開かれた封筒と見知らぬ依頼
梅雨の終わり、どこからともなく湿気を吸いこんだ書類の山に囲まれていた。朝イチで郵便受けに入っていた一通の封筒。それは、転送届によって回りまわってうちの事務所に届いたらしい。
差出人の欄には見覚えのない司法書士事務所の名前が記されていたが、調べても該当がない。やけに達筆で書かれた宛名と、消えかけた消印だけが不気味に残っていた。
「やれやれ、、、こんな時期にまた厄介な書類か」とつぶやきながら、封を切る手がどこか重たかった。
雨の日に届いた転送済みの封書
中身は一通の登記識別情報通知と、簡潔なメモ。『この登記簿の意味を読み解けた時、彼女の本心がわかる』とだけ書かれていた。まるでルパン三世の五ェ門が斬り捨てたあとに残したような、風流と不気味さの混じる一筆だった。
誰に向けて書かれたのかも不明だが、宛先は明らかに僕、司法書士のシンドウだった。差出人不明の文書。普通なら廃棄も視野に入るが、そこは元野球部の性か、球が来たら打つ主義だ。
受けて立とう。登記簿一つからでも真実は導き出せる。司法書士にできる推理ってやつを、見せてやる。
依頼人の名は二人分
登記簿を見て、最初に気づいたのは所有者が二人いることだった。登記名義人は、同姓の男女。おそらくは婚姻関係、あるいは元配偶者か。
それぞれの持分は二分の一ずつだが、問題は「登記原因」の部分にあった。所有権移転の原因日が一方だけ空欄だったのだ。通常なら考えられない。
まるで、片方の移転登記だけが独立して存在しているような、そんな奇妙な構成になっていた。
登記情報交換システムからの一致
サトウさんに頼んで法務局に照会をかけてもらうと、もう一方の登記簿と完全に一致する情報が見つかった。どうやら、同じ物件を異なる名義で登記していたようだ。
「二重登記ですか?それって、、、いや、わざとやってる?」とサトウさんが目を細める。
わざとだとすれば、それは法を逆手に取った何か。だが、なぜ?しかもなぜその情報が僕の元に届いた?
登記簿から読み解く過去の関係
二つの登記簿を並べて読んでいくうちに、ある共通点が浮かび上がった。両者ともに同日、住所変更の履歴が記録されていた。
しかも、それぞれの新住所は、以前相手が住んでいた住所になっている。つまり、お互いの家に転居しているのだ。
「まるで、、、サザエさんの波平と舟が別居して、家を交換してるみたいですね」とサトウさんが呟く。
法務局で見つけた一筆のメモ
過去の登記記録には、法務局職員の手書きメモが挟まれていた。「職権訂正の要否について相談あり」。どうやら、この奇妙な登記を正式なものとして残すか否か、迷った形跡があった。
だが、訂正されていない。つまり、それは意図された「ままならなさ」だったのだろう。
登記の不自然さは、感情の跡だった。別れきれない未練が、登記簿の中に残されたのだ。
サトウさんの冷静なツッコミ
「それで、先生。これは事件なんですか?」と、サトウさんがパソコンの画面を見ながら口を開く。
事件というより、これは感情の残骸だ。愛憎の詰まった情報が、偶然を装ってこちらに届いた。
「おそらく、どちらかがあなたを知ってるんでしょうね」とサトウさん。そう言われると、思い出す顔があった。
「その申請書、矛盾してますよ」
件の封筒の中には、数年前に離婚登記で手続きした女性の署名があった。彼女の元夫からの情報提供という線も考えられる。
そう、二人は僕の過去の依頼人だ。そして、僕がその両方に手続きを行った。結果として、二人はお互いの住所に住む形になり、登記上も奇妙なリンクが残った。
これは、僕へのメッセージだ。処理を「ミス」したことを、彼らは知っていた。
封筒の中身が示す本当の意図
封筒の中にあった登記識別情報は、期限切れのものだった。つまり、法的効力はない。
だが、それを送ってきたということは、単なる「証拠」ではなく、「記憶」を送りたかったのだろう。
僕がうっかり処理した結果が、二人の離れきれない縁をつないでしまった。
登記の交換は別れの儀式だった
住所を交換し、登記簿を交換し、それでも心だけは交差しなかった。そんな二人の別れの儀式に、僕は知らずに巻き込まれていた。
やれやれ、、、司法書士ってのは、時に恋文の配達人みたいな役割まで背負わされるんだな。
せめて、今度の申請では間違えないよう、気を引き締めるとしよう。
真実と別れの証明書
後日、登記簿の一つに職権訂正が入った。どうやら、どちらかが区切りをつけたらしい。
まるで探偵漫画の最終回みたいに、静かに、誰にも知られず幕を閉じる愛憎劇。
書類一枚に人の心が映るなら、司法書士もまた、小さな探偵かもしれない。