していくうちに、感情の出口がなくなってくる。笑うことも、怒ることも、面倒になるときがある。

それでも信じたい司法書士の価値

自分が選んだ道だからこそ、簡単に投げ出したくはない。だけど、本音を言えばしんどいことも多い。それでも、誰かに「助かりました」と言ってもらえる限り、この仕事には意味があると信じたい。司法書士という仕事が、誰かの人生のほんの一部でも支えになっているなら、今日もまた、この机に向かう理由になる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。