隣地にて遺体発見さる
その朝、玄関のチャイムが鳴ったのはまだコーヒーに口をつける前だった。インターホン越しの声は、町内会の古参であるナガセさん。よほど切羽詰まった様子で、目の焦点も定まっていなかった。
「シンドウさん、ちょっと……隣の空き地に、なにか変なものが」
嫌な予感というのはえてして当たる。私はコートを羽織り、冷たい空気に顔をしかめながら外へ出た。
午前八時の不穏な訪問者
現場に着くと、警察が来る前の騒がしさが漂っていた。空き地の雑草の中に、白い布をかぶせられた“それ”が静かに横たわっていた。土地家屋調査のために誰かが入った際、偶然見つけたらしい。
「まさか本当に死体とはね……」私はそう呟きながら、現場の境界杭に目をやった。何かが変だ。杭の一本が、妙に新しかったのだ。
境界杭の先に見えたもの
私は思わずしゃがみこみ、杭のまわりを観察した。雑草がやけに整えられている。素人が触ったにしては不自然なほど、杭の周囲だけが綺麗だった。
「最近誰かが入って手を加えたな……」私は独り言のように呟いた。これは単なる“死体発見”では終わらない気がしてきた。
警察よりも先に呼ばれた男
「司法書士なのに、なんで現場に呼ばれるんだか」ぼやきながらも、私は身分証を警官に見せて許可をもらい、現場をざっと見渡した。空き地の地番、筆界の記録、そして過去の境界トラブル。
「死体は杭の2番と3番の間にあったそうです」警察官が言ったその場所こそ、昔から隣人と揉めていた“筆界未定”の区域だったのだ。
土地家屋調査士の沈黙
数時間後、土地家屋調査士のヤベさんが現れた。いつもは饒舌な彼が、今日は妙に口が重い。私が調査記録のコピーを頼んだときも、どこか歯切れが悪かった。
「あの杭、僕じゃないですよ」そう言ったときの目は泳いでいた。何かを隠しているのは明白だった。
やれやれ、、、また地番が違うのか
事務所に戻り、私は登記簿と地積測量図を見比べながら深いため息をついた。
「やれやれ、、、また地番が違うのか」
書類上は完全にA氏の土地だが、現地は微妙にB氏の範囲に食い込んでいる。まるでサザエさんの家と波平さんの庭が、曖昧な境界を共有しているようなものだった。
筆界確認書に残された謎の印影
古い筆界確認書には、筆跡の違うサインが混ざっていた。一見して素人が模倣した署名だとわかる。誰かが意図的に文書を偽造した形跡がある。
「この印影、去年の売買時のものと一致しないな……」私は小さく呟いた。誰かが“死体のあった土地”を狙って、境界を改ざんしようとしていたのか。
サトウさんの冷たい推理
その日の午後、事務所に戻るとサトウさんが淡々と資料を整理していた。
「死体の身元、判明したみたいですよ。前の地主さんだそうです」
「えっ……」私は言葉を失った。
「しかも、自殺じゃなくて他殺の可能性が高いそうです」
彼女はカチャリとキーボードを打ちながら、振り向きもせずに告げた。
隣地の所有者と遺体の関係
遺体の主は、1年前に土地を売却したA氏だった。そして現在の所有者は、かつてその土地を巡ってA氏と訴訟寸前まで揉めていたB氏。
境界をめぐる確執、未解決の怒り、そして誰もが見過ごした地積図の“わずかなズレ”。事件の構図が少しずつ浮かび上がってきた。
被害者は誰だったのか
確認された身元と事件当日の足取り。そして隣人B氏が土地を再測量する直前に突然「杭が抜けている」と騒いでいたという証言。これは偶然ではない。
「杭が動いたんじゃなくて、人が動かしたんだ」私は確信を強めた。
過去の境界トラブルの再浮上
町役場に残された過去の相談記録を調べると、B氏とA氏の間には“法務局に持ち込まれていない筆界争い”が何度もあったことが判明した。
怒り、嫉妬、そして執着。人が土地にかける執念は、ある意味で愛にも近いのかもしれない。
測量図に記された嘘
最新の測量図と重ね合わせた旧図面には、明らかな改ざん箇所があった。しかも、改ざんされていたのはB氏側の資料だけだった。
「これは……もう黒ですね」サトウさんがポツリと呟いた。冷静なその目は、すでに結末を見通しているようだった。
真犯人が語った土地への執着
警察の事情聴取の中で、B氏は最初こそ否認していたが、ついに“境界を巡る口論の末に突き飛ばしてしまった”と自白したという。
「土地を取られたままで終わるのが耐えられなかった」その言葉が、妙に耳に残った。
雨上がりの境界線と決着の瞬間
雨が上がった午後、私は現地に立ち、杭の前で静かに目を閉じた。ここに命が倒れ、ここに線が引かれた。地面は何も語らず、ただ真実だけが残っていた。
私の仕事は終わった。ようやく書類に記すべき“正しい”境界が見えた気がした。
登記簿の余白に眠る真実
事務所で登記簿の備考欄を見つめながら、私はふと気づいた。人の想いは、紙の隙間や土地の線にこそ宿るのかもしれない。
「サトウさん、次の案件、そろそろ行くよ」そう声をかけると、彼女は小さくため息をつき、言った。
「次は“生きてる人”の登記だといいですね」
サトウさんの一言と僕のため息
「やれやれ、、、」私は椅子に座り直し、コーヒーを口に含んだ。やっと朝の続きを取り戻せた気がした。
ただし冷めていたのは、コーヒーだけじゃなかった。
そして、静かな事務所に戻る
外では再び雨が降り出していた。カーテン越しにぼんやりと広がる隣地の景色。その向こうに、何かを終えた静けさが漂っていた。
私はキーボードを叩き、境界確認書の備考欄に一言だけ追加した。
「本件、司法書士の立会いにより筆界確定」