一言が胸に刺さる日もある
「大変そうですね」と言われたあの日、なぜか返す言葉が出てこなかった。別に怒っていたわけでも、気まずかったわけでもない。ただ、その一言が妙にリアルで、深く刺さったのだ。普段は「まあ、ぼちぼちですよ」なんて適当に流せるのに、その日は違った。多分、自分でも気づいていたのだ。「本当に大変なんだ」と。けれど、それを認めたら崩れてしまいそうで、笑ってやり過ごすこともできなかった。
「大変そうですね」の言葉にどう返すか迷った
その言葉を投げかけたのは、昔の友人だった。何年ぶりかに再会して、近況を話していた時だった。「今、司法書士やってるんだ」と言ったら、彼は少し眉をひそめて、そしてあの一言を言った。「大変そうだね」。その瞬間、頭の中でいくつもの返答が浮かんでは消えた。「まあね」「慣れてきたよ」「君には関係ないでしょ」……でも、どれも口に出せなかった。結果、ただ苦笑いして黙ることしかできなかった。
本音を言えば愚痴になりそうで怖かった
本当は言いたかった。「もうヘトヘトだよ」と。でも、それを言った瞬間、自分の中のなにかが決壊しそうだった。あまりに日常的に「忙しい」「大変」と言っていると、それが当たり前になってしまう。けれど、人から同じことを指摘された瞬間に、妙な現実感が生まれる。まるで、自分がずっと無理をしていたことを証明されたかのように。それが怖かったのだ。
黙るしかない瞬間に現れる孤独感
返せなかった自分を、夜になって責めた。あんなに言葉を使う仕事をしているのに、どうしてたった一言に言い返せなかったのか。部屋に帰って電気もつけずに座っていると、じわじわと孤独が押し寄せてくる。「誰も自分のことなんか分かってくれない」。そんな思考に囚われそうになる。けれど、分かってもらおうとする努力すら、最近は怠っていたことにも気づいた。
忙しさの中で会話を遮断してしまう癖
いつからか、人と深く話すのが苦手になっていた。表面的なやり取りだけで済ませて、なるべく感情を揺さぶられないようにする癖がついていた。忙しいから、人間関係に気を使う余裕がない、という言い訳が口癖になっていた。でも本当は、自分の弱さを見せたくなかっただけなのかもしれない。
優しさを装って実は自分を守っていた
誰に対しても「大丈夫です」「ご迷惑をおかけしません」と言い続けてきた。それが優しさだと思っていた。だけど最近、それはただの防御だったと気づいた。人に甘えることができない自分は、結局誰ともちゃんと繋がれていなかったのだ。事務員にも「ありがとう」ばかりで、「つらい」とは言えない。
人と話すのが億劫になる時期がある
特に繁忙期になると、人と会話をすることすら負担になる。電話一本で疲れてしまうこともある。誰とも話さない日が続いても平気なフリをして、どこかで「俺は孤独に強い」と言い聞かせている。だが、ふとした時に訪れる沈黙が、心をぐらつかせる。人の声が欲しくなる瞬間が、急にやってくるのだ。
本当に大変なのは仕事よりも感情の整理
登記や書類よりも、自分の感情を扱う方がよっぽど手間がかかる。依頼人にどう接するか、事務員にどう話すか、友人にどう振る舞うか。それらを考えながら「司法書士」を演じている自分に、ふと疲れを感じる。誰もが期待する「頼れる専門家」の顔をし続けるのも、正直しんどい。
事務員に弱音を吐けない立場の辛さ
たった一人の事務員には感謝している。けれど、彼女の前でも「きついなぁ」とは言えない。上司として、経営者として、変に見られたくないという気持ちが先に立ってしまう。「しっかりしてますね」と言われることはあっても、「大丈夫ですか」とは聞かれない。そんな毎日を続けていると、少しずつ感情が摩耗していく。
背中で語れと言われてももう限界
昔の上司に「男は背中で語れ」と言われたことがある。自分もそれを真に受けてきた。無言で働き、結果で見せる。それが美学だと思っていた。でも、もう無理だ。体も心もボロボロになって、背中じゃ語れないことばかりが増えてきた。言葉にしなければ伝わらないことの方が、今は多い。
笑ってやり過ごすにもエネルギーがいる
「まあ大丈夫ですから」と笑って済ませることはできる。でもその笑いを作るのに、どれだけの気力を使っているか。人前で崩れないための努力が、じわじわと自分を消耗させている。あの時の沈黙も、もしかしたら自分なりの精一杯の「がんばってますよ」というメッセージだったのかもしれない。
誰も傷つけたくなくて自分だけが減っていく
人に気を遣って、空気を読んで、角を立てないようにする。そうやってやり過ごすうちに、自分だけがすり減っていくのがわかる。誰も悪くない、でも誰も救ってくれない。そんな日々に耐えているのは、自分がそうすることを選んできたから。だから誰も責められないし、結局また黙ってしまう。
「司法書士って儲かるんでしょ」の裏側
よく言われる言葉。「司法書士って儲かるんでしょ」。そう言われるたびに、苦笑いしか出てこない。確かに、収入はあるかもしれない。でも、それ以上に失っているものもある。土日も夜も関係なく、頭の中では常に何かを処理している。その重圧は、他の誰にも見えない。
数字には出ない神経のすり減り
売上は出る。件数も出る。でも、心の消耗は数字にならない。夜中に目が覚めて「登記識別情報どこに置いたっけ」と焦るようなことは、エクセルには載らない。そういう見えないストレスが、日々の生活に少しずつ影を落としていく。誰かに「わかるよ」と言ってほしいだけなのに、それすら叶わない。
依頼人には言えない精神的コスト
依頼人の前では、常に冷静でいなければならない。心配をかけるわけにはいかないし、信用も失いたくない。でも実際は、ミスが許されないプレッシャーに押し潰されそうな日もある。精神的コストは、報酬に含まれていない。けれど、そこが一番しんどい部分だったりする。
元野球部の自分が今思うこと
昔は声を出して、汗をかいて、結果が出る世界にいた。あの頃はわかりやすかった。今は違う。声を出せば出すほど、自分の弱さが滲んでしまう気がして、静かに黙ることを選んでしまう。だけど、ときどきあのグラウンドの匂いを思い出して、「もう一度全力疾走してみたいな」と思うこともある。
声を張ってた頃の自分がうらやましい
「おらー!走れ!」と叫んでいたあの頃。誰にも遠慮せず、素直に熱くなれていた頃の自分が今は少し羨ましい。あの頃のように、思ったことを思ったまま言えるような場所が今はない。司法書士という立場になってから、「本音」はどこかにしまってしまった。誰に出せばいいのかわからないまま。
モテないのは仕事のせいにしていいのか
正直、恋愛からは遠ざかっている。誘われることも少ないし、自分から動く元気もない。仕事が忙しいというのもあるが、どこかで「どうせ無理」と決めつけている自分もいる。でも、ふと誰かと目が合ったとき、少しだけ胸がざわつく。もしかしたら、まだ捨ててないのかもしれない、と思った。
それでも明日も事務所を開ける理由
今日がしんどくても、明日はまた机に向かう。そんな毎日の中で、「なんでやってるんだろう」と思う日もある。でも、誰かの役に立っているという実感や、依頼人の「ありがとう」に救われる瞬間があるから、やめられない。小さな達成感が、意外と大きな支えになっている。
苦しさの中にある小さな達成感
完了の電話を入れたとき、依頼人が安心した声を出す。それだけで、「今日も頑張ってよかった」と思える。その一言を聞くために、今日もミスをしないよう神経をすり減らす。苦しいけれど、無駄じゃない。そう思わせてくれる瞬間が、たしかに存在する。
黙ってくれる誰かに救われる日がある
何も言わず、ただそばにいてくれる人がいたらどれだけ楽だろう。そんな妄想をする日もある。結局は自分でなんとかするしかないとわかってはいるけど、それでも、誰かに「何も言わなくていいよ」と言われたら、涙が出てしまうかもしれない。だから、せめて自分がそういう存在になれたらいいなと思う。