その一言が重くのしかかる
「いつまでにできますか?」――この質問が来るたび、心の中に冷たいものが流れる。仕事の依頼を受けるのが仕事とはいえ、毎日のように追い込まれていると、ただのスケジュール確認の言葉が脅迫のように聞こえてくる。目の前の仕事ですら手一杯なのに、次々と「納期」を問われると、つい笑ってごまかすしかない。こちらがどれだけギリギリの綱渡りをしているかは、誰にも見えないからこそ、この一言は重い。
依頼を断れない性格が裏目に出る
昔から「頼まれたら断れない」性格で、それがこの仕事に向いていると思っていた。が、現実は違った。断れないことで自分の首を絞め、結局誰も幸せになっていないことに気づく。でも、「せっかくうちを選んでくれたんだし」と思ってしまう。あの依頼者の丁寧な言い方や、困っている様子が頭に浮かぶと、つい「大丈夫ですよ」と言ってしまう。自分で自分を苦しめているのかもしれない。
無意識に自分を追い込む言葉たち
「すぐでなくていいので」「できるときで大丈夫です」と言われても、それはそれでプレッシャーになる。なぜなら、こっちの中では「早く終わらせないと」という気持ちが働くから。結局、どんな言い回しでも「仕事が増える」ことには変わりなく、そこに対応できる余裕がない日々が続くと、どんな優しい言葉にもビクビクしてしまう。
「急ぎじゃないですけど」も地味にプレッシャー
「急ぎじゃないですけど」って、結局のところ「忘れないでね」という意味だと感じてしまう。期限がない仕事ほど、頭の中でずっと引っかかっていて、他の業務に集中できない。だからといって順番を変えるわけにもいかず、気づけばずっとその仕事の存在におびえている。そんなふうに、気遣いの言葉が逆に重荷になってしまう矛盾がある。
スケジュールはパンパンだけど誰にも言えない
カレンダーは真っ黒だ。でも、それを他人に見せることはできない。どこかで「忙しいアピール」だと思われそうで、つい「全然大丈夫ですよ」と言ってしまう。相談できる仲間もいないし、愚痴を聞いてくれる人もいない。だからこそ、どれだけキツくても平静を装ってしまう。
カレンダーが真っ黒でも「空いてる顔」
予定がぎっしりでも「いつでも大丈夫です」と言ってしまう自分がいる。それは、頼られることが嬉しかった過去の名残かもしれない。でも、今はそれが自分の首を締めている。たまに「それ、本当にできるんですか?」と自分で自分にツッコミたくなる。だけど、約束してしまった以上、やるしかない。元野球部の根性論だけが支えだ。
優しさが首を絞める現実
「優しいですね」と言われることがある。でも、それは時に「都合のいい人」と同義だ。優しさが売りのように言われても、そのせいで無理な依頼を引き受け、残業に追われ、生活が荒れていくなら、それは果たして美徳なのだろうか。優しさという仮面の裏で、何度も「やめたい」と思っている自分がいる。
事務所経営者としての苦しみ
司法書士としてだけでなく、経営者としての責任も重い。事務員は一人。その子がいなければ事務所は回らないし、休まれたら即アウト。そんな綱渡りのような日常を、誰に話せばいいのか分からない。ときどき、朝起きた瞬間に「今日も仕事か」とつぶやいてしまう自分が嫌になる。
事務員は一人だけそれでも回さなきゃいけない
小さな事務所だから、事務員は一人だけ。それでも仕事の量は変わらない。電話応対、書類作成、登記申請、郵送、スキャン、会計チェック……それらを彼女一人でこなしてもらうには無理がある。それでもお願いするしかなく、申し訳なさと無力感に苛まれる。効率化しようにも、システムを入れる余裕も時間もないのが現実だ。
急な体調不良もフォローできない孤独
ある日、事務員が体調不良で休んだ。その瞬間、事務所は機能不全になった。電話も出られず、書類も積み上がる一方。誰にも頼れず、ただ一人で全てを抱え込む。そんな時、自分の弱さや限界を痛感する。でも、替えの人材を雇う余裕もなく、また今日もギリギリのラインで事務所を回している。
効率化しようとしても時間が足りない
効率化のために何かしたいと思っても、調べる時間も、導入する時間もない。目の前の仕事を終わらせることで精一杯。結局、「いつかやろう」で月日が過ぎていく。便利そうなツールを見つけても、「どうせ続かない」とあきらめてしまう。そんな自分を責める夜もある。
断ることの罪悪感が積もっていく
「すみません、今は手が回らなくて」と断るたびに、罪悪感が積み重なっていく。「前はお願いできたのに」と言われると、胸が痛む。無理して受けて疲弊してもダメ、断ってもモヤモヤが残る。結局、どちらにしても心がすり減るだけ。いつまでこのジレンマと付き合わなきゃいけないんだろう。
相手の事情が分かるからこそ言えない
「困ってる人を助けたい」――その気持ちは嘘じゃない。特に、長年付き合っている顧客の顔が浮かぶと、どうしても断れない。たとえ自分が倒れそうでも、「なんとかしなきゃ」と思ってしまう。昔の自分なら「いい人」で済んだかもしれないが、今はその「いい人」が、自分の生活を蝕んでいる。
元野球部の「気合い文化」が抜けない
野球部出身のせいか、「根性で乗り切れ」という感覚が染みついている。体調が悪くても、「気合いが足りない」と思ってしまう。でも司法書士の仕事は、根性だけじゃどうにもならないときがある。知識、集中力、調整力――どれが欠けても崩壊する。分かってるけど、「気合い」の呪縛からなかなか逃れられない。
独り身ならではのもろさ
独身であることの気楽さもある。でも、ふとした瞬間にその脆さを実感する。夜遅くにコンビニで夕食を買っているとき、休日に誰とも話さなかった日の夜、体調を崩して寝込んだとき――そんなとき、誰かがいればと思ってしまう。けれど、もう今さら誰かと一緒になる勇気もない。
自分が倒れたら終わりという恐怖
経営者である以上、自分が動けなくなったらすべてが止まる。代わりはいないし、引き継ぐ相手もいない。仕事が滞り、信頼も失い、生活も立ち行かなくなる。それを思うと、常に「倒れられない」というプレッシャーと一緒に生きている。これはたぶん、家庭を持っている人とはまた違う孤独だ。
気楽さよりも不安が勝ってしまう夜
「一人の方が楽でいいよね」と言われることがある。でも、毎晩同じ弁当を食べながらテレビをぼーっと見る生活が、果たして幸せなのかと自問する。誰にも話せない、誰も気づいてくれない、そんな日々が続くと、さすがにしんどい。気楽さと引き換えに、不安が積もっていくのを感じる。
誰かに相談できる場のなさ
仕事の愚痴を言える場所がない。司法書士という職業柄、守秘義務もあるし、同業者には弱音を吐きづらい。友人も家庭を持ち、なかなか会う機会もない。SNSで愚痴を吐くわけにもいかず、結果的に一人で抱え込むことになる。弱音を吐ける誰かの存在が、どれほどありがたいかを痛感する。
それでもやっていくために
こんなふうに愚痴ばかり書いているけれど、それでも今日も仕事はある。依頼してくれる人がいる限り、手を止めるわけにはいかない。自分にできることを少しずつ整えて、少しでもラクになる方法を見つけていくしかない。それが、今の自分にできる唯一の「未来への希望」かもしれない。
「できません」と言える自分になる努力
「が、今は難しいです」この一言を言えるようになるまでに、何年もかかった。今も正直、言うたびに心が痛む。でも、それで倒れてしまったら元も子もない。だからこそ、自分のリズムを守ることも仕事のうちだと、少しずつ自分に言い聞かせている。
ほんの一言が心を救ってくれることもある
ある日、依頼者に「大変そうですね、無理しないでください」と言われて、思わず泣きそうになった。たったそれだけの言葉が、心の支えになる。普段は強がってばかりだけど、たまには誰かの言葉にすがりたくなるときもある。だから、自分も誰かにそんな言葉をかけられる人間でありたいと思う。
逃げじゃなくて守るための選択
「仕事を断る」「納期を調整する」「休日は休む」――それは逃げではなく、自分を守るための選択。ずっと走り続けてきたからこそ、今は少しブレーキを踏む勇気も必要だ。倒れるまで頑張るのではなく、倒れないように工夫する。それが、司法書士として長く続けるための知恵だと思う。
同じように悩む誰かへ
この文章をここまで読んでくれたあなたも、きっと似たような悩みを抱えているのだと思う。司法書士でなくてもいい。ひとりで頑張っているすべての人に、「あなただけじゃないよ」と伝えたい。今日もよくやった、と。
つらいと感じる心は間違ってない
「弱音を吐く自分が情けない」と思う必要はない。つらいと感じるのは、ちゃんと働いている証拠。心が叫んでいる声を無視しないでほしい。私も、ようやく最近になって、それが分かってきた。
それでも今日をこなしてる自分を褒めてやろう
誰かが褒めてくれなくても、自分で自分に「よくやった」と言ってあげたい。今日も仕事をした。ちゃんと働いた。そうやって、毎日を積み重ねていくことが、きっと未来につながると信じて。