朝一番の申請書と香水の匂い
窓口に現れた謎の女性
その日、事務所に届いた登記申請書には甘い香水の匂いが残っていた。
手書きの文字は丁寧で、どこか哀しみを帯びている。
差出人は「村岡綾乃」──見慣れない名前だった。
不動産登記の裏に潜む違和感
売買ではない感情の痕跡
書類には売買と書かれていたが、添付資料の時系列に微妙なズレがある。
売買契約書の日付が、名義変更予定日より後だったのだ。
「これは、、、恋のにおいがするな」と、冗談のような勘が働いた。
綾乃との邂逅
カフェで交わされた本音と嘘
偶然を装って、彼女がよく通うという駅前の喫茶店に行ってみた。
そこで彼女とばったり遭遇し、僕は名乗りをあげた。
「司法書士のシンドウです」──名乗る手前で、妙に胸が高鳴っていた。
サトウさんの冷静な一言
「恋をしてる場合ですか」
「その方、かなり前に自己破産してますよ。名前変えてます」
サトウさんが調べてくれていた。さすがだ、容赦がない。
「恋をしてる場合ですか」──痛いところを突かれて、何も言えなかった。
仮登記の裏にある契約の破綻
第三者に対する欺き
実際の登記内容は、恋人の名義に変えただけの仮装譲渡だった。
破産管財人を欺くために用意された偽装スキーム。
なるほど、これは立派な詐欺の香りがする。
綾乃が口にした真実
「私のこと、少しは好きでしたか」
事情を話すよう説得したところ、彼女はぽつりと呟いた。
「あなたが私を止めてくれたら、やめようと思ってた」
そんなの、反則だろう、、、心が少しだけ揺れた。
職権による登記抹消の決断
過去をなかったことにはできない
登記の訂正を求め、管轄法務局に申立てをした。
すべてが明るみに出ることを彼女も受け入れた。
法は冷たく、でも公正だ。そしてそれは僕自身にも向けられている。
やれやれ、、、やっぱり恋はこじれる
申請人とは恋をしてはいけません
職務と感情は相容れない。
やれやれ、、、野球部だった頃より難しいプレーだ。
結局、彼女とはそれっきりになった。
サトウさんの微笑み
「恋は登記簿に残せませんから」
「でも一応、元申請人との面会記録としてファイルしておきますね」
塩対応に見えて、少しだけ優しい。
彼女のその一言が、妙に沁みた夏の午後だった。
終わらない日常と机の上の書類
事件は終わっても仕事は終わらない
新しい申請書が届いた。また誰かの物語が始まる。
もう恋なんてしない、と思っていたけれど──
人の想いはいつだって、書類の隙間から滲み出してくる。