休日ってなにするのが正解なのか分からないときの過ごし方

休日ってなにするのが正解なのか分からないときの過ごし方

休日の正解が分からないまま日曜日が終わる

司法書士という仕事柄、休日もなんだかんだ頭の中は仕事のことばかりです。気づけば日曜日の夕方、「何してたっけ?」と独り言が漏れる。SNSを見ると、みんなは温泉だのキャンプだの、にぎやかで楽しそうな時間を過ごしていて、なんだか自分だけ取り残されている気分になります。そもそも休日に“正解”があるなんて、誰が決めたんでしょうね。でも、そんなふうに考えながら今日もソファでスマホをいじって、終わっていくんです。

何もしないことに罪悪感がある

ただ寝て過ごしただけの休日に「なんかもったいなかったな」と思ってしまう癖があります。平日は朝から晩まで駆け回ってるのに、いざ休みになると、うまく“休む”ことができない。元野球部のせいか、常に何かに取り組んでいないと落ち着かない性格なのかもしれません。だからこそ、ただダラダラしてると、サボってるような、損してるような気分になる。結局、心も体も休まらないまま、一日が終わるんです。

予定を入れるのがめんどくさい

以前は、土曜のうちに映画館のチケットを取ったり、少し遠出の計画を立てたりしてました。でも最近は、その「予定を立てること」自体がしんどく感じるように。仕事で時間や段取りに追われてるぶん、休日くらい何も決めずにいたいのに、そうなると逆に一日が無意味に終わる。矛盾してますよね。わかってはいるけど、気力が湧かないんです。朝起きて「よし、出かけよう」と思える日は、もう年に数回レベルです。

疲れているのに休み方が分からない

目覚ましをかけずに寝たはずなのに、朝5時半に目が覚める。これは職業病でしょうか。その後二度寝もできず、布団の中でゴロゴロしてると、逆に肩が凝ってくる。結局起きて、なんとなく事務所の掃除とか、棚の整理を始めてしまう。たぶん「休む」という行為の具体的なイメージがないんです。何かしていないと落ち着かない。でも、何かしていると「せっかくの休みなのに」と思ってしまう。このループ、抜け出せる日が来るんでしょうか。

つい仕事のことを考えてしまう休日

一応「今日は完全オフにしよう」と決めても、頭の片隅では「あの書類、月曜までだったな」とか、「○○さんからの連絡、まだ来てないな」とか考えてしまう。机の引き出しを開けるように、無意識にメールアプリを開いてる自分がいて、ハッとする。事務員にも「先生、ちゃんと休んでください」と言われる始末。だけど、考えるなって言われても無理なんですよね。司法書士って、仕事とプライベートの境界が薄すぎる。

メールをチェックしてしまう心理

日曜の午後、スマホを見てると、ついGmailを開いてしまう。大体は何も来てないのに、それを確認して少しホッとする。けど、もし急ぎの依頼が来てたらどうしよう、という気持ちもある。これ、完全に仕事に支配されてますよね。自分でもわかってる。でも「見ない勇気」って、けっこう難しい。見たところで、返信は明日でいいんだからと分かっていても、気になってしまう。気持ちの切り替えが、本当に下手だと思います。

休んでいると不安になる性格

そもそも「何もしないと不安になる」性格って、損だなと思います。これはもう性分なので仕方ないとはいえ、休みの日に不安を感じるなんて、本末転倒です。昔、先輩司法書士に「暇なときほど仕事の種は拾える」と言われて以来、なんとなくボーッとしてる時間にさえ「なにか探さなきゃ」と思ってしまう。ほんとはただ昼寝してても、誰にも責められないのに。責めてるのは、いつも自分自身なんですよね。

それでも過ごし方にヒントはある

休日の過ごし方に正解はない。そう言い聞かせても、どこかに「これが良い休日」みたいな理想を求めてしまう。でも、それってたぶん誰かの価値観なんですよね。自分自身にとっての快適な過ごし方、それを見つけるのが本当の意味での“正解”なんだと思います。最近ようやく、自分なりのヒントが見えてきたような気がしています。

元野球部的「とにかく体を動かす」戦略

やっぱり運動すると頭がスッキリする。元野球部という過去があるせいか、体を動かすと「生きてるな」って感じがするんです。最近はウォーキングや軽い筋トレを休日に取り入れてます。特別なことじゃなくていい。ラジオ体操でも十分。身体の動きが心のリズムを整えてくれる。悩みやモヤモヤを引きずりそうな朝は、とりあえず外に出て歩いてみるようにしています。

散歩や素振りが案外効く

特に効果を感じるのが「素振り」です。道具なんていらない。昔のフォームを思い出しながら、空を切るだけで心が整う感覚があります。散歩も、最初は面倒に感じるけど、一歩外に出れば空気が違う。気づけば頭の中が軽くなってるんですよね。考えすぎのループを断ち切るには、身体からアプローチするのが一番だと実感しています。

リズムが整えば気持ちも整う

音楽をかけながら掃除するだけでも、気分は変わります。僕の場合、高校時代の応援歌を流すと自然と動けるようになります。休日の朝、まずは音楽とともにリズムをつけて、コーヒーを淹れて、ストレッチ。そんなふうに小さなルーティンをつくることで、休日が“流される”のではなく、“使えている”感覚が出てくるんです。小さな積み重ねで整っていくこともあるんだと、最近は思っています。

「何もしない」をちゃんとやってみる

一方で、「なにもしない」を意識的にやるのも大事です。何もしないって、実は難しい。でもそれを“やる”と決めれば、罪悪感が少し和らぐ。たとえば「今日は完全に寝て過ごす日」と決めて、堂々とゴロゴロする。読まない本を積んだまま横になる。それだけで、少し自分に優しくなれる気がします。

罪悪感を手放す練習

「休むこと=悪いこと」っていう呪縛は、たぶん根深いです。とくに司法書士という責任の重い仕事をしていると、「休んだら誰かに迷惑をかけるんじゃないか」と思いがち。でも実際、少し休んだところで世界はちゃんと回る。だから、まずは「今日は何も成し遂げなくていい」と自分に言い聞かせることから始めてます。手放すのも練習が必要なんですね。

ぼーっとする時間も必要

テレビも見ずに、ただ空を見てる時間。意外とこういう“ぼーっとする時間”が、心のデフラグになります。普段は処理しきれない情報や感情が、少しずつ整理されていく感覚。司法書士という職業柄、常に論理や手続きに縛られているぶん、何も考えない時間が逆にバランスを取ってくれる。最近は、これも立派な「休日の過ごし方」だと受け入れられるようになりました。

結局、正解なんてなくていい

いろいろと考えた末に、たどり着いた結論は「正解なんてなくていい」ということでした。休日の過ごし方に型なんていらない。仕事も、休日も、自分のペースで生きるためにあるものだとしたら、無理に“良い休日”を演じる必要なんてないのかもしれません。少しずつでも、自分に合った時間の使い方を見つけられれば、それで十分だと思えるようになってきました。

そのときの自分に正直になる

「今日は外に出たいな」と思えば出ればいいし、「布団から出たくない」と思えば、それに従ってもいい。そのときの自分の気分に正直になることで、休日に対する満足感が変わるんです。逆に「こうすべき」に縛られるほど、疲れは取れなくなる。自由って、選択肢があるぶん難しい。でも、だからこそ「自分で選ぶ」ことが大切なんだと感じています。

しんどいときは休むでいい

休むべきタイミングで無理しても、後からツケが回ってくる。それなら、最初から“しんどい”ときは休むって決めておいたほうがいい。誰かに許可を求める必要はない。自分が自分にOKを出せれば、それで十分。これって当たり前のようで、意外と難しい。だからこそ、意識的に“自分を労る”ことを習慣にしていきたいなと思っています。

動きたいときに動くでいい

逆に、無理に「休もう」とするのもまたストレス。動きたいときは動いていい。休日に事務所に来て棚の整理をするのも、それが“気分転換”になるならアリだと思う。結局、大事なのは“気持ちの切り替え”ができているかどうか。やらされるんじゃなくて、自分からやっている感覚があれば、それは立派な休日なんじゃないでしょうか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。