このままでいいのかと呟いた昼下がり

このままでいいのかと呟いた昼下がり

このままでいいのかと呟いた昼下がり

気がつけば今日も机にかじりついていた

ふと時計を見ると、もう午後三時。昼飯も適当に済ませて、朝から書類に追われていた。今日も登記簿をめくって、電話に追われ、依頼者の話に相槌を打ち、事務員に急ぎの案件を指示するだけの一日。そんな日常が、もう何年も続いている。忙しさにかまけて、自分の本音から目をそらしていたけれど、「このままでいいのか」と、今日はどうしても無視できなかった。

依頼があるだけマシと言い聞かせて

周りの友人が転職したり、退職したりする中で、自分は司法書士として机にしがみついている。依頼が来るたび「ありがたい」と思う気持ちもある一方で、「またか」と心の奥でため息をついてしまうことも増えた。今の仕事が嫌いなわけじゃない。でも、ふとした瞬間に思うのだ。「この業務、AIに代わられたらどうなる?」とか「いつまで一人でやっていけるんだろう」とか。

途切れない書類と鳴り止まぬ電話

朝のうちは意気込んで取り組んでいた書類仕事も、昼過ぎになると単なる作業に変わってしまう。謄本、委任状、印鑑証明、同じようなものを何度も確認しては、目がチカチカする。電話が鳴ると、「またか」と思ってしまう。それが仕事なのはわかっている。けれど、1日中誰かの依頼に応えるばかりで、自分の気持ちを置き去りにしてしまっていることに、気づかないふりをしている自分がいる。

忙しいけど孤独という矛盾

事務所には事務員が一人いるが、正直、話すのは業務連絡ばかり。業務がスムーズに進むのはありがたいが、だからこそ仕事の愚痴を言える場がない。依頼者には見せられない弱音を誰に言えばいいのか。そう思いながら、パソコンの画面に映る自分の姿をぼんやり見ていた。人と関わっているはずなのに、心の中はずっと一人きりという感覚が、ふとした瞬間に襲ってくる。

何を目指していたのかを思い出せない

司法書士を目指した頃、自分はもっと希望に満ちていた気がする。何かの役に立ちたくて、誇れる仕事をしたくて、そして何より「自分にしかできないこと」を見つけたかった。でも今は、目の前の業務をこなすだけで精一杯で、あの頃の情熱はどこかに置いてきてしまった気がする。

司法書士になりたかった理由は何だったか

高校野球を引退した後、「頭を使う仕事をしよう」と思って法律系に進んだ。体を酷使する仕事よりも、資格をとって安定した暮らしを…そんな思いもあった。でも、最初に感じたのは、誰かの「困った」に直接関われることのやりがいだった。不動産の名義変更で悩んでいた老夫婦が、手続き後に「ありがとう」と笑ってくれたとき、心の底から「やってよかった」と思ったのに、最近はそんな感情すら薄れてきた。

昔の自分に今の自分を見せたいか

今の自分を、あの頃の自分が見たらどう思うだろう。頑張っているとは思うだろうけど、どこか味気なくて、夢中になっている感じがしないかもしれない。誰かの役に立ちたいという初心は、どこへ行ってしまったのか。単価や納期に振り回され、心の余裕を削ってまで仕事をしている自分を、誇れるとは言いづらい。

このままでいいのかという問いの正体

「このままでいいのか」という問いは、仕事そのものへの不満というより、自分自身への問いかけだ。やりがいを感じなくなった自分に、それでも続ける理由を探している。そして、正直に言えば、変わるのが怖いのだ。

足りないのは成果か承認か

周りから「よくやってるね」と言われることはあっても、自分の中で納得できない。どれだけ登記をこなしても、補助金の申請が通っても、「すごい」と感じられないのは、結果だけでは埋まらない何かが欠けているからだと思う。認めてほしいという欲求ではなく、自分で自分を認められないことのほうが苦しい。

それでも生活は止まらない

とはいえ、家賃や光熱費、事務員の給料、社会保険…毎月の支払いは待ってくれない。現実的な責任を果たすために、今の仕事を続けている部分は確かにある。「食えているだけありがたい」と言い聞かせる一方で、それが本音ではないと自覚してしまう日もある。

昼下がりに立ち止まって考えた

今日はいつもより少しだけ、手を止めて考えてみた。外は曇り空。どこかの小学生の声が遠くから聞こえる。このままでいいのかという問いに、明確な答えは出せないけれど、少なくとも「このまま何も考えずに突っ走るのは違う」とだけは言える気がした。

モテない人生とモテない職業

司法書士って、正直言ってモテない。話のネタにもならないし、仕事内容を説明しても「へぇ〜…」で終わることが多い。合コンに行っても「弁護士とは違うんだね」と言われる始末。だからこそ、仕事にやりがいを求めるしかなかった。でもそのやりがいが揺らいできた今、どこに自分の存在価値を見いだせばいいのか、わからなくなる。

それでも誰かの役に立っているのか

先日、亡くなった親の相続登記を終えた依頼者が「本当に助かりました」と深々と頭を下げてくれた。その瞬間、久しぶりに心が震えた。まだ自分の仕事にも意味があるのかもしれないと思えた。小さくても確かな「ありがとう」に救われる日もある。

もし今野球部の後輩に会ったら

先日、偶然コンビニで高校の野球部の後輩に会った。「先輩、変わんないっすね」と言われて、何だか涙が出そうになった。あの頃は、自分ももう少し格好よかったはずだ。

胸を張って話せる仕事かどうか

「何してるんですか?」と聞かれて、「司法書士やってるよ」とは言ったけど、胸を張っては言えなかった。もっと誇れるような働き方をしたい、そんな気持ちが湧いてきた。後輩に「かっこいい」と思われたいわけじゃない。でも、過去の自分に「いいじゃん」と言われるような人生に、少しでも近づきたい。

それでも机に向かう理由

それでも、やっぱり今日も書類の山に向かっている。依頼者がいる限り、役所が営業している限り、自分の仕事も続く。

自分にしかできないことがあると信じて

書類を見ただけで問題に気づけるのは、経験があるからこそだ。手続きをスムーズに終わらせることができるのも、自分の知識と判断があってこそだと思いたい。そうやって、自分の存在意義を少しずつ積み重ねているのかもしれない。

共感してくれる誰かがいるかもしれない

このコラムが誰かに届くのなら、それだけでも救われる。司法書士じゃなくても、何かに迷っている人に、「一人じゃないよ」と伝えられたら。自分の愚痴まじりの文章が、誰かの背中を少しでも押せたら、それが今日一番の「価値」かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。