契約直前に現れた兄弟で全部やり直しになった日

契約直前に現れた兄弟で全部やり直しになった日

どうしてこうなる契約直前の予定変更

契約の直前、すべての準備が整った状態で迎えるはずの一日。その日も私は朝から書類を再確認し、印鑑も依頼人の分まで用意していた。依頼人とは何度も打ち合わせをして、ようやくここまで来たという安堵すら感じていたのに、来所の5分前に一本の電話。「兄に説明してないって言われてて……今日はやめときます」。これだけで全部が水の泡になる。いや、別に依頼人が悪いわけじゃないのは分かってる。ただ、精神的にキツい。この仕事、準備にどれだけ時間と集中力をかけてるか、わかってくれる人って少ない。

依頼人は納得していたはずだった

最初の相談から何度も会って、細かい条件も確認してきた。依頼人自身が「兄には大丈夫って言ってあります」と言っていたのも記憶にある。だから私も「じゃあ契約はスムーズに行けるな」と安心していた。それなのに、急に「兄が心配してるみたいで……」と言われても、もはやこちらはどうしようもない。たとえば野球で言えば、9回裏ツーアウト満塁、あと1球で勝ちって時に、相手ベンチから「ちょっと待った」がかかった感じ。もう勝負どころどころじゃない、試合が延期になっちゃう。

「兄が話を聞いてないと言っていて」からの急転直下

その「兄」という存在。家族って、時に味方で時に最大の壁になる。私が過去に担当したケースでも、兄弟間の意見対立で契約が頓挫したことがある。今回も、「兄の許可がないと」という圧が見え隠れしていた。依頼人も別に騙そうとしてたわけじゃない。ただ、説明が足りなかった。それだけなのに、司法書士としてのこちらの作業は振り出しに戻される。あの日の無力感、正直言って、机に突っ伏して寝たくなった。

段取りのすべてが崩れる瞬間の虚しさ

段取りが崩れると、ただ書類が無駄になるだけじゃない。次の予定もズレるし、頭の中で組み立てていたタイムスケジュールが崩壊する。なんというか、ドミノ倒しで最後の一個だけ倒せなかったみたいな虚しさが残る。さらに追い打ちをかけるように、事務員から「またやり直しですね」と言われる。いや、君は悪くない。でも、そう言われるとちょっと泣きたくなるんだ。ほんとに。

「また日を改めて」って言葉の重み

「また日を改めて」と言われると、表面的には丁寧な言い回しだけれど、裏を返せば「今日は無駄でしたよね」という宣告にも聞こえる。次の予定を組むのも、またこちらが主導で調整していかなければならない。依頼人が悪いわけではないと頭では理解していても、感情はなかなか追いついてこない。

兄弟での意思疎通に司法書士は立ち入れない

家族間の意見のズレ、それも兄弟間の温度差は厄介だ。しかも、第三者である司法書士が間に入るわけにもいかない。あくまで「本人の意思」が最優先だから、兄と相談してきてくださいとしか言えない。こちらはその結果を待つだけだ。でもその「待つ」時間がとにかく虚しいし、無力感に襲われる。

家族間トラブルの火種に巻き込まれたくない本音

家族で揉めてるときって、誰が悪いかなんて簡単に決まらない。その渦中に巻き込まれると、言葉の一つで「司法書士がああ言ったから」となりかねない。だからこそ、慎重になる。でも慎重になるほど、仕事が進まない。感情のサンドバッグになるのはもう嫌だ、と心の中で何度も叫ぶ。

でも結局また自分が立ち会うことになる不条理

どれだけ事前に家族で話し合ってもらっても、最終的に「やっぱり一緒に同席してもらっていいですか」と頼まれる。それはいい。仕事だから。でも、なんでまた最初から説明するんだろう、って気持ちは残る。説明資料、あれ再利用できないからね? またゼロから作り直しなの。うん、ほんと勘弁してほしい。

時間も気力もごっそり持っていかれる件

この一件で、まる一日潰れた。実際には予定変更の電話一本だったけど、気持ちの切り替えができなくて、何も手につかなかった。準備していた資料を片付けながら、自分でも情けなくなる。「これが仕事だ」と割り切れればいいけど、現実はもっと感情的で、泥臭い。

準備してきた書類は封印へ

一度仕上げた書類を封筒に戻して、棚の奥にしまう瞬間の寂しさ。これ、何度経験しても慣れない。しかも、そのまま使える可能性も低い。家族会議の結果、条件が変わることが多いから。つまり、「一応準備しといてください」=「また一からやり直してもらうかもしれません」なのだ。悲しみの隠語か。

「もう一回同じ説明を」の絶望感

過去に作った説明スライドや図解資料があったとしても、家族が変わると伝え方も変えなきゃいけない。「兄は専門用語に弱いので、もっと簡単に」とか言われると、こちらも努力はする。でも、限界あるんよ。司法書士ってプレゼン業務だったっけ?って思うくらいには工夫してる。なのに報われない感じがたまらない。

なぜかこちらが悪い空気になる不思議

不思議と、全体の空気が「司法書士の進め方が急だったのでは?」という方向に傾くことがある。「もうちょっと丁寧に説明してくれてたら…」と、そんなつもりはないのに責任を感じる羽目に。いや、あなたに合わせて何度も丁寧に説明しましたよね? と叫びたくなる。もちろん口には出さないけど、心の中では土下座してる。

独立して自由になったはずなのに

サラリーマンを辞めて独立すれば、自分の裁量で働ける。そう信じて司法書士として開業した。でも実際は、自由の裏にある責任とプレッシャーが凄まじい。今日みたいなことがあると、「誰かに任せられたら」と思うけど、うちは事務員が一人。頼れるのは自分しかいない。

責任と気遣いは会社員時代より増えてる気がする

前職の時は、多少失敗しても上司や同僚がカバーしてくれた。でも今は違う。全部自分のせい。依頼人との関係も、事務員とのバランスも、外部との調整も、全部ひとりで抱え込んでる。夜寝る前に「今日の対応、失礼じゃなかったかな」なんて考えてる時点で、もう自由ってなんだっけ?ってなる。

「自分がやるしかない」という言葉の重み

独立した今、最終的な判断を下すのはいつも自分。だからこそ悩む。契約を延期にした方がいいか、強行した方がいいか、誰かに相談できたら楽なんだけど、それを判断するのも自分。だから、しんどい。ミスも成功もすべてが自分の名前で残る。それは誇らしいけど、正直つらい。

たった一人の事務員にも頼りすぎてしまう日々

事務員さんは優秀。でも、あまり負担をかけたくない。とはいえ、全部自分で抱えるとパンクする。だから少しずつ任せているけど、今回のような急な予定変更は説明するのも気を使う。「また中止になっちゃって…すみません」って、謝る立場なのか自分でもわからなくなる。でも感謝してる、本当に。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。