誰もいない帰り道で立ち止まるとき
夜道を一人で歩いていると、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。疲れているわけでも、道に迷ったわけでもない。ただ、胸の奥に溜まっていた何かが膨らんで、歩みを止めさせるのだ。周囲には誰もいない。街灯がぽつりぽつりと続いていて、遠くに車の音がする程度。その静けさが逆に、自分の孤独を照らし出してくる。昼間は忙しさに追われて、気づかないフリをしていた気持ちが、夜の空気に溶けてしまいそうになる。
昼間は見えなかった疲れが夜に押し寄せる
日中は、電話に出て、相談に応じて、書類を整えて、登記を申請して。目の前の業務をひたすらこなすことで、感情の入る隙間なんてなかった。でも、夜になるとその隙間がぽっかり空く。帰り道の途中で、いつもより少し遠回りをしたくなって、人気のない裏道に足を向ける。そこで気づくのは、自分が思っていたよりもずっと疲れていたということ。人に見せる顔の裏で、ずっとひとりで頑張ってきたことに、ようやく気づく。
仕事の忙しさが心の声をかき消していた
司法書士の仕事は、信頼されることが前提だ。だからこそ、弱音を吐くのが難しい。「先生、助かりました」と言われるたびに、期待に応えなきゃというプレッシャーが積もっていく。そうして気づけば、心の声はどこかへ行ってしまっていた。忙しさで気づかないふりをしていたけれど、実は「もう少し楽になりたい」「話を聞いてほしい」と、心の奥でずっと叫んでいたのかもしれない。
静けさの中でようやく聞こえた本音
人の声も、車の音も、すべてが遠のいた夜道で、ようやくその本音が聞こえてくる。「疲れたな」「誰かに甘えたいな」そんな言葉が自分の中から漏れ出す。普段なら飲み込んでしまうような感情が、この静けさの中では隠せない。涙までは出ないけれど、目の奥がじんわりと熱くなる。このまま誰かが現れて、黙って横に並んで歩いてくれたら、どれだけ救われるだろうか。そんなことを思いながら、また歩き出す。
司法書士という肩書の裏にある孤独
司法書士という職業は、ある意味「先生」として扱われる存在だ。でもその敬意の裏には、相談はされても悩みは共有されないという現実がある。ふとした瞬間に、それが無性に寂しく感じる。誰にも頼れないような錯覚に陥ることもある。だからこそ、夜道で感じる孤独は、より深く心に染み込んでくるのだ。
相談されるけど相談できない日常
仕事上、依頼者の不安や悩みをたくさん受け止める。でもこちらの悩みを誰かに話すことは少ない。というより、話す相手がいないのが現実だ。事務員には心配かけたくないし、友人もだんだんと疎遠になっていく。土日も仕事で埋まることが多く、誰かとゆっくり話す時間なんてほとんどない。気づけば、相談相手は「自分自身」だけになっていた。
優しさの裏にある無防備な自分
人に優しくしようと思えば思うほど、自分の心が削れていく気がする。依頼者の立場を想って動くたびに、自分の感情をどこかに置いてくる。それがプロだと思ってきた。でも、優しさの裏にあるのは、ただの無防備さだったのかもしれない。傷つくのが怖くて、人と一定の距離をとっていた自分。そんな自分に気づいた夜道は、やけに風が冷たく感じた。
誰かと話したい夜に限って予定は空白
「今日は誰かに会いたいな」そう思う夜に限って、スケジュール帳は真っ白。LINEを開いてみても、メッセージを送る相手が思い浮かばない。付き合いが薄くなった友人に今さら連絡するのも気が引けるし、家族とも距離がある。結局、冷蔵庫の中の残り物で晩ご飯を済ませて、テレビをつけて寝る。そんな日が続いていくうちに、「寂しい」と言うことすら諦めるようになっていた。
頑張ることに疲れてしまうときもある
人から見れば、「独立して一人で事務所を回しているなんてすごい」と言われる。でも、実際はぎりぎりで回している。頑張っている自分に報いるものが見えないとき、「このままでいいのか」と立ち止まってしまう。夜道でふと泣きたくなるのは、そんな“頑張り”に報われていないと感じたときなのかもしれない。
真面目すぎる性格が自分を追い込む
もともと几帳面な性格で、仕事は丁寧にこなす方だ。だからこそ、小さなミスが許せないし、無理してでも完璧にやろうとしてしまう。結果、誰にも見えないところで疲弊していく。「もっと力を抜いてもいいのに」とは思うが、性分だから仕方がない。そうやって自分で自分を追い込んでいることに気づくたびに、なんだか情けなくて泣きたくなる。
効率より安心を求めていたかった
最近は、効率だの生産性だのという言葉が仕事の中にどんどん入ってきた。でも、司法書士の仕事って本来、依頼者に「安心」を与えるものじゃなかったのか。スピードや数字よりも、信頼や寄り添いの方が大事だったはずなのに、気づけば自分も“作業者”になっていた。それがどこかで引っかかっていて、自分の存在意義すら見えなくなる夜がある。
それでも朝は来るからまた顔を上げる
いくら夜に心が沈んでも、朝になれば仕事が始まる。眠れなくても、気持ちが追いつかなくても、依頼者は待ってくれない。それでも、顔を洗って、背筋を伸ばして出勤する。そうやって今日も仕事をする。夜道で泣きたくなっても、誰にも言えなくても、また立ち上がる。それが自分の選んだ道だから。
夜道で泣けるならそれもきっと悪くない
泣くことは悪いことじゃない。夜道で誰にも気づかれずに涙を流せるのなら、それはむしろ心のバランスを取る手段かもしれない。泣くことを恥じる必要なんて、どこにもない。むしろ、泣けるほど頑張った証拠だと思いたい。
涙は弱さじゃなくてひとつの整理整頓
涙って、感情の整理整頓みたいなものだと思う。溜まりすぎたストレスや、言えなかった気持ち、抑えてきた感情を一気に外に出すことで、また少しだけ前に進める。感情に蓋をし続けると、どこかで壊れてしまうから、泣くことで守られている部分もあるんじゃないかと思う。
誰にも気づかれないからこそ素直になれる
人前では強がってしまうけど、一人きりの夜道では少しだけ素直になれる。「頑張ってるな俺」「ほんとはしんどいな」そう認めるだけでも、心が少し軽くなる。人の目を気にせずに、本音と向き合える時間が、夜道にはある。
感情が溢れるのは生きている証拠
泣きたいと思うのは、まだ心が動いている証拠。日々に追われて、何も感じなくなるよりずっといい。感情がある限り、人は立ち直れる。夜道でふと泣きたくなった夜があっても、それを恥じることなく、ひとつの通過点として受け止めていこうと思う。