今日中にお願いできますかが引き金になった日

今日中にお願いできますかが引き金になった日

朝のメール一通で心がざわつく

一日の始まりは、いつも静かにコーヒーを淹れるところから始まる。だけど、その平穏が破られるのに時間はかからなかった。「今日中にお願いできますか?」という一文が、スマホの通知に表示された瞬間、心の中に小さな地雷が爆発する。別に怒っているわけじゃない。ただ、その言葉の向こうにある「当然できるよね?」という無言の圧力に疲れているだけだ。

「今日中にお願いできますか」で始まる一日

この手の依頼は、まるでピッチャー交代のタイミングみたいに突然来る。こちらはバッターと向き合っている真っ最中なのに、いきなりマウンドから下ろされるような感覚。やるべきことは山ほどあるのに、「今日中」という言葉だけが優先順位をひっくり返してしまう。人の予定を軽く飛び越えてくるその圧には、何度出くわしても慣れない。

丁寧な言葉ほど厄介なときがある

「お願いできますか?」という表現は一見すると丁寧だ。でもそれが「今日中に」とセットになると、どうにも圧が強く感じてしまうのは私だけだろうか。こちらとしては「すみません、今日中は厳しいんですが」と返したいのに、その一文に潜む「断ったら不機嫌になるかも」の気配に、つい「検討します」と逃げた返事をしてしまう。

書類は急がないと言ったじゃないですか

何が一番腹立たしいかって、数日前には「来週中でいいですよ」って言っていた書類が、なぜか突然「今日中」に変わっていることだ。野球で言えば、9回2アウトで代打を出してくるようなもの。こっちは先発完投のつもりで配分してたのに、勝手に作戦変更されても困る。柔軟性は大事だけど、こっちの体力にも限界があるんだ。

事務員さんの視線が刺さる気がして

うちの事務所は、私と事務員さんの二人だけ。つまり、誰かがパニクってると、もう一人にもモロに伝染する。私がメールを見て「うわ…」と顔をしかめると、事務員さんが「あ、なんか来たな」と察する。そして静かに私の顔を見てくる。無言の視線が痛い。いや、悪いのは私じゃない。けど、なんかごめん。

手が足りない現実と独り相撲の日々

何でも自分で抱え込む癖がある。若い頃からそうだった。野球部時代も、みんながサボっててもノックだけは全力で受けに行ってた。今思えば、あれがダメだったんだろうな。今もその癖を引きずって、一人で書類も電話もメールも全部さばこうとしてる。事務員さんにもっと頼ればいいのに、それがなぜかできない。勝手に背負って、勝手に疲れてる。

知らないうちに溜まるイライラ

「今日中にお願いできますか?」の一言で、予定が崩れる。それ自体は仕方ない。でも、それが一日に何回もあると、だんだんと不機嫌が積もっていく。そして、自分でも気づかないうちに、話し方が刺々しくなってしまう。「これ、間に合いませんね」と事務員さんに言われたときに、「じゃあどうするの?」と返してしまった。そういう自分が一番嫌なのに。

愚痴りたいけど相手がいない

本音を言えば、誰かに思い切り愚痴りたい。でも、同業者の友人もみんな忙しそうで、連絡しても「俺も今日中に3件抱えててさ」なんて返ってくると、愚痴るどころか慰めてしまう始末。家に帰っても一人。SNSに書くと愚痴アカウントみたいになってしまう。だから今日もこの重たい気持ちは、誰にも言えないまま深夜に持ち越される。

野球部の頃の監督ならどう返すだろう

ふと頭に浮かぶのは、野球部時代の鬼監督。理不尽の塊みたいな人だったけど、変なところで筋は通っていた。「無理なもんは無理って言え!」と怒鳴ってた顔が、今さら懐かしい。あの頃の自分のほうが、今よりずっと自由だった気がする。「今日中に」なんて言葉に振り回されてる今の自分が、なんだか情けなく思えてくる。

理不尽には耐えるなと教わったけれど

監督はよく「耐えるな、戦え」と言っていた。あの言葉、今になって刺さる。「今日中にお願いできますか?」という理不尽な依頼に対して、私が取るべき姿勢は、耐えることではなく、断ることだったのかもしれない。でも現実は、「戦う」とか言ってたら、仕事が減るかもしれないという不安が先に立つ。結局、頭を下げるほうを選んでしまう。

社会は黙って受け止めるのが礼儀?

社会に出ると、「嫌です」と言わないことが美徳のようになっている。依頼が来たら、笑顔で引き受けて、なんとかやりきる。そうしないと信用を失う。そんな空気に飲まれて、今日も「了解しました」と返信してしまった。でも、本当にそれが礼儀なんだろうか?疲れ果てて、誰にも優しくできなくなる前に、もうちょっと自分に正直になってもいい気がする。

プレッシャーは声に出すと軽くなる

一人で抱え込んでいると、どんどんプレッシャーが膨らんでいく。でも、声に出して「きついです」と言ってみると、意外と誰かが「じゃあ明日でもいいですよ」と返してくれることもある。勝手に我慢して、勝手に追い込んで、自滅するのは損だ。声に出すこと、たぶんそれが一番のストレス対策なんじゃないかと最近思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。