手帳を開けばまず申請期限
気づけば手帳に書いてある予定のほとんどが仕事だ。朝、コーヒーを片手に手帳を開く瞬間から、すでにその日の心が決まる。登記申請の締切、打ち合わせ、法務局への書類提出、顧客への連絡——びっしりと詰まった字面を見て「今日も一日仕事しかないな」とため息が漏れる。かつてはプライベートの予定もちらほらあった気がするのに、今ではそれすら遠い記憶。土日すら「急ぎ案件対応」と書かれていて、空白は埋まる一方だ。
朝イチで確認するのは締切日
目が覚めたらまず、スマホじゃなく手帳を開く。司法書士という仕事は「締切」との戦いでもある。登記には期限があるし、提出が一日でも遅れればお客様に迷惑がかかる。だからこそ、朝イチで今日の締切が何件あるかをチェックするのが癖になってしまった。まるで戦場の地図を広げるかのように、今日の戦い方を頭に叩き込む。もちろんそれは悪いことじゃない。でも、たまには「何の予定もない朝」を味わってみたいとも思う。
自分の予定より先に登記の段取り
ある日、「この日は市役所に行ってマイナンバーカードを更新しよう」と思っていた。でも前日に顧客から「その日、法務局に同行してほしい」と言われ、あっさり予定は消えた。自分の用事はいつも後回し。しかもその日に限って、事務員も休み。代わりに行ける人もいない。結局、自分のための予定はどこかへ消えていき、代わりに他人のスケジュールが手帳を埋めていく。そんな日が、年に何度もある。
優先順位は常にお客様が上
それがこの仕事の宿命だとはわかっている。司法書士は依頼者あってこその仕事。だからこそ、どんなに体調が悪くても、どんなに自分のことを済ませたくても、「お客様の都合」を優先してしまう。逆に、自分の予定を理由に断ったときの罪悪感がすごい。「私事で…」という言葉を使うのすら、どこか申し訳なくなる。気づけば、自分の人生のハンドルを少しずつ他人に渡してしまっているのかもしれない。
空白があると「何か忘れてる?」と不安になる
予定がない日ができると、少し嬉しい反面、「いや、本当は何か忘れてるだけなんじゃ…?」と不安になる。完全に仕事に染まりきった感覚。手帳がスカスカだと、「連絡ミスしてるかも」「電話かけ忘れてるかも」と勝手にソワソワしてしまう。この感覚がもう、普通ではないんだろうとは思っている。でも、そういう日々を何年も続けてきた今では、空白がある方が落ち着かないという矛盾がある。
忙しさに慣れすぎた感覚の麻痺
忙しいことに慣れすぎて、逆にヒマが怖い。そう言ったら、友人に「それ、もう職業病だよ」と笑われた。休日にテレビを見ていても、心のどこかで「やっておくべきことがあるんじゃ?」とそわそわしてしまう。完全に感覚が麻痺している。でも、これが司法書士として生きていくための“モード”なんだろう。普通の感覚では、この仕事はやっていけないのかもしれない。いや、やれてるふりをしてるだけかもしれないけど。
予定のない日は逆に落ち着かない
たまたま全ての仕事が片付き、翌日が奇跡的にフリーになった日があった。そんな日は、やるべきことがないのに、朝から落ち着かない。手帳を何度も見返して、「本当に何もない?」と確認する。結局、片付けをしたり、事務所の清掃を始めてしまったり。時間が空いても、結局“仕事の延長”を探してしまう自分がいる。なんだかんだで、そういう働き方しかできなくなってしまったのかもしれない。
体は疲れてるのに休めない
本当は疲れている。肩も腰もガチガチ。でも、何もしないことに罪悪感を覚えるから休めない。仕事に追われるというより、自分で仕事を探しにいってる感覚に近い。手帳に「休み」と書くだけで、何かサボってる気分になる。以前、勇気を出して「完全休養日」と書いた日も、午前中には結局事務所に顔を出してしまった。これはもう、根っからの仕事依存体質なんだろうか。
プライベートの予定はキャンセルされる運命
久しぶりに友人との飲み会を予定していた日、急ぎの案件が飛び込んできてキャンセルした。相手も慣れたもので、「また今度な」と言ってくれたけど、その「今度」はなかなか来ない。プライベートの予定ほど、後回しにされて消えていく。それが何度も続くと、だんだん予定を入れること自体が億劫になってくる。そうして気づいたら、手帳のどのページにも「自分の時間」がない。
飲み会より先に急ぎ案件が入る
「今週の金曜、空いてる?」と聞かれて、思わず「たぶん空いてる」と答えたものの、数日後には役所との打ち合わせが入ってしまった。キャンセルする方も、される方も慣れてしまって、もはやそれが日常になっている。たまに予定を死守して出かけても、帰宅後にはメールが山積み。次の日には後悔して「もう予定なんて入れなきゃよかった」と思ってしまう。この繰り返し。
野球観戦のチケットも紙くずになった
かつては、元野球部としてプロ野球観戦が数少ない楽しみだった。チケットを取って、カレンダーに「〇〇戦観戦!」と書くと少しワクワクした。でも、仕事の依頼は待ってくれない。登記の締切と試合日が重なり、やむを得ず断念したことが何度もある。キャンセルしたチケットの半券を見るたび、「次は行けるかな」と思うけど、同じことの繰り返しになってしまう。
誰かと会う約束が「また今度」に変わる日常
「また今度飲もうね」「次こそ行こうね」そんな言葉を何度口にしたか数えきれない。その“今度”が半年後、下手すれば1年後になることもある。最初は申し訳なさそうに謝っていたけど、最近ではもう感情もすり減ってきた。ああ、またダメだったなって。手帳の予定が誰かとの「楽しい約束」ではなく、「義務」と「責任」で埋め尽くされている。そんな毎日って、なんなんだろうとふと立ち止まる。
それでも明日もまた予定は仕事から始まる
文句を言いつつも、明日もまた朝イチで手帳を開き、仕事の予定を確認するのだろう。司法書士という仕事は、自分の生活を削って誰かの役に立つ仕事だ。そのことにやりがいを感じる瞬間も、たしかにある。けれど、もう少しだけ、自分のための予定、自分のための時間を確保してもバチは当たらない気もしている。少しずつでもいいから、手帳に「自分の人生」を取り戻していけたら——。