こんなに気にしてたなんて自分でも驚いた日

こんなに気にしてたなんて自分でも驚いた日

こんなに気にしてたなんて自分でも驚いた日

強がりが板についてしまった自分に気づいた瞬間

もう何年も、「大丈夫です」と答えるのがクセになっていた。仕事でもプライベートでも、心配されるのが苦手で、弱みを見せるのが億劫だった。司法書士という職業柄、頼られることが多いぶん、自分の感情を脇に置くことに慣れてしまったのだろう。でも、ある日ふとしたことで、その“平気な顔”がいかに重たい仮面だったかを思い知らされた。

「大丈夫」と言い慣れた口癖の重み

昔からの癖なんだ。「痛くない?」「疲れてない?」と聞かれるたびに、口をついて出るのは「大丈夫」の一言。元野球部だったこともあるのか、つらい時ほど平然としてしまう。でも、ある日仕事で大きなトラブルがあって、その対応に追われていたとき、事務員さんに「先生、本当に大丈夫ですか?」と聞かれ、妙に胸がざわついた。そのとき初めて、口癖の「大丈夫」が、自分を押し殺す呪文みたいになっていたことに気づいた。

気づけば誰にも本音を話さなくなっていた

考えてみれば、誰かに弱音を吐いたのなんて、もう何年前だろう。親にも友人にも「順調だよ」「忙しいけど充実してる」と言ってきた。でも、それは本当だったのか?どこかで、誰かに「疲れた」とか「つらい」とか言いたかったのかもしれない。気づけば、事務所では事務員さんにしか話す相手がいなくなっていた。でも、その相手にさえ、本当のことを話していなかった。

野球部時代の根性論が今も引きずってるのかも

思えば、あの頃から「我慢は美徳」だった。グラウンドで水を飲むな、痛みは気合で乗り越えろ、と叩き込まれた日々。今でもそれが染みついているのだろう。どこかで「弱音を吐いたら負け」と思ってしまっている自分がいる。でも、あの頃の試合とは違う。今は一人で抱えすぎて、誰にも助けを求めず、心のどこかがボロボロになっている。そう気づいた瞬間、胸が痛くなった。

あの一言が心に刺さって離れなかった

その日、何気なく言われた一言が、頭から離れなかった。ほんのささいなこと。でも、自分が気にしていないと思っていた部分を突かれた気がして、じわじわと心がざわつき始めた。普段は聞き流せるようなことなのに、なぜかその言葉だけは、心に引っかかって離れなかったのだ。

事務員のさりげない言葉にグラッときた

「先生、最近ちょっと元気なさそうですよね」。その一言だった。昼休み、お茶を入れてくれていたときに、ぽろっと言われた言葉。驚いたし、少し動揺もした。でも、それ以上に、自分の中の「気にしてないことにしてた何か」が、ぐらりと揺れた感じがした。自分では全く表に出していないつもりだったのに、見透かされていたのかと思うと、なんだか恥ずかしかった。

平然を装っても、内心はザワザワしていた

その日の午後、普段どおり登記申請をしていたはずなのに、ずっと落ち着かなかった。頭の中で事務員さんの言葉がぐるぐる回っていた。何がそんなに引っかかってるのか、自分でもうまく説明できなかった。ただ、「気にしてない」と言い続けてきたことが、実は一番気になっていたんだ、と徐々に自覚してきた。

誰かの無意識が、自分の核心を突いてくる

他人の何気ない一言って、時に驚くほど鋭い。相手は悪意もなく、むしろ気遣ってくれたのだろう。でも、それが妙に刺さるのは、自分の中にそれを気にしている「自覚」があるからだ。司法書士としての肩書きも、忙しさも、すべて「大丈夫なふり」の装飾だったのかもしれない。そんな風に思い始めた。

「気にしてない」と思い込むことで守っていたもの

「気にしてない」って言葉は、ある意味では防御だったのかもしれない。自分を傷つけないように、感情にフタをしてきた。でもそのフタは、思ったよりも軽くて、ふとした拍子にすぐ外れてしまう。そうして溢れ出てきた感情の正体は、驚くほど繊細で、不器用で、そして誰よりも“他人の目”を気にする自分だった。

無意識のフタは意外と脆い

感情なんて、もっと合理的に処理できると思っていた。だけど実際はそうじゃなかった。思い込みで「これは気にしないこと」とラベリングして、棚に上げてきたものがたくさんある。でも、その棚はいつか重さで崩れる。そして、そのときに自分でもびっくりするくらい動揺する。自分はそんなに強くなかった。

思いがけず涙がこぼれそうになることも

ある夜、帰宅して一人で晩酌していたとき、不意に涙がにじんだ。特別なことがあったわけじゃない。ただ、なんとなく、今日一日「大丈夫」と言い続けていた自分が、ものすごく孤独に思えた。泣くなんて情けないと自分で笑ったけど、その涙は止まらなかった。あの夜のことは今でも忘れられない。

感情を押し殺す癖が身についていた理由

なぜこんなにも「平気なふり」をしてきたのか。きっと、弱さを見せることが怖かったからだと思う。信頼を失うかもしれない、仕事が来なくなるかもしれない、そう思っていた。でも、本当は、誰かに「弱くてもいいよ」と言ってもらいたかったんじゃないかと思うようになった。

自分を少しだけ許せた日

完璧じゃなくていいと、ほんの少しだけ思えるようになった日があった。変わったのはほんのわずか。でもその小さな変化が、自分にとっては大きかった。司法書士という仕事は、人に頼られ、冷静であることが求められる。でも、自分自身に対しても、少しだけ甘くしていいんじゃないか。そう思えるようになった。

気にしてる自分を責めなくていいと思えた瞬間

「気にしてたんだな」と気づいたことは、悪いことじゃなかった。むしろ、ちゃんと心がある証拠だと思えた。自分のことを否定せずに、ただそうなんだと受け入れる。それだけで、ずいぶん心が軽くなった。昔の自分なら、そんな風に考える余裕すらなかっただろう。

独身だからこそ味わえる静かな夜の独白

夜中に一人で考え事をする時間は、独身だからこそ持てる贅沢かもしれない。誰にも気を使わず、素直に自分と向き合える。寂しさもあるけれど、それも含めて、ようやく自分の生活が「自分のもの」になった気がした。

もう少しだけ、自分にも優しくあろうと思った

司法書士という仕事を続けていく中で、自分にも少しだけ優しくしてあげようと思った。完璧じゃなくていい、全部こなせなくてもいい、ちょっと落ち込んだっていい。そうやって肩の力を抜いたとき、きっとまた少し前に進めるのだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。