記憶の境界を越えた夜

記憶の境界を越えた夜

静かな朝の違和感

その朝、事務所のドアが開いた音で目を覚ました。寝坊したわけじゃない。単にベッドで現実逃避していただけだ。けたたましい足音の主は、やはりサトウさんだった。

「今日は10時から登記の相談があるって言いましたよね?」はいはい、言いました。聞いてました。だが頭はまだ夢の中だ。

やれやれ、、、いつもながら、現実は急カーブでやってくる。

見慣れた依頼人の異変

相談にやってきたのは、以前にも土地の名義変更を依頼したことがある年配の男性。が、妙なことに本人確認書類の写真と、目の前の人物の雰囲気がどうにも一致しない。

「またお世話になります」と丁寧に頭を下げる彼に違和感が残る。

声のトーン、しぐさ、言葉の選び方。すべて微妙にズレていた。

サトウさんの冷静な観察眼

その微細な違和感を、俺より早く指摘したのがサトウさんだった。「あの方、少し話し方が変わっていませんか?敬語の使い方も前回とは違うような……」

さすが塩対応の鬼。冷静すぎて逆に怖い。

「まあ、人は日々変わるもんだろ」とは言ったものの、その疑念はじわじわと広がっていった。

曖昧な記憶のほころび

登記申請書の記載内容を確認していくうちに、俺の中で何かが引っかかった。書類の字体、印鑑の押し方、署名のバランス。

前回と同じはずなのに、どこか違う。だがそれを言葉にできないもどかしさ。

「こんな時、ルパンの銭形警部みたいな勘が働けばいいのに…」と心の中で嘆いた。

登記申請書に見つけた謎の署名

新たに提出された書類に目を通していると、「フルネーム」の部分に微妙な違いがあることに気づいた。

前回の署名には漢字が使われていたが、今回はすべてひらがな。

「高齢者だからブレたのかな……?」というには、あまりに不自然だった。

依頼内容と本人の言動のズレ

さらに奇妙だったのは、彼が自分の土地の所在地を何度も間違えたこと。

前回の相談ではスラスラと詳細な番地まで語っていたのに、今回は「あの辺です」と濁す。

明らかに、この人は――何かを隠している。

調査の先にあったもう一人の影

「本当に同一人物なのか?」疑念を抱いた俺は、登記記録の過去情報を再確認することにした。

その作業の合間、ふと「もしこの人が偽物だったら、何の目的で…?」と考え始める。

名探偵コナンの灰原ならここで確信に近い仮説を立てるのだろうが、俺はシンドウ。冴えない司法書士だ。

同姓同名の人物との偶然

資料を掘り下げるうち、同じ市内にまったく同姓同名の人物が存在することがわかった。

しかも、その人物の親族が先月亡くなっていた。相続絡みの何かだと、胸騒ぎが走る。

「これはもう、偶然じゃないな」とサトウさんがポツリと呟く。

過去の事件記録に残る似た事例

司法書士会の内部データを漁っていたサトウさんが、似た手口の事件を見つけ出した。

身元を偽って不正に登記を進め、あとで裁判沙汰になった案件だ。

どうやら、今回もその再現になりかけていたらしい。

封じられた記憶の扉

そして、ようやく依頼人の過去にたどり着いた。実の兄を名乗っていたが、正体は弟。遺産を横取りするために身分を偽っていた。

しかも、本人も「自分が兄だった」と思い込んでいた節がある。

まるで、サザエさんの波平がカツオと入れ替わってるような違和感。

親族が語る意外な真実

親族から聞いた話では、幼い頃の事故で記憶を一部失っていたとのこと。

兄が家を出た後、弟が兄の名前で暮らすようになり、それが長年続いた。

彼は本気で自分が「兄」だと信じていたのだ。

過去の登記に隠された共通点

過去の登記簿を見ると、複数の物件に兄の名前が使われていたが、その筆跡は弟のものと一致していた。

つまり、ずっと「偽りの身分」で生きていたことになる。

悲劇というより、もはやサスペンスそのものだった。

やれやれ記憶ってのは都合よくできている

「記憶を越えてまで嘘をつけるなら、もはや才能だな」と皮肉を言ったら、サトウさんが呆れたように言った。

「才能というより、業ですよ。シンドウさんも人の名前忘れますし」

やれやれ、、、俺の記憶力もたいして信用できないようだ。

サトウさんの一喝で動き出す事実

依頼人に真実を告げたのはサトウさんだった。「あなたは弟さんですよ」と冷たく。

一瞬の沈黙のあと、彼は膝から崩れ落ちた。

悲しみより、混乱より、やっと腑に落ちたような表情だった。

仮説を裏付ける鍵の証拠

最後の決め手は、故人の遺書だった。そこには弟に向けた「兄の名を返してくれ」という一文があった。

これにより、真実が確定した。

遺産相続は無効。登記は凍結され、家族で再協議されることになった。

記憶の境界を越えたとき

事件は静かに幕を閉じた。だが、依頼人の中で何かが変わったように見えた。

「私は弟だったのか……そうか、そうだったのか……」

その声は、どこか安堵に似ていた。

真正な依頼者は誰だったのか

兄の名で登記を進めた弟。だが彼は、善意か悪意かも定かでなかった。

真の依頼者は――亡き兄の意志だったのかもしれない。

記憶が戻ったわけじゃない。ただ、誤りから解放されたように見えた。

そしていつも通りの日常へ

翌朝、俺は書類の山に埋もれながらコーヒーをすすっていた。

サトウさんは相変わらずの塩対応で、「記憶喪失になっても仕事は減りませんよ」と無慈悲な一言。

「司法書士は探偵じゃないんだけどね」とぼやきながら、今日も一件落着。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓