午前中はやる気があるのに午後になると全てがどうでもよくなる日

午前中はやる気があるのに午後になると全てがどうでもよくなる日

午前と午後で別人のような自分に戸惑う

司法書士の仕事って、集中力との戦いだと思う。特に書類の確認作業なんかは、ちょっとした見落としが命取りになる。だから午前中、静かな事務所で黙々と処理してるときは「自分、意外とちゃんとしてるな」なんて思ったりする。でも、それが昼を過ぎるとどうだろう。14時を回ったあたりから、急にすべてが面倒になる。事務員さんに話しかけられても「あとでいい?」って思ってしまうし、電話が鳴るたびに「またか…」とため息をつく。午前と午後でこんなにも自分の気持ちや姿勢が変わってしまうことに、未だに驚く。

午前中はちゃんとやってるつもりなのに

朝の8時過ぎには事務所に入って、コーヒーを淹れて、机の上の書類をきっちり並べる。依頼者からの問い合わせメールにもテキパキと返信できるし、登記の準備もミスなく進められる。たぶん、この時間帯の自分が一番“プロ”っぽい。でもそれは、まだ体力も精神も摩耗してないからだ。朝のあの空気、静けさ、そして頭の冴え…それらがあるからこそ「やれてる」だけなんだ。

朝の集中力とあの静けさがすべてを救う

朝の時間って、まるで野球部時代の朝練のようだ。グラウンドに最初に出て、まだ日が昇りきっていない中で黙々と素振りをしていた感覚に近い。誰にも邪魔されない、その時間が好きだった。司法書士の仕事も同じで、誰にも話しかけられない、電話も鳴らない、そんな時間こそが一番仕事が進む。朝にできるだけ“要集中タスク”を詰め込むようになったのは、そういう理由がある。

依頼が少ない午前はむしろゴールデンタイム

午前中は依頼の電話も来にくいし、役所もまだ動き出していないから、比較的自分のペースで仕事ができる。だからこの時間に、登記のチェックや契約書の見直しなど、間違いが許されない作業を集中して終わらせるようにしている。午後に回すと、必ずと言っていいほどミスが出る。それくらい、自分にとって午前の集中力は貴重だし、午後の自分は信用できない。

午後になると何もかもが面倒になる理由

昼休憩が終わって事務所に戻ってくると、急に空気が変わる。電話はひっきりなしに鳴るし、役所関係からも連絡が入る。書類を持ち込むお客さんも午後が多い。そうなると、午前中に培った集中力はすぐに失われる。「やらなきゃ」って思っても、体がついてこない。気づけば時計を見て、「あと何時間だ…」と数えるようになっている。そんな自分が嫌になる。

電話の鳴り始めと人の動きがリズムを壊す

午後になると、いわゆる“生活の動き”が一斉にこちらに向かってくる。電話、来客、役所からの確認連絡…。全部必要なものだと分かっていても、タイミングが悪すぎると感じてしまう。午前中にやりかけた作業が中断されて、思考が切れてしまうと、もう再開する気もなくなる。たとえるなら、9回表でエラーをしてしまった野球部時代の感覚。どれだけ頑張っても、集中力が切れたら終わりだ。

頭じゃなく心が疲れてることに気づく

「午後は頭が働かない」と思っていたけど、実際には心が疲れているんだと思う。気を使うことが多すぎて、些細なことでイライラしたり、無力感を感じたりする。午後になると、自分の存在意義を疑い出す時間帯になることもある。「なんでこの仕事してるんだろう」なんて思ってしまう瞬間がある。こういう日は、まるで午前の自分とは別人みたいだ。

やる気の失速は自分のせいじゃないと思いたい

午後のやる気のなさは、自分の怠慢だと思って長い間悩んでいた。でも、これはある種の「仕組み」なのかもしれない。誰しも一日中フル稼働できるわけじゃない。自分のペースに合わない午後の時間帯は、戦い方を変えればいいだけなんじゃないか。最近そう思うようになった。

昼ごはんの後のあの眠気は敵なのか

昼ごはんをしっかり食べると、間違いなく眠くなる。ラーメン+ライスなんて食べた日は、もうデスクに戻るのが苦行だ。「昼飯抜きにしようかな」と思ったこともあるけど、空腹だと今度はイライラする。どちらにせよ午後はパフォーマンスが下がる。これはもう“仕方ないこと”として割り切るしかないと思うようになった。

満腹感と絶望感のセットメニュー

満腹感がもたらす眠気と、「午後もまだ仕事があるのか…」という絶望感。この2つがセットでやってくる。まるでダブルヘッダーの2試合目に、控え選手で出された気分。やる気はあるんだけど、体がついてこない。「さっきまで元気だったのに、どうして…」と思いながらパソコンの画面を眺めている自分に苦笑いするしかない。

そんな午後をどうやって乗り切るか

午後がしんどいのはもう分かっているのだから、無理して戦わない方法を考えることにした。気合ではどうにもならないと分かったからこそ、“やり方”を変える必要がある。できることを、できる範囲で、淡々とやる。そんな午後の過ごし方を模索している。

午後三時のコーヒーが唯一の救い

午後三時を過ぎた頃、事務員さんが出してくれるコーヒーが本当にありがたい。正直、味なんてどうでもいい。ただ、「この一杯でリセットしよう」と自分に言い聞かせられる儀式のようなものだ。学生時代、試合前に右手でグローブを3回叩く癖があったけど、それに近い感覚なのかもしれない。

休憩の時間をあえてスケジュールに組む

以前は「仕事が落ち着いたら休憩しよう」と思っていたけど、そんなタイミングは来ない。だからこそ、あえて15時半に“10分だけ外に出る”など、自分で小さな休憩時間を作るようにした。ルーティンとして組み込めば、午後のしんどさも少しだけ軽くなる。

午後のだるさも含めて自分なんだと思えたら

午後の自分が嫌いだった。でも、そんな自分も“自分”なのだと思うようになって、少し気が楽になった。いつも全力でなくていいし、集中できない日があってもいい。そんな日も、自分の仕事の一部なのだと受け入れられたら、午後の時間も少し優しくなった。

完璧じゃなくても仕事は終わる

完璧じゃないと許されない仕事だと思っていた。でも実際は、7割の完成度でも次に進められることもある。もちろんミスはダメだけど、無理して自分を追い込んでも意味はない。「今日はここまででいい」と思えるだけで、気持ちがふっと軽くなる。

「今日はこれでよし」と言える力

「まだやることがある」「終わっていない」という焦りに追われる日々だった。でも、それを全部こなしても、誰かが「ありがとう」と言ってくれるわけじゃない。だったら、自分で自分に合格を出すことが大事だ。誰かに褒めてもらうよりも、自分に「よくやった」と言えることのほうが、たぶん救いになる。

自分への合格点を下げる勇気

午後になるとつい「まだこれしかできてない」と自分を責めてしまう。でも、自分の調子が落ちる時間帯を受け入れて、その上で仕事を続けられているだけでも十分だと思う。合格点を下げることは、諦めではなく、生き延びる知恵だ。司法書士だって人間だし、毎日がベストじゃなくても、今日を終えられたならそれでいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。