書類チェックで燃え尽きた午後

書類チェックで燃え尽きた午後

書類チェックで燃え尽きた午後

気づけば夕方。デスクの上にはチェック済みの書類が山のように積まれていたはずなのに、最後の数通に取りかかったあたりから急に頭が働かなくなった。疲労が一気に押し寄せてきて、手元の字が読めない。こんな日はたまにあるが、今日は特にひどかった。独りでやっている司法書士事務所、ミスが許されないプレッシャーに加え、体力と気力の限界が同時に来る。午後三時、ただの紙と向き合っているだけなのに、なぜこんなに消耗するのか。誰かに聞いてほしい、それだけでも少しは救われる気がする。

午後三時にすべての気力が尽きた

ランチ後の眠気を振り切って、やる気を振り絞っていたのに、三時の時報が鳴った瞬間、何かがプツンと切れた。集中力も思考力も一緒にどこかへ消えていった気がする。たかが書類チェック、されど書類チェック。たった一文字の誤字で依頼人の人生に影響が出かねないのがこの仕事。だからこそ確認に確認を重ねるけれど、心が付いていかなくなる瞬間がある。

あと一通だけと思っていたがそれが地獄の始まり

「あと一通だけチェックすれば終わり」と自分に言い聞かせた。たった一通、されど一通。その一通が、内容が複雑で登記の流れもややこしい案件だった。自分の疲れた頭では処理しきれない構成になっていて、途中から何度読んでも意味がつかめず、目だけが書類を追い続ける始末。終わらない迷路に迷い込んだような気分になり、気力が完全に奪われた。

終わらない見直し作業のループにハマる

修正しては読み直し、また直しては確認する。その繰り返し。まるでエンドレスリピート。しかもその書類、形式こそ同じなのに案件ごとに内容が微妙に異なり、テンプレで済ませられない。自分で決めた確認項目リストを見直しては、「本当にこれで大丈夫か?」と不安になる。結局、二重三重にチェックして時間だけが過ぎていく。

ひとり事務所の限界をまた感じる

誰かが横にいて「これで大丈夫ですよ」と一言添えてくれたら、どれほど心が軽くなるだろう。だが現実は、自分しかいない。たった一人で背負う重み、逃げ場がない責任。こういうときに「チーム」っていいなと思う。大きな事務所で働いていた頃のことがふと思い出され、あの時の仲間たちの顔が脳裏をよぎる。でも、もう戻れない。戻らないと決めたのは自分なのだ。

頭がぼんやりしてくるあの感覚

何かのスイッチが切れるように、急に脳がスローになる。目は文字を追っていても、内容が頭に入ってこない。集中力という名の燃料が切れたようだ。こんなとき、誤字脱字は肝心のポイントすら見落としかねない。だからこそ怖い。午後のこのゾーンが一番危ない。

誤字を見逃すと夜眠れない

過去に一度だけ、軽微な誤字を見逃したことがある。その時の後悔と自己嫌悪が今でも忘れられない。依頼者にはすぐ謝罪し訂正も間に合ったが、自分の中の信頼が崩れた感覚があった。以来、チェックは神経質なほど慎重になった。だからこそ、午後の集中切れは致命傷に近い。

神経をすり減らす細かい作業の積み重ね

この仕事、派手さはないが神経の使い方が尋常じゃない。契約書や登記申請書の確認作業は、文字通り「神経戦」だ。誤解の余地がある言い回しはないか、日付や固有名詞に誤りがないか、数字が一つ違うだけでも意味が変わる。たかが確認、されど確認。その繰り返しに、少しずつ心が削られていく。

体は椅子にあるのに心が遠のく瞬間

体はデスクに座っているのに、心がどこかへ飛んで行ってしまう感覚。目の前の書類を見ているようで見ていない。「あれ、さっきこのページ確認したっけ?」と何度も戻る羽目になり、非効率の極み。こうなったら、もう限界のサインだ。

誰にも頼れない日常

事務員がいても、すべての書類を任せられるわけじゃない。結局、最終チェックは自分の責任。重圧に押しつぶされそうになる日もあるが、それでもやらなければならない。誰も代わってはくれない。たまには「もう無理」と言いたくなる。

事務員の手も借りられないタイミング

今日に限って、事務員は他の案件で手がいっぱい。タイミングが悪いというより、そういう日は重なるのだろう。お願いしたいことが山ほどあっても、こちらが無理を言うと、かえって負担を増やしてしまう。だから、結局は「自分でやる」しかない。

繁忙期に限って起こるタイミングの悪さ

不思議なことに、案件が重なるときは一気に来る。そして、その忙しさが重なるタイミングでミスも発生しやすい。書類が山積みになるほど、どこかで気が緩み、チェックが甘くなる自分がいる。これが怖い。だから一層神経を張り詰めるけれど、それもまた自分の首を絞める結果になっていく。

手が足りないと心も余裕を失う

「余裕がない」という言葉が、まさに今の自分にぴったりだ。物理的な時間も、人手も、そして心の余白もすべてがギリギリ。書類の一枚一枚に追い詰められているような感覚すらある。効率化なんて理想論に聞こえる午後。現場は、もっと泥臭い。

元野球部でもバテる午後の戦い

学生時代、炎天下でも泥だらけでも走り続けてきた自分。でも今は、エアコンの効いた室内で紙と格闘しているだけなのに、バテる。なんとも不思議な話だ。体力はあるはずなのに、気力が続かない。まるで別の競技に挑んでいるような気がする。

気合と根性ではどうにもならない

昔のクセで「気合だ根性だ」と自分に言い聞かせるが、この仕事ではそれが通用しない。目の前の小さなミスを見逃さない冷静さと、同じ作業を繰り返せる粘り強さの方がよほど大切。疲れたときに一番役立つのは、声を張ることでも根性でもなく、「一度席を立つ勇気」かもしれない。

スポーツの疲れと頭脳労働の疲れは別物

グラウンドでの疲労は、シャワーを浴びて寝ればスッキリした。でも書類との闘いは、寝ても疲れが残る。頭が重く、目の奥が痛い。神経の使い方が違うのだろう。精神のストレッチが必要なのかもしれない。

あの頃の体力が懐かしくなる瞬間

体力には自信があった。でも今は違う。デスクワークの中で静かに蝕まれる疲労感。時折、部活帰りにクタクタで倒れ込んでいた頃の方が、まだ清々しかったと思う。体の芯から疲れていたが、心は元気だった。今はその逆だ。

コーヒーにも頼れなくなってきた

午後の必需品だったはずのコーヒーが、最近は効かなくなってきた。眠気覚ましどころか、胃がムカムカするようにすらなってきた。カフェインの効果よりも、根本的に休憩が足りていないのだろう。

カフェインより休憩が欲しい

昔は缶コーヒー一本で気合いが戻ってきた。でも今は違う。カフェインで無理にスイッチを入れても、頭が追いつかない。脳が欲しているのは、ただの休息だ。静かな数分、目を閉じるだけでも変わるかもしれない。

一息つく時間さえ惜しい業務量

わかっている。休憩をとれば、少しは楽になる。でも、今この瞬間に終わらせなければ明日が詰む。だから一息つくことすらできない。この「今だけ我慢」が毎日積み重なって、結局いつも燃え尽きてしまう。

心を癒すのは甘いものではなかった

コンビニスイーツで気分転換した日もある。けど甘いもので癒せるのは一瞬だけだった。ほんとうに必要なのは、誰かと交わすたわいない会話とか、ありがとうと言われる温かさだったのかもしれない。独り仕事の孤独に、甘さは追いつかない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。