先生って意味ありますかと聞かれて心が止まった日

先生って意味ありますかと聞かれて心が止まった日

言葉に詰まった瞬間の衝撃と沈黙

ある日、ちょっとしたセミナーの後の雑談中、若い参加者からぽろりと「先生って意味ありますか?」と聞かれた。冗談半分にも聞こえたし、真剣にも聞こえた。何気ない一言に、まるでバットで背中を叩かれたような衝撃が走った。司法書士として十数年やってきて、いろんなことを乗り越えてきたはずなのに、その一言だけで、自分の存在がぐらついた。呼吸を忘れるくらい、胸が詰まった。

突然の問いかけに心が追いつかない

その場では笑ってごまかしたけど、内心は大荒れだった。「必要ないと思うなら、そりゃやらなきゃいいじゃん」と突っぱねたくなる気持ちもあった。でもそれを言えば、自分の心が本当に否定される気がして、何も言えなかった。こういうとき、上手に返すのが大人の対応なんだろうけど、自分はただの地方の司法書士。スマートな切り返しなんて持ってない。

目の前の若者は悪気があったわけじゃない

その彼の顔には、むしろ素朴な疑問と真面目さがにじんでいた。若者なりに、自分の人生における「先生」の存在を問い直していたのだろう。それを「攻撃」と受け取ってしまったのは、こちらの心に余裕がなかったからかもしれない。だとしても、あの瞬間の居心地の悪さは今でも忘れられない。

でもその一言で過去の自分が崩れた気がした

司法書士を目指したときの情熱や、開業したときの誇り。それらがあの質問一つで崩れたように感じた。もちろん崩れたわけじゃない。でも自分の内側で「揺れた」のは事実。誰かに必要とされたいという気持ちと、無力感。その間でバランスを取っていることに、気づかされた瞬間だった。

司法書士としての自信と不安の間

司法書士という仕事は、数字で成果が出る職種じゃない。登記が完了しても、感謝されるわけじゃない。だからこそ、「必要とされているのか?」という問いに、心がざわつく。自分の価値を証明するのが難しい仕事だと、改めて感じた。

何のためにこの道を選んだのか

大学時代、就職活動がうまくいかなくて、悩みに悩んでこの道を選んだ。野球部で鍛えた根性だけが頼りだった。資格を取るまでは必死だったし、開業したときは正直ワクワクした。でも、時間が経つにつれ、「これでよかったのか」という気持ちが顔を出す。忙しくて考える暇もない日々が続くなか、その疑問はじわじわと大きくなっていった。

仕事はあるけど誇りが見えなくなる日もある

依頼は入る。書類も処理できる。でもそれが「誇り」になるかと言われると、正直よくわからない。誰かの人生の裏方として働くことに意味があるのかもしれないが、自分でそれを実感できないと、やはり空虚になる。「これで誰かが救われた」と思える瞬間が減ってきた気がして、それがまた自分を追い詰めていた。

成功ではなく日々を回すだけで精一杯

気づけば、夢中で走ることよりも、転ばないように歩く日々になっていた。目の前の業務に追われて、スケジュール表の白い隙間を探すのが精一杯。それを「安定」と言うのかもしれないが、自分には「停滞」に感じられた。こんな風に、思いがけない質問が心の澱をすくい上げるとは思ってもみなかった。

地域密着型の仕事が持つ孤独

地方で司法書士をやっていると、良くも悪くも人との距離が近い。でもその分、気を抜くこともできないし、誰かに相談する相手も限られている。事務員は一人。家庭もない。愚痴をこぼす相手がいない日常が、心をじわじわとむしばむ。

相談相手がいない事務所という世界

東京の大手事務所なら、同業者同士で情報交換や愚痴の言い合いもできるかもしれない。でも、ここではそうもいかない。孤立感がある。誰にも相談できないまま、一人で判断して一人で責任を取る。それが当たり前になっている。でも本当は、たまには誰かに「これでよかったと思う?」と聞いてみたい。

事務員の前では弱音を吐けない

事務員さんは真面目でよくやってくれている。でも、だからこそ余計に、自分の情けない部分は見せられない。ちょっとしたミスでも、黙って自分で処理するし、精神的に参っていても表には出せない。小さな事務所だからこそ、空気が重くなると全部に響く。そのプレッシャーに、気づけばずっと押し潰されそうだった。

愚痴は壁にしか届かない

事務所の壁に向かって、たまに一人でぼそっと「なんなんだよ」とつぶやくことがある。誰も聞いていないはずなのに、声に出すと少しだけ落ち着く。でも、それも限界がある。誰かに「わかるよ」と言ってもらえるだけで救われるのに、それすら手に入らない孤独な現場。それが地方の司法書士のリアルだった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。